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今週は軽飛行機セスナで空を飛ぶ話。アラスカの山を登るにはセスナが不可欠です。山に入るにはいくつもの前衛の山を越える必要があるので、そこをセスナで飛び越し、氷河の支流に着陸して登り始めます。広大な湿原の上を飛び越して、氷河が削った動物の歯のような山の稜線にぎりぎりまで近づいてから飛び越える時、反対側からの上昇気流にまるで紙飛行機のようにフワリと吹き上げられます。
眼下には縞模様を描く巨大な氷河がのたうち、行く手には6000mクラスの山が白く輝いています。小さなセスナに乗って空を吹き飛ばされるのは怖いけれど、あまりに風景のスケールが大きいのでもう爽快でしかない。無数のクレバスが口を開ける氷河の本流を遡って、クレバスが少ない支流に着陸すると、セスナのエンジン音で周りの雪壁からまるで歓迎の花火のように雪崩が起きてくるのでした。
アラスカで一番大きな街のアンカレッジにはいくつかの湖があって、朝になると数分おきにセスナが着水します。セスナで通勤する人たちがいるそうで、湖から車に乗り換えてオフィスに行くらしい。土地が広大なので、セスナは車と同じような移動手段に使われます。米国中西部の街を泊まり歩いた時は高校生がセスナに乗せてくれて、操縦もさせてもらいました。おまけに大変な悪戯もされたけど。
操縦免許取りたての高校生ですから悪戯が大好きです。私を副操縦席に乗せたセスナは水平飛行から突然急上昇を始め、エンジン全開で昇って行くとエンジンが耐えられずに止まってしまいます。やがて空を向いたまま後ろから下降し始め、意識が飛んで内臓が全部口から出そうになる頃に機首が下を向き、急降下の後にエンジンを再起動させて水平飛行に戻ったのです。もう、死ぬかと思いました。 #
by organic-cambio
| 2024-03-13 16:34
| 店主の雑言
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わが家の南側にある畑は3年前まで牧草地だったのですが、酪農家が廃業して手が入らなくなり耕作放棄地になりました。3年の間に草が蔓延ってジャングルとなり、野生動物の運動場と化しています。今どきはキツネが毎晩声を上げて走り回り、ソファをベッドにしている犬が鳴き声に反応して大騒ぎ。あまりに騒がしいのでカーテンを開けると、目の前にいたキツネと目が合ってしまうという世界です。
キツネは鳴き声だけですが、家の中に入ってくる野ネズミには手を焼きます。壁の断熱材の間を登って天井裏の梁を走り回り運動会の有様なので、プロのKさんにお願いして対策をしました。ネズミの対策は素人がやっても効果は上がりません。ネズミの習性をよく知っていて対応する道具も備えているプロは、あっという間に入口を見つけて罠を仕掛けます。前回の対策では3日目に逮捕されました。
前回の対策も同じ時期だったので、野ネズミの侵入は季節性があるのかもしれないと思いを巡らしてみると、キツネが騒ぎ出す時期と同じだと分かりました。野ネズミはキツネの大好物です。キツネは秋から冬が繁殖期ですから、今はちょうど子ギツネを育てている時期。餌の野ネズミを追いかけまわして草むらを走り回り、追われた野ネズミが家に逃げ込んでくる、という構図を思いついたのでした。 キツネと野ネズミに限らず、家の周りにはあらゆる生き物が暮らしています。シカの数が住んでいる人口よりも多かった時期がありましたが、今は少なくなりました。クマとサルがいないのは助かりますが、目にしたことがないだけかもしれません。もうすぐキジが鳴き始めます。犬はキジの声も許せないようで、本を読んでいる至近距離でいきなり吠え出すので、驚いて本が宙を舞うこともあります。 #
by organic-cambio
| 2024-03-06 15:56
| 店主の雑言
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70年代の終わりごろ、縁あってアメリカ中西部の街で家々を泊まり歩いたことがあります。どこも高校生ぐらいの子どもがいて、おそらく中間的と思われるレベルの家庭ばかり。それでも為替が1ドル250円近い時代でしたから、私には彼らの生活が裕福に見えました。家に何台も車があるし、高校生なのにセスナに乗っているし。意外に思えたのは、どこの家でも毎日の食事が質素なことでした。
夕食といえばどこの家でも野菜とポテトなどがメインで、肉類をたくさん食べるわけでもなく、身体は大きいのにどうしてこれだけの食べもので足りるんだろう、と思うほど毎日質素でした。困ったのは大食いの私はお腹がすいてしまうこと。ごはんという炭水化物が主食の食事と、肉や芋や豆などいろんな素材を皿に盛り付けて主食がない食事の違いに、これで満腹になるんだ、と驚いたのでした。
私が小学生の頃は食が細くて痩せこけた少年でした。いつもおかずばかりを食べてしまい、おかずはごはんを食べるためのものだ、とよく叱られました。それだけにごはんという主食を食べずにおかずだけで済ませてしまう食事は驚きでした。そしてアラスカの氷河では日本人の便と欧米人の便はすぐに見分けがついたことを思い出しました。穀物主体の日本人の便は、欧米人に比べて量が多いのです。
日本には一汁一菜という食べ方があります。ごはんと味噌汁、おかず一品という質素な食事。なぜそこに一膳のごはんが謳われていないかと考えると、ごはんを食べることが前提になっているから。それだけ当たり前だったごはんで作られてきた身体ですから、ひと世代50年ほどで食事の根本を変えてしまったら、不具合が起きて当たり前だと思うのです。私の場合は食べ過ぎが何よりも問題ですが。 #
by organic-cambio
| 2024-02-28 16:27
| 店主の雑言
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生まれてから四半世紀余りを過ごした東京のはずれにあった家は、裏が急斜面の雑木林でした。雑木林と言えば武蔵野の風景ですが、台地が小さな川に浸食された谷地の縁に建っていました。林にはコナラ、クヌギなどに混ざり一本のエゴノキがありました。私の家に被さるように枝を伸ばし、梅雨時になると白い花がたくさん咲き、やがて屋根にバラバラと音をたてて無数の実が落ちてくるのでした。
東京とはいえそんな環境で育ったので、木の存在には馴染んでいました。風が吹けば葉が音をたてて知らせ、初冬には枯葉をばらまいて冬を知らせ、蛇やトカゲやガマガエルが暮らす薄暗いけど豊かな世界。年が長じて住処を選べるようになると、選ぶ基準になったのは空の広さと森や林の有無になりました。最終的に信州までやって来て、夜にはフクロウの声が聞こえる森の近くで暮らしています。
仕事としてきた店は、屋根に無数の実をばらまいたエゴノキと同じくらいの年月を重ねました。そしてこの店も、街の中で一本の木のような存在であり続けたいと思うのです。木は動かずにひとつの場所で根を張り続け、芽吹いた葉が秋には散って土を肥し、枝には鳥が遊んで木陰には人が休む。強い風に吹かれて枝が折れることもあるけれど、なんとか樹形を保って春にはたくさんの花を咲かせます。
木は動けないから動物のように命がけで縄張り争いをしません。そばに成長の早い木が茂って日陰になっても、陽の当たる方に枝を伸ばし共存を計ります。それぞれの木に実を好んで食べて種を運んでくれる鳥や虫がいて、同じ地面に根を張りながらちゃんと棲み分けをしているのです。何があってもたくさんの葉を茂らせ風に吹かれている。そんな木のような存在としてあり続けたいと思うのです。 #
by organic-cambio
| 2024-02-22 09:18
| 店主の雑言
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地域の役があと2か月で終わります。生まれ育った地域の役を地元の人ばかりが担ってきたので、良く言えばツーカー、悪く言えばドロドロの世界。そんな中で5年間のお務めをやってこられたのは、ひとえによそ者だから。子どもの頃からのチカラ関係はいくつになっても変わるものではないらしく、小さい頃にいじめを受けた人はいい歳になった今もやりにくそうでした。その点よそ者は楽なのです。
田舎に移住する人が直面する問題に、地域とどう向き合うかがあります。移住に失敗した人の手記を読むと、地域と良い関係が作れなかったことがよくあります。都会の論理を振りかざしたり、やたら自由を求めることだけではなく、うまく地域に溶け込めなかったことも多いようです。私たちは住んでいる地域では自営業のよそ者で特異な存在でしたが、子どもがいたことで関係ができていきました。
PTAや子ども会に関わらざるを得ないことから地域で認知され、長く住むことで地域の役も引き受けざるを得なかった。できることなら関わらずに済ませたかったけれど、お世話になっておきながら何もしないわけにはいかなかった、というのが本音。そんな客体での向き合い方でしたが、やるとなったら主体にならないと気が済まない自営業の性が顔を出して、けっこう楽しませていただきました。
地元で育った人と途中から紛れ込んだ移住者とでは、ある部分で決定的な差があります。それは子どもの頃からの関係を引きずっていないことで、ある時期からの人格だけで過ごせること。恥かしいことをやり散らかしたり、思い出したくもない子ども時代を過ごしてきた私といたしましては、忌まわしい過去を知らない人たちとの関係はやり易いのです。じゃあもう少しやれと言われても断りますが。 #
by organic-cambio
| 2024-02-16 10:41
| 店主の雑言
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