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関西で過ごしていた正月休みのある一日、例年であれば京都市内に出かける日の朝になって、急に予定を変更することにした。また去年のように電車に乗って烏丸で地下鉄に乗り換えて・・・、と考えているうちに急につまらなく思えてきてしまったのだ。正月の関西という非日常の中で、年に一度だけの京都巡りとはいっても、いつもの通りの予定調和ではないか、と。
そう思うに至ったきっかけは、だしの素の袋にあった。台所に置いてあった「博多のあごだし」の袋を見ているうちに、あご~潮の香り~海~山陰と急に妄想が膨らんできたのだ。そこで急きょ車に乗って丹波へと向かった。丹波の山里を抜けると、舞鶴の海に出た。赤レンガの倉庫や大きな船を見ていると、遠くへ来たというわくわく感で胸が膨らんできた。冬の海に沿って宮津に回り、鯖寿司を作ってもらう間に天橋立の松林を歩いた。冬の海は寒かったが、海は夏と同じ青い海だった。 いつものように仕事が始まり、数日たったある日。どこかに遠くに行きたいという病気のような欲望が、からだのどこからか湧いてきた。あの正月の一日が病気を再発させたのに違いない。あごだしの袋から広がった妄想は、九州の空を飛びまわった。カネがない、時間もない、店と家族に週7日間を捧げている身が、どうして九州などに行けるのか・・・。 ところが、病気というもの恐ろしいもので、十分に行けない状況ばかりがそろっている中でも、どうやったらいけるか、と考えてしまうものなのである。 カネがないのだから泊まりはすべて車の中。ハイエースの荷台は広いから、大人二人なら悠々と寝返りが打てる。かつて子供たちを満載して出かけていた「ビンボーツアー」で、そんなノウハウはしっかり蓄積してある。キャンピングカーは、日常生活をそのまま狭苦しい車内に持ち込むので、まったくメリットを感じられない。風呂・メシ・洗濯といった日常生活は外で済ませるのが一番なのだ。 九州は暑いから真夏をはずして、秋の深まったころか早春がいい。少し寒いくらいの方が、暑くなくて虫も少ないから車の中は快適なのだ。大人二人で一日一万円の予算でやりくりすれば、一カ月かかっても三十万であがる。ああそうだ、九州は古い石の橋が多いから、石橋巡りをしよう。 妄想はどんどん空を飛びまわり、なかなか着地する気配がない。困った病気である。
今年もバレンタインデーが終わって、チョコレートの山ができた。そんなにたくさんもらったのか、なんて驚かないでね、売れ残りのことだから。どうも最近はバレンタインデーも変わってきているようで、きれいに包装されたチョコをプレゼントするなんてのは、少数派になりつつあるらしい。
その変化は、我が家の女子中学生を見ていると歴然である。この人たちにとってのバレンタインデーは、友達との義理を果たすためにあるようなもので、意中の男の子に告白を添えてドキドキしながら渡す(ちょっと古いか)、なんてのは「そんなことするヤツなんか見たことねーもん」という世界なのである。 そんな人たちだから、今年も2月13日の夜は大騒ぎであった。夕方も暗くなってから台所を粉だらけにしてブラウニーを作り始め、食事が終わった9時過ぎから切って袋に詰めて包装紙にくるんで・・・終わったのは早寝のオヤジがもう夢の中の時間。切っている最中に「オレたちにはくれないの?」と訊くと、端っこの切れ端のさらに折れて崩れたものを、渋々と「食べてもいいけど」と指差すのであった。 翌朝は寝坊をして、慌てふためいて家を出て行った。友達と交換する予定の数は12個だったのだが、一つ多くできたので予備に持って行った。帰ってきて話すには、それが大正解だったのだそうで、予定外(これも変だ)の人からもらってしまったのだけど、「予備があったので助かった」と言うのであった。 周りの町の中学校では、学校でチョコを交換することを禁止しているところが多いそうだ。何でわが町の中学校では許されているのかは詳しくないのだけれど、彼女の話では「センセーたちもいっぱいもらって、渡り廊下でいやあ20個ももらっちゃいましたよ、なんて話してたよ」ということだから、結構センセーたちもチョコで丸め込まれてしまっているのかもしれない。おいおい、センセー・・・。 2008/2/19
私は最近まで、鯨を食用とすることに肯定的であった。なにせ、鯨の焼肉がビフテキというものだと信じていたくらい、鯨をたくさん食べて育った世代なのである。海に囲まれた島国のヒトビトが、周りの海にいる鯨を捕って食べて何が悪いのか。この国のヒトビトは、江戸時代から鯨を捕って食べてきたのだ。鯨を食べる文化があるのだ。鯨を捕まえて殺し、油だけとって捨てていたような連中に、いまさら野蛮な国だといわれる筋合いはない。というかなり感情的な根拠によって、鯨を食べることを肯定していた。
どうもそれは撤回しなくてはならない、と最近は思うようになってきた。 江戸時代から捕鯨がなされてきたことは、確かにそのとおり。ただし、その時代は沿岸に鯨がやってくるのを待ち、手漕ぎの和船を何十艘も繰り出して鯨を捕まえるという「鯨との戦い」であった。そうして命がけで捕らえた鯨だから、海の神様に感謝しつつ鯨を食べる文化として大事に受け継がれてきた。 それに比べ、まだ成長段階の私たちが食べていた鯨は、はるか南氷洋で捕れたものだった。大きな会社が巨大な船を何隻も持ち、捕鯨船団として地球の裏側まで出かけて捕っていたのだ。石油燃料を使って、領有権のない海で泳いでいる鯨を捕まえ、冷凍して持ち帰ったものを食べて、それが鯨を食べる文化などといえるのか。すきっ腹を満たしてくれたことへの、単なるノスタルジーではないのか。 食べ物が巷にあふれる今、調査捕鯨などとおかしな名目で鯨に固執することもあるまい、と思う。それよりも、鯨と同じ行く末をたどろうとしているマグロを案じるべきなのだ。このままたくさん捕り続け、無自覚に食べ続けると、やがてマグロの刺身も高嶺の花になってしまうだろう。海の資源には絶対的な限りがあり、それは自分たちだけではなく世界全体の「資産」なのだということを、私たちは鯨から学ばなくてはならない。 2008/2/12
ある日、近くの高校のAET(英語のアシスタント)を務めるイギリス人と話していると、日本の高校生はまったくディベート(討論)ができないことに彼女は驚いていた。欧米の学校ではよく、ひとつのテーマを生徒に与えて討論させる授業があるのだそうだ。他人の意見を受け止め、自分の考えを述べてその場に投げ込む。いろいろな主張を混ぜ返すことは自分で気のつかなかったことを知ることができ、他人を理解して問題を解決する糸口をつかむことを知る、という授業の目的なのだそうだ。
いまどきの日本の高校生に討論なんて・・・とてもできないよ、と八百屋のオヤジは確信とともに彼女に答えた。なんせ「KY」という言葉が示すように、周りの空気を読んで自己主張を抑えることに汲々としているんだから。なぜ高校生たちがそうなのかといえば、その親も、住んでいる社会も、最も影響を受けるメディアも、問題の本質よりもとりあえずの自分の利害を中心に考えてしまうからだ。 大学の入試には、答えを4つの中から選ぶ問題を数多く正確に解くことが求められる。たくさんの受験生をさばくために効率の良い、それでいて学力を容易に比較することができる方法としてそうなったのだろうけれど、その関門をくぐり抜けるための暗記に頼った勉強に高校生が追いまくられるのは、エネルギーと環境と食糧と経済との利害関係が世界中で複雑に絡み合っているような世の中で、果たして正しい方法なのか疑わしい。 問題を解決していくために必要なのは、知識の豊富さだけではないのだろうと思う。今の高校生が周りの空気ばかりを気にし、暗記にいそしんでいるような環境は、結構深刻な問題なのだ。 2008/2/5
新年早々、納豆が大量に売れ残ってしまった。今はその事態の収拾に追われる毎日である。どうやって片付けるのかといえば、1日1パックというノルマを課して、ひたすら食べ尽くすのである。
朝ごはんのおかずにも格というものがあって、漬物、佃煮などの脇役を従える主役には、3つの代表格がある。横綱はなんといっても鮭。鮭を焼く日は朝から少しうれしい。その次は明太子。これを好きな子供がいるので気をつけないとすぐ無くなってしまう。そして納豆は一番登場する回数の多い、庶民的な主役といえる。 正月明けから毎朝納豆を1パックずつ食べるために、様々なバリエーションを駆使することにした。オーソドックスに刻みねぎ、ねぎにオカカを加える、大根を卸して卸納豆、ポン酢で卸納豆などなど。卸納豆の大根に三浦大根の先っぽを使ったら、これがまたビリビリと辛くて朝から涙を流すほどうまかった。大粒納豆は豆の味が生きているので、塩だけで食べるとうまい。たれをかける場合は、白だしよりも京風だしの方が合う。練りからしはねりが固めなので、納豆向きではない。などと納豆の一家言を持つようにもなってしまった。 食べ続けて3週間が過ぎ、ようやく終わりが見えてきたと思ったところで、またいくつかの売れ残りが出てしまった。3つ残して2つ食べると、また2つ残ってしまう。これは永遠に納豆を食べ続けなくてはならないのではないかという、大変なことになりつつある。 これを納豆逃げ水現象というべきか、納豆わんこそば大会というべきか。2008/1/29
今週の月曜の午後は、安曇野をうろついた。
上田に行こうかと思っていたのだが、どうも雪が降りそうなのでやめた。カミ雪(南岸低気圧で降る重い雪のことを信州ではカミ雪という)は降りだすとあっという間に積もる。だから峠は避けた方がいいという判断だったのだが、案の定、和田峠で大型トラックが坂を登れなくなって3時間も通行止めになったそうだ。 いくつかの道の駅で地元産品をふらふらと覗き、高瀬川沿いのオリンピック道路を豊科に向かっていると、右側の田んぼに何か白いものがたくさん群れている。「ん、なんじゃ?」 サギにしては少しでかい。首が長い。足が黒い。「ややや、これは白鳥じゃ」 急いで田圃道に右折して近寄ると、いくつかの田んぼに、それぞれ数十羽の白鳥がいた。田んぼでは餌付けされているらしく、濁った水の中に腐った白菜が見え隠れしている。休みの日にはたくさんの人が見に来るのだろう。田んぼの畦が固く踏み固められていた。 ![]() 似合わない。白鳥が似合う風景ではない。 場所からして、豊科のダム湖にやってきた白鳥なのだろう。はるかシベリアから飛んできて、人家の合間の田んぼで濁った水に首を突っ込んで餌をあさっているなんて、哀れ白鳥落ちぶれたり。 諏訪湖にも白鳥がやってくるので、湖岸に寄進された餌を入れる冷蔵庫が置かれていることがあったけれど、諏訪湖の白鳥はこんな田んぼに群れたりしていなかった。たくさんのカモたちに餌を横取りされながらも、雪の八ヶ岳をバックに諏訪湖を泳ぐ白鳥はまだ美しかった。 でも、この田んぼの白鳥は見るに堪えない。 餌を求めるのが生き物の生業だけに、餌付けされればそこに集まるのは当然。でも、それでいいのか、と少しは考えたほうがいい。何でも人間の「善意」が喜ばれるとは限らない。野生の動物に餌をやるのは、小さな親切大きなお世話の典型なのだ。
不特定多数の人が行き交う場所に出ると、世の中のいろいろなことがゆっくりと変わりつつあることに気が付く。都会では街なかや電車の中がそんな場所なのだけれど、誰もが車で移動するこの辺りでは専ら道路上がそんな場所になる。
やたらとフレンドリーに譲り合うかと思えば、強引に割り込んできたり、信号が青になっても前の車が進まないと思えば一心不乱にケータイでメールを打っていたり、前の車がどうも蛇行するなあと思ってよく見るとテレビを見ながら走っている、なんてことが多くなってきた。毎日、家と店との間を車で走りながら、何か、どこかが、少しずつ変わりつつあると感じる。 ある日は、先が見えにくいカーブを曲がっていくと、車が止まって道を譲っていて急ブレーキを踏んだ。またある日は、右折レーンで待っていると、対向車が止まってしまった。どうしたんだろうをよく見ると、こちらに向かって早く曲がれと手を振っていた。 道を譲る本人は世の中にフレンドリーであろうとしているのかもしれないけれど、不意にブレーキを要求される後ろの車からみると、これは事故の誘発でしかない。車を運転することは自分が進む先に起こるであろうことを予測し続けることだから、善意であっても同じ道路を連なって走っている他人の予測を覆すような不意の仕業は、ひとつのジコチューだと思う。 道を譲られたお礼や挨拶の代りに、ハザードランプを点滅させることもいつの間にか「常識」のようになってしまった。道の譲り合いにも感じるのだが、最近のそんな現象には、ケータイやネットなどの電子メディアの匿名性の影響があると思う。住民の流動が少なくて、個人が特定されやすい中で、薄く広く誰とでもフレンドリーであるための、処世術のひとつなのかもしれない。 都会の街中ではみんな素の姿をさらして歩いているから、誰しもが多少の羞恥心というものをまとっている。だから、思わずジコチューに振舞いたくなる場合でも、羞恥心という理性がそれを止めてくれる。ところが、車で移動している場合は、車が仮面のように匿名性を発揮してくれるので、ちょっとおかしな振る舞いをしても羞恥心が働かない場合がある。また、それに乗じて振舞う人が多い。 この辺りはそんなところがまだ悪い意味で「田舎」なのだと思う。 ![]() これは気を付けーっの図である。 足は開いているし、よく見ると指まで開いちゃっているけれど、本人、じゃなかった本犬といたしましては最大の努力をいたしている、という図なのである。 わが愛犬みかんは、朝のお散歩から帰ると牛乳をもらえる。マイナス10度の中で冷たい牛乳を飲むと後でぶるぶる震えてしまうのだけれど、それでも一日のうちの数少ないお楽しみのひとつなのである。 その牛乳を前にして、意地悪な飼い主オヤジは毎朝叫ぶ。 「気を付けーっ!」 ボウルの中を覗き込み、舌先が白い液体に届くという段になって、この儀式が始まる。 みかんはばね仕掛けのおもちゃのように、急いでこの姿勢となる。急ぐから足が開いちゃう。こーふんしているから指まで開いちゃう。 ひたすらこの顔で意地悪オヤジのこのひと声を待っている。 「よしっ!」
久々に家から店まで電車で通ってみた。ふだんは車で20分の所要時間が、電車では駅まで歩く時間を含めて優に1時間はかかる。しかも田舎電車は途中の駅にて平気で10分も停車する。仕事と寝ている間以外の自由になる時間が極端に少ない時間貧乏の身にはなかなかつらいものがある。しかし意外や意外。待つという時間がなかなか贅沢であることを発見してしまった。
車という自分の意志で動くことができる手段では、信号で30秒待たされるだけでイライラするときがある。コンビニやファーストフードが流行る背景には、待たずに買える、すぐ食べられるという待たせないことのメリットがある。しかし電車では運転のダイヤが決まっているのだから、それに身を委ねるしかない。待たされるのではなく待つしかない。常にやらなくてはならないことに追われているような時間貧乏な生活の中で、何もしない、ただ宙に浮いたような待つ時間とは得がたい贅沢なのである。 思えばその観念は待つことが受動的であるか、能動的であるかによって変わってくるのかもしれない。「待たされる」から「待つ」になり、さらに自発的に「待っている」時間を楽しめるようになると、時間貧乏であっても、もう少し豊かな生活ができるようになるのではないか、と田舎電車の中で発見したのであった。2007/2/20
最近お騒がせの「何々にはこの食べ物が効く」といういわゆるフードファディズムの真髄は、食べるだけで痩せるなどという、カンタンお手軽で何かを得られるように誘うことにあります。よく考えてみれば、そんなに甘くないことは誰にでもわかるようなことなのですが、手段があまりにも簡単なので「ちょっとやってみようかしら・・・」とブームが動き出すわけです。
手段がカンタンであればあるほど注目されるのは、裏を返せばそれだけ多くの人が深刻に痩せたいと願っていながら痩せられないというような現実があるわけで、そのギャップが深ければ深いほどカンタンさが浮き彫りになってしまうという構造があります。痩せるの痩せないのなんてのはきわめて個人的で、しかも主観に左右されることなのでその結果などはどうでもいいのですが、結果が大変重大な問題にも同じようなことが起きているのではないか、と心配になることがあります。 「地球温暖化防止のため、アイドリングストップを推進しましょう」というスローガンがあります。この文章を読み替えると、「アイドリングストップを推進することは、地球温暖化の防止になります」となりますが、これは何かを食べると痩せるというカンタンさと、そうカンタンには痩せられないという現実のギャップの深さに、一脈通じるところがあるとは言えないでしょうか。 アイドリングストップは誰でもできるはじめの一歩としては有効ですが、事態はかなり深刻化しており、今はもっと痛みを伴う行動が必要になってきています。カンタンなはじめの一歩で「温暖化防止に貢献した」と自己満足してしまうことがあれば、それはかえって逆効果となるのではないかと心配です。
この店の仕事は決して楽ではないのだけれど、気の優しいスタッフに恵まれたおかげか、ノーテンキでいつも悩み事など何一つないように見える店主のせいか、「こんな店を自分でもやってみたい」という人が時々現れる。そのたびにいかに見かけと現実が異なっているかを懇々と説くのだが、バラ色のめがねをかけてものを見ている人にはこちらの苦労話すら楽しそうに聞こえるらしく、目を輝かせてお帰りになることが多い。
先日も北海道からオーガニックの店を始めようとしている方が見え、4人の子持ちで歳も近いという共通点から思わず身を乗り出して話をしてしまった。背景はバラ色でも足元はイバラの道であることをどう理解してもらえるのか考えながら話したつもりだが、こんなやつでもできるのなら・・・と逆に安心感を与えてしまったかもしれない。 「人はパンのみで生きるにあらず」と聖書には書いてある。その後は「神の言葉によって生きる」と結ばれる。そこをロシアの文豪トルストイは「愛によって生きる」と美しく結んだというが、現世ではそう美しいことばかり言ってもいられない。この仕事をやってみれば、パンのみで・・・などと遠慮せずに野菜だって肉だって納豆だって生きるための食べものというものは何にでも恵まれてはいるのだけれど、なぜか「先立つもの」だけには恵まれないことにやがて気がつくだろう。 しかし、そう気がついたときにはもう戻ることはできない。あとはノーテンキなオヤジになるしかないのである。2007/2/6
そもそも私がこの仕事を志した理由のひとつには、食うことに困らないだろうからという実に現実的なことがあって、それは実際に生活に充分な期限切れの食べ物に囲まれ困らずにすんでいるのだから正解だったのだと思う。子供たちも小さな頃から鍛えられているので、多少牛乳が酸っぱくてもパンに黒い点々が生えていても驚くことはない。食べ物は日が経てばやがて変化することは当然で、それが食べられるものかどうかは日付などに頼らず、動物として○か×かを判断できるようになっている。
以前、PTAの集まりでそんな話をしたら、一人のお母さんが「私は期限切れの食べものは絶対に子供に食べさせません。今朝も納豆がきのうで期限切れになっていたので捨てました」と信じられないという顔で言った。期限というものは厳然としたものだから、一日でも過ぎれば売り場では○から×に変わってしまうし、そうでなくてはならない。でも納豆を商品としてではなく食べ物として考えてみれば、それが食べられるものかどうかはもっと柔軟に考えられるのではないかと思う。 2007/1/23
干柿が白い粉を吹くようになって、いよいよ甘さが強くなってきた。干柿はわらの間に挟むように保存されているので、時間とともに乾燥が進んで甘さが凝縮されていく。私はこの干柿の甘さがなんとも好きで、前を通りがかるたびに誘いを断り切れず、ひとつ、またひとつ、と食べてしまう。
干柿を食べると、しばらくしてから身体に変化が表れる。きっと干柿のある成分が消化に伴ってある種の微生物と出会うと、身体の中で発酵が始まってしまうのだろう。それはもう強烈な現象で、風船に空気を吹き込んでから手を離したような状態で、止まらなくなってしまうのである。 少し前、詳しくはいつ頃だったか忘れてしまったけれど、牛のげっぷが地球温暖化の原因の一つだという、まことしやかな説がマスコミを賑わしたことがあった。その根拠とは次のようなことだった。 牛は胃から口に反芻して食べ物を消化する時に、多量のメタンガスが発生する。メタンガスには、二酸化炭素の23倍もの地球温暖化作用がある。牛は世界中で約13億頭いて、そのメタンガスの総量は地球上のメタンガス全体の25%に相当する。だから牛のゲップは地球温暖化の原因だ・・・。 ほんとかよ・・・? 牛にはいつもわが草食系息子がお世話になっているから、少し反論をしちゃうぞ。人間が下から出すガスにもメタンは含まれているそうだ。人間は世界中で牛の5倍もの数が生息している。その人間が毎日出すガスは、どうして地球温暖化の原因にならないんだ? 世界中で68億人もの人間が毎日こいているというのに、なんで誰も問題にしないんだ? 人間はいつも勝手なのだ。地球温暖化対策なんて言ったって、自分の身に影響が及ばない原因ばかり大騒ぎするものなのだ。自分たちだって毎日メタンを撒き散らしているくせに、牛のゲップばかりを問題にして責任を転嫁してやがる。 え? 人間が出すガスはわずかだし、ガスに含まれるメタンはごくわずかだ? 牛のゲップに比べたらほんのわずかにすぎない? そうか・・・じゃあ安心して毎日こいていいというわけだな。 しまった。干柿がおいしいというお話にするつもりだったのに、また下ネタになっちまった。 2010/1/26
CAMBIOのような小さな商店は、いわばタコツボのようなものでありまして、一日の大部分をその中で過ごす店主は、時々外に出てわが姿を確認しないと、本当にタコのようになっているのではないか、と時々不安になります。そこで日曜日になるとあちらこちらのお店をのぞいて歩き、お客さんの立場になってものを考えてみようとするわけです。
先の日曜日は松本駅前の某デパート周辺や伊勢町界隈のお店を・・・と思って繰り出したのですが、いやはやどこも寂しいこと。デパートの中はお客より店員のほうが目立ち、商店街はシャッターが閉まったままの店が多く、すっかりたそがれの街になっていました。それは日本中の地方都市が抱える共通の悩みのようで、県下有数の都市である松本でさえも例外ではないことをタコ店主は知ったわけです。 それはひとえに人々の移動手段がバスや電車から個別の車になってしまったことが原因であることは明らかで、松本の駅前からわずか数キロの新しいショッピングモールは駐車するのも容易ではないほどの混雑ぶり。今は大型店が一箇所に集まって駐車場が広いところでないと買い物客は集まらないようです。 でもね・・・。それじゃつまんないよね。買い物ってのは目的のものを手に入れるだけじゃなくて、いろんな店で値段の違いや品揃えの多さや店主のタコぶりを見た上で、買うものを決めるっていう楽しみがあると思うんだけどね。大型店ばかりが集まったショッピングモールは買い物が一箇所で済むという利点はあっても、そんな買い物の仕方を楽しむっていうことはできないようになっているんだな。 自然界では、たとえば植林された杉や桧の単層林には生き物が極端に少なかったり、微生物を善玉も悪玉もいっぺんに殺してしまう土壌殺菌をした土で育てた作物は、病気にかかりやすくてまずかったりします。商店街が廃れ、大型店がはびこる地方都市は、そんな多様性を排した場合の自然界の法則と軌を同じくするのではないでしょうか。買い物も一種のブンカであると考えるタコ店主は、小さな商店の将来を案じるのでありました。2005/2/2
「食育」という言葉がメディアで最近目立つようになってきた。そこでネットで調べてみると、農水省のHPでは「食育」とは『「食」をめぐる現状の変化に伴う様々な問題に対処し、その解決を目指した取組』であると定義されている。なんと平成17年には「食育基本法」なる法律までできていた。
お役所の言葉をコピーしてもわかりにくいので八百屋のオヤジ風に解釈すると、食べものがあふれるようになって食べものも食事もぞんざいにするガキどもが増えてきたので、ここらでちゃんと教えとかないと身体ががたがたのやつばかりになって医療費は増えるし、中国産の食べものばかりになってはいざというときにちょっと困るので、今のうちにいろいろなことをちゃんと教えといたれや、ということなのである。 その趣旨やごもっとも。でも食べものに関わるものとして考えると、食べものを農水省の角度から見ただけでは根本的なことが見えないのだろうなと思う。文部科学省も経済産業省も厚生労働省もはたまた防衛省もかかわってこなくてはだめなのだよな、きっと。 食事と教育を足して2で割ったような食育という言葉を、教育現場での食事である給食で考えると、現状はずいぶんと食育基本法の精神には反するようなことが多いような気がする。 効率化という理由で自校調理をやめ、調理センターから冷めた食事を学校に配る。規律(って何のこと?)が乱れるので無言で食べるように指導する。牛乳が嫌いな子も残してはいけない。などなど・・・。 給食の現場では「食べる」という基本的な生活よりも、行政の都合や学校の管理が優先されていないか。給食の食べ残しを回収して堆肥化を進めている人の話では、自校調理の給食とセンター調理の給食の食べ残しの量を比べると、圧倒的にセンター調理の学校に食べ残しが多いのだそうだ。 おいしく食べるための方法よりも安く作るための方法を選択した給食を前にして、食べることをどう教えるかというテーマも突きつけられる先生も大変だ。学校にかかわる役所がひとつひとつ違うことを言いながら、それぞれがお互いにちっとも協力しない役所に「食育」などを期待するのはそもそも無理なのだ。2007/1/17
先週は小学校の卒業式があり、4番目が卒業してわが子供たちの小学生時代が終わりました。現在二十歳の長女が小学校に入学するときに東京から流れて来たので、小学校との付き合いはこの地での生活の歴史と一致していたわけで、ひとつの時代が過ぎ去ったのだなあと感慨にふけってしまいます。
その当時は見ず知らずの土地での新生活から、小学校の入学式から得体の知れない店の開店まで、1ヶ月のうちに一気にやってしまったのですから、無鉄砲だったなあとも思います。それは今思えば、この土地のことを何も知らず、しがらみがないために余計なことを何も考える必要がなかったからできたのだ、とも思います。 まだ幼かった子供たちは必死に新しい環境に慣れようとしていたようで、学校に行く途中で座り込んで泣いてしまったり、原因不明の腹痛で七転八倒したりとさまざまな訴えかけがありましたが、こちらも毎日が暗中模索だったので十分に対応してあげることができませんでした。 振り返れば、本が一冊は楽に書けてしまうほどいろいろなことがありました。それでも子供たちがなんとか順応して乗り切ってくれたおかげで今日が迎えられているわけで、親も小学校時代を卒業させてもらうこの機会に、子供たちに感謝しなくてはならないと思っています。2006/3/21
やってしまった。いつかはこうなるのではないかとは思っていたのだが、ついにやってしまった。
事件の裁判ではよく、動機に計画性があったかどうかで犯意の深さを推量するらしい。しかし、思いつめて犯行に及ぶ場合は、大体が計画性というには及ばないものの、少なからずいつかはこうなるのではないかという気持ちが積もり積もっているはずだ。今になってはそう思ってしまう。 朝、目が覚めたときに、すぐにやってしまおうと思った。いつものように起きだし、いつものようにしたくを整えると、凶器を手にして迷うことなく一気に事に及んだ。ぐにゃりとした物体を思い切り凶器で切ると、それは音を立てて床に転げ落ちた。さらにもう一度凶器を振るってとどめを刺し終わると、血だらけ・・・ではなかった錆だらけの凶器を戸棚にしまい、私は何ごともなかったように、温めておいたカップに紅茶を注いだ。 こうして我が家のパソコンは、ネットもメールもつかえないただのパソコンになった。子供たちが夢中になった仮想世界や対戦相手とつながるケーブルは、無残にもペンチでちぎられ、あえなく床でとぐろを巻いた。 我が家ではオヤジがキレると、ケーブルも切れてしまうのである。 2006/3/7
わが店の取引銀行の営業担当者は若き独身女性で、ひと昔前の言葉で言えばキャリアウーマンなのである。しかも大変美形なのである。その担当者が結婚して退社することになった。
ああ、もったいない。でも、それでいいのだ。 銀行の総合職というなかなか得がたいキャリアを持つ女性であれば、結婚しても仕事を続けるのが当然という世の中にあって、あえて退社してしまうというのは実に賢い選択だと思う。だって、どんなに仕事ができたって男には子供が産めないのだから。 キャリアを積んだ女性が子供を育てながら仕事を続けられるのは、社会が成熟してきた証拠なのかもしれないけれど、女性が仕事よりも子育てを選択したくなる社会のほうが精神的に豊かな社会なのではないかと思う。少子化が問題になって久しく、さまざまな策を施しても一向に子供が増える傾向にならないのは、そんな精神的な豊かさを社会が認めていないからではないかとも思う。経済的な豊かさだけでなく精神的な豊かさを実感できる社会になれば、もっと子供が増えるのではないだろうか。 翻って我が家の場合を考えると、経済的にはいつになってもマイナス社会ではあるものの、少子化には精一杯の抵抗を試みたおかげで他人から見れば「ビンボー人の子沢山」状態ではあっても、本人たちがノーテンキなおかげで精神的には大変豊かである。 これはこれでいいと言うより、これはもう仕方がないのだ。
私が住む地区では平日に雪が10cm以上積もると、朝5時半から各戸一名ずつが出て雪かきをすることになっている。先週はこの冬初めての出動がかかり、私も万全な防寒体制で暗闇の中をはせ参じようとすると、千切れんばかりに尻尾を振った約一匹の勘違い犬に出くわしてしまった。思えばいつも山に連れて行くときと同じ格好をしているのだから、ヤツが勘違いするのは当たり前なのだ。「悪いな、今日は違うんだよ」と言い聞かせても、手袋、帽子、長靴と山行き3点セットが揃っているのだから、犬が納得するわけがない。雪かきが終わるまでの小一時間、犬は周りの山にまで響き渡るような悲痛な声で、「キャヒヒン、キャヒヒン」と叫び続けていた。
雪かきを終え食事も済ませて窓の外を見ると、犬と目がばっちり合ってしまった。雪の中に座ってあきらめきれない顔でこちらを見上げている。前足を揃えて座り、じっと見つめられると、哀願されているような気がして困ってしまった。「う~ん弱ったな、あいつは山に連れて行ってください、と手をついてオレにお願いしているぞ」と、窓ごしに犬と目を合わせたまま呟くと、後ろで新聞を読んでいた妻は「そりゃ犬なんだからいつも手を合わせて座るのよ。この寒いのにでぇ~っと足を開いて座っている犬なんて居るわけがないでしょ」と言い、自ら「たれぱんだ」のようなでぇ~っとした格好をして見せるのであった。 わが愛すべき同居人たちは、なかなか身体表現がうまいのである。
週間天気予報が発表されたときから、1月21日の土曜日は雪のマークが出ていた。一週間先の予報は変わることが多いので毎日チェックしていたが、ここに来ても変わらないのでどうやら大学センター試験の日はまたしても雪降りとなる確率が高い。
またしてもと言うのは、おととしにすでに進学先が決まっていた長女が半ばお遊びで受けたときも大雪だったからで、迎えに行った試験会場の信大農学部で雪景色を眺めながら、これから立て続けに襲ってくる子供たちの進学ラッシュに伴う経済的困窮に、恐怖とも言える不安を感じて途方に暮れていたからだ。 2年が経ち、農業高校で味噌やチーズ作りを学んでいた長男も進学を志し、恐怖は現実となりつつある。 今の世の中には、日々のお勉強などまったくせずパソコンとケータイに一日のかなりの部分を遊んでもらっている農業高校生にさえ,推薦で入学を誘ってくる私立大学がある。それはもう学生を募集するというよりも、まるで4年間の学生の権利を高校生とその保護者に売りつけている、とも思えるような進学事情なのである。まだ何もやるべきことが見つけられず夢の中を漂っているような状態だった長男も、教師から推薦入学の誘いを受けて自分も大学に進学できないことはないことを知り、ぼんやりとした眠りの状態からいきなり目を覚ましてしまった。 しかし、そんな降って沸いたような推薦での進学は、父親に呵呵大笑の上であえなく一蹴された。 だが一度目を覚ましてしまった長男は、あきらめなかった。担任教師の反対にもかかわらず一般試験での進 学を希望し、学級で唯一進路の決まっていない身となりながらもセンター試験の日を迎えることとなった。 挫折もおまえの成長のためには必要なことなのだ、といういやみとしか思えないエールを送りながら、父親は試験日の天気を、一応気にしている。 2006/1/17
正月休みの最終日に店内の模様替えをした。わずか1日で仕上げなくてはならないので、無意識のうちに根をつめてやってしまったようで、その翌日から久々に腰が痛くなった。寒い季節だから冷えも手伝っていたんだのだろう、と体を温めるように風呂の入り方に注意をして乗り切った。
ところが腰痛が良くなるのと反比例して、今度は左手の手首が痛くなってきた。痛みは日を追うごとにひどくなり、とうとう何をするのにも痛みが伴うようになってしまった。これはもう明らかな腱鞘炎であることを認めざるを得ず、親指の筋がはれるデケルパンという症状であることをインターネットで自己診断した。原因は単純に使い過ぎ。治療法は手を休ませる、薬で痛みを止める、手術する、の3つ。治療法はどれも選択が不可なので、腰痛と同じようにうまくお付き合いをしていく他にない。 周りを見渡せば同じ痛みを抱える人が多く、スタッフFは最近まで手首にずっとサポーターを巻いていた。その痛い個所を「ここか?」などとわざと指でつついて悲鳴を上げさせたり悪さをしたので、腱鞘炎をうつされたのかもしれない。研ぎ玄のKさんも、私と同じ左手首に腱鞘炎があるのだそうだ。 痛くなった個所が左手だったので、字を書いたり重いものを持ったりする日常生活にさほど影響がない、と思っていたのは腱鞘炎初心者の浅はかであった。わずか一週間のうちに利き手ではない左手がいかに働きものであるかを、文字どおり痛いほど思い知ることになった。左手は利き手の右手の添え物などでは断じてなく、右手をうまく動かすためにその段取りや指示さえ出す、実に重要な役割を演じていることに気がついたのである。 研ぎ玄のKさんは木工職人なので、木を切る、削る、彫るという作業を通じて、利き手の右手が道具を動かし、左手が材を押さえるという役割分担をよく知っていた。ずっと同じ姿勢で力を込めて押さえ続けるので、左手が腱鞘炎になりやすいらしい。右手で持つ道具が思わぬ動きをしたときは、真っ先に被害にあうのも左手の宿命なのだそうだ。 確かに日常生活で片手だけで事が足る作業というのはほとんどなく、何でも利き手の右手がこなしているように見えて、実は左手がなくてはことがうまく運ばない。手に限らず、二つをもって一対をなすものは、よくどちらかが主とされもうひとつを従とみなす場合が多い。正と副ということもあれば、大と小になったり、強と弱だったりもする。それぞれに役割があり、場面によって主と従が入れわったり、副があって正が成り立っていたり、大が小の、強が弱の存在に依存していたりする。 そこで私は気がついた。これは何かの関係に似てはいないか、と・・・。 ともあれ、50の齢を越え体のあちこちに様々な障害が発生し、それを通してまた色々なことを悟るようになった。賢く老いていくためには、老いてきたという意識が自分自身の老いよりも一歩前を歩いていなくてはならない。そのためには自分に現れた老いのサインを見逃さないことが大事である。 30代に苦しんだ腰痛も痛かったけれど、この腱鞘炎はそんな痛みの再来を予期させる。痛い目に逢わなければなかなか学習しないのは賢いとは到底言いかねるけれど、それをまだ未熟の証しとして、忍び寄る老いを払う魔よけの札代わりにしようかと思っている。
ある朝のこと、オヤジはトイレに座り込んで朝のお勤めを果たしていた。その息子、中学2年生は学校へ行く準備をしながら、少し離れたトイレの中にいるオヤジに話し掛けた。この半年で明らかに声が低くなった息子の声をオヤジは扉越しに「あのさ…、ちょっとアソコがおかしいんだけど…」と耳にした。
オヤジは驚いた。これはきっと息子にとってはただ事ではない、なにかが起きたのだろうと思った。そして、息子が母親には聞えない時を見計らってそんな話をしてきたのだろう、と彼の気持ちを察した。こちらがトイレに入っている時ならそんな恥ずかしい話もしやすいと思ったのだろう、中学2年生という微妙な年頃だけに身体の性的な変化に驚いているのではないか、と一瞬で解釈を下した。 間髪を入れず、オヤジはトイレに座ったままガバッと扉を開け、「どうした。チ××がどうかしたのか?!」と彼に問いただした。ダッフルコートを来てかばんに教科書を詰めていた息子は、どうしてそんな問いが自分に向けられるのかわからない、といった風情で立ちすくんでいた。それでも気を取り直して「いや…、ハードディスクは動いているんだけど、モニターに何も出てこない」と言った。 なんだ…、とオヤジはつまらぬ勘違いをさせるような息子の言葉づかいに腹が立った。 オヤジは最近インターネットに夢中の息子の日常が少し気に入らなかった。食事中にもチャットの会話の中身を一方的にしゃべってきたりするので、そろそろ制限をかけないとまずいかな、と思っていた。そこにパソコンの不具合をとうとう「アソコ」とまで抽象的な言い方でするようになった。おかげで朝から要らぬ勘違いをして、お下品な言葉まで口走ってしまった。「困ったヤツだ」とオヤジは思った。 その晩、オヤジは息子を捕まえて今朝の話を蒸し返した。ところが、どうも話がかみ合わない。息子は「アソコ」などとは言っていない、と主張するのだ。おかしい…。どうやら彼が「パソコン」と言ったのを、トイレに座り込んでいたオヤジがPとNを聞き飛ばして、勝手に「アソコ」と勘違いしたのが真相のようだ。「困ったヤツ」の立場は逆転した。「パソコンが…」と言ったらいきなりトイレに座ったまま扉を開け、しかもお下品な言葉で聞いてくるオヤジを、息子は頭がおかしくなったのかと思ったという。そうか…、そう思われても仕方がない出来事だ。でも、理解して欲しい。キミが話し掛けた時、オヤジはそう連想してもおかしくない場面だったのだから…。2002/1/29
年末のある日曜日、松本に出かけると陶器屋さんの二階で古い陶器の展示会が開かれていた。明治の初め頃、日本で始めての洋食器が作られた頃のもので、その展示の傍らでは1セットでウン十万円もする洋食器が売られていた。こんな高い食器で食事をしたらおいしいものも喉を通らなくなるのではあるまいか、と根っからのビンボー人である八百屋のオヤジは思ってしまう。だが、そのくらいの値段のものになると、生活のための食器ではなくひとつの美術品である。これは使うものではなく見るために置いておくものなのだ。使うことのあるなしに関わらず、いいものは見て知っておく価値がある。自分のものとなるかどうかも別として、いい物を知っておくことはひとつの素養でもあるのだ。ため息をつきながらウン十万円の洋食器で目を十分に養い、その値段に触発されて大奮発。千円の御飯茶碗を求めて家路についたのであった。2005/1/18
確か今年の冬は暖冬になるという予報だったような気がするのだけれど、暮れも押し迫ってからぐんと寒くなり、北のほうの雪も平年の1.5倍ぐらい降ったそうだ。そもそも予報自体は「平年より暖かくなる確率が40%以上」という何とも曖昧なものなのだから、それをもって「暖冬になるはずだ」と決めつけてしまうほうがおかしいのだ。いわゆる「情報」というものが世の中にあふれるようになって、いつの間にか人間は自分で判断することなく、他人の言うことの受け売りで物事を決めつけるようになってしまった。それはあまり良いことではない、と私は思う。
文字や画像、音声などを使って様々な情報を伝えることは、人間だけが使いこなせる高度なワザである。その情報を伝える技術がこの数十年で飛躍的に進歩したおかげで、人間の動物的な感覚と判断力は飛躍的に退化しつつあるのではないか、と思うのだ。他の動物たちとは違って秩序のある社会生活を営むことができる人間は、動物的な感覚を失ったとしても、それをどこかで誰かがカバーしてくれるので、それほどダメージを受けることなく生き続けることができる。そんな動物的感覚を失った人が多数を占めるようになると、やがてそれが社会生活の常識となって世間がカバーしてくれるようになるのである。 私はそんな動物的な感覚を大切にしたいと思っている。他人に判断を委ねたり、情報の受け売りで物事を知ったような気分になりたくない。失った能力を社会生活に取り込まれることでカバーしてもらおうとも思わない。自分に備わっている能力や感覚を最大限に発揮して生きていたいと思っている。 我が家の台所は、設備屋の設計ミスによってまともにお湯が出ない。調理でも洗いものでも蛇口からほとばしるのは一年中冷たい水である。とくに冬の水の冷たさといったら、これはもうひとつの拷問ではないかと思えるほど冷たい。食器を洗う時はまだしも、台拭きを溜め水で2枚も洗ったあとは手はしびれて何も感じなくなり、全身が凍りついたようになってしまう。急いでストーブに手をかざすか、寝っ転がっている子供の素肌で温めてもらうのだけれど、だいたい手痛い逆襲を食う。 そんな台所で、15年も毎日食事を作ってきたわがカミさんは、偉い!と思う。サボることなく毎日自分の食器を洗ってきた子供たちも、偉い!とほめてやりたい。ずっとその不具合を放置してきたオヤジはみんなから、アホ!ビンボー人!甲斐性なし!カエルの面!と言われても仕方がない。 でもね、みんな、考えてごらんよ。犬はどんなに寒くたって外で丸まって眠っている。北極圏ではマイナス50度になっても、犬は平気で雪に埋もれて眠るそうだ。羊も暑さ寒さに強いから、世界のいたるところで飼われている。不確かな記憶ではあるけれど、犬と羊が動物の中で一番環境適応力が強いから頭数も多い。ただし、羊は外敵に弱いから群れを作らなくては生き抜けない。 じゃあ人間はどうなんだ? 社会という群れを外れてしまうと、環境適応力はかなり低い。知恵に恵まれているから増え続けてきたけれど、自分たちの都合で変えてしまった自然環境の変化についていけなくなりつつある。社会環境の変化にも意外と弱くて、目に見えない部分を病んだりしている。 炭素がどうの、石油がどうの、下り坂の経済がどうの、少子高齢化がどうの、という中で生き続けていくためには、なにが一番必要なのか考えてみてほしい。ビンボーオヤジが思うには、これから必要なのは個である生き物としての強さ、動物的な能力の高さなのだろうと思う。自然環境の変化についていくために、それが必要であることは言うまでもない。社会環境の変化にもついていくためにも、その強さがなくてはならない。なぜかと言うと、群れの論理や不条理に耐えるには、精神的な強さが必要だ。それに耐えられないか嫌いなら、群れを頼らない生き方を選ばざるを得ない。自分で道を探し糧を得て暮らさなくてはならない。その時には羊ではなく犬のような環境適応力が求められるのだ。 今年から気象庁は桜の開花予想をやめるらしい。理由は長期予報以上に当たらないし、民間気象会社のほうが正確だからだという。桜の開花予想には休眠打破からの積算温度、つまり一番寒い日から温度が上がり始めて、桜の樹が目を覚ました日からの温度を積み重ねて、一定の温度を超えると花が咲く。その一番寒い日を特定するのが難しいのだそうだ。つまり、桜の樹も寒さを乗り越えないと花が咲かないということなのである。 人間も冷たい水で鍛えておくと、きっときれいな花が咲く。ビンボーオヤジはそう信じている。
海外にはごくわずかではあるけれど、オーガニックの蜂蜜というものがあって、蜂が蜜を求めて飛ぶ巣箱から半径2km(これも不正確な記憶なので間違っているかもしれない)に、除草剤はもちろん化学的な薬剤を全く使用していないことが求められるのだそうだ。ニュージーランドの原野ではそんな蜂蜜をとることができるらしいが、日本ではおそらく不可能だと思われる。半径2kmが原野である場所は探せばあるかもしれないが、蜜源になる花が十分に咲いていなくてはならない。それはもうほとんど仮想の桃源郷の世界で、現実的ではない。
西洋蜜蜂を飼い蜂蜜採取を生業としている人たちは、一年中花を求めて南から北へと旅の生活なのだそうだ。トラックに蜂の巣箱を積んで、冬は暖かな九州で蜂を休ませ、花を追って北海道まで移動していくという。5~6月には松本周辺がニセアカシアの花期になるため、私も蜂箱を川べりの林の中で見たことがある。 浅村明さんの家は四方を山に囲まれていて、地図で見ると一番近い集落までは直線距離で約1km。明さんは「蜂は2kmより遠くまで飛ぶけどな」と言う。でも明さんの家から2km四方を地図で見ても、家の数はわずか数軒、畑の面積などものの数ではない。家の周りにおかれた巣箱から蜂たちが飛び立って蜜を集めてくるエリアは、極めて良好な自然環境である。 ![]() 浅村明さん宅 それでも明さんは家の周りの畑に、蜂の蜜源になるように赤そばを蒔くのだという。「高嶺ルビー」という信州大学と宮田村の企業が育成した赤い花が美しいそばだ。種は1リットルで1万円也。それでどれだけの面積にそばができるのかと問えば、「五畝(5a)がいいとこ」 ということは一反歩(333坪)にまいたら種代だけで2万円。9月ごろも花の盛りは、「ほんとにきれいだよ」 という明さんは、お金よりも自分の理想を優先させる人なのだ、と私は確信した。 そんな明さんだから、蜜の仲買人が1.8リットル1万円で引き取って、売る時はわずか150gで1万円近い値段をつけていたことが許せなかったらしい。仲買人は採.蜜量が西洋蜜に比べて少ない和蜜であることに加えて、赤そばを蜜源としていることでポリフェノールなどの成分が飛躍的に高いことに目をつけて、ひと商売もくろんだらしい。健康ブームに乗ろうとすれば、和蜜に赤そばはまたとない付加価値である。 私たちの店はそんな健康ブームの付加価値は一切必要ない。この山の中で暮らしている明さんが蜂のために赤そばを蒔いて、「一番大変なのはおれじゃなくて蜂たちだよ」と言いながら搾った蜜は、そんな安っぽい付加価値以上の価値がある。だから、必要以上の値段は付けない。225ml(280g)で1890円、450ml(560g)でも3360円。明さんが希望する価格である。 ![]() 明さんと蜂の巣箱、蜂は巣の中で蜂玉を作って越冬中 この和蜜に私たちが価値を感じるとすれば、そんな値段で蜜を分けてくれる明さんの意思であり、携帯電話の電波も届かない山の中で暮らしながら、蜂やクマやサル、イノシシたちを見ている明さんの存在なのである。 最後に、蜂蜜をCAMBIOに届け、明さんを紹介して下さったSさん一家に感謝します。今後Sさんの作成する器やクラフトの展示販売も計画中。どうぞお楽しみに。
国道19号から木曽川を渡って旧三岳村に入る。今度は王滝川を渡って上松に至る山道を少し登り、山間の温泉宿の前から枝道に入ると道は険しくなり、しかも雪で凍りついていた。4輪駆動のバンで来たからいいものの、2輪駆動の乗用車だったら登れなかったかもしれない。
そんな険しい道を登ってたどり着いた先に、東京から移住した一家が住んでいる。二人の小学生は、この道を歩いて学校まで通っているのだろうか。街に住む人は、こんな所を選んで住もうとする人の気持ちがわからないことが多いのだけれど、私にはよくわかる。街で商売をしていなかったら、きっと私もこんなところを探して住んでいただろうと思う。この一家の姓が私と同じなのは全く奇遇なのだけれど、この人たちのおかげでまた宝物のような人を掘り当てることができた。 四方を山に囲まれ、つい20年前まではこの険しい車道もなかったという土地で、代々800年から1000年の歴史があるということは、まず落人という端緒があったと思われる。その末裔の血が騒いだのか、浅村明さんは昨年の秋にクマと戦ったそうだ。「噛みついてきたからよ、手で殴ったんだよ。そしたら手が口の中に入っちゃって、手のひらを牙で裂かれて小指は奥歯で噛み砕かれちまった」 おでこには爪で掻かれた痕がミミズのように残り、「それでも頸動脈を引っ掻かれなかったから助かったんだな」と涼しい顔でおっしゃる。「頭から赤いペンキをかぶったのか?」と、家までたどり着いた明さんを見つけた隣家のSさんは思ったらしい。「熊は木の皮をむいて食べてたんだ。あの衆もサルやイノシシに餌を先どりされて困っているんだよ」という明さんの発想は、ここで生まれて73年を生きた、周りの生きとし生けるものをみんな隣人と思う文字通りの「山びと」でなければ出てこないものだろう。 ![]() 熊の口に入ってしまったという明さんの手は、二人分ぐらいの厚みがありそうな分厚くて筋肉の塊のような手だった。山仕事で鍛えられた手だ。昔、大鹿村でカボチャをかっぱらって叱られた、樵のNさんの筋肉で盛り上がった肩を思い出した。山で生きていくには、筋肉が必要なのだ。50代で脂の腹巻を締めた八百屋は、羨望のまなざしで明さんの手を見つめたのであった。
おいしいおむすびやおこわを作ってもらっている「このはなや」の看板に茶々がついて、店名を変えなくてはならなくなった。どうやら県内の漬物屋さんが商標を登録してあったそうで、その権利を侵害することになってしまうのだそうだ。「けっ!」と言いたくなるつまらないお話なのだけれど、それを彼女たちは実に上手に乗り切ったのである。この看板をご覧あれ!
![]() 「このはなや」は「こめはなや」になったのである。この看板を見た人が前の店名からどうやって変えたかを知ると、まずは感心するだろう。そして、笑みをこぼすだろう。店名を変えるということは、せっかく作った看板を作りかえるということになるのだから、大変な出費と労力を強いられるものなのだけれど、「の」から「め」に変えるのは実にカンタンだったのである。 しかも「木の花」から「米花」という変わり方もうまかった。店では自分で育てたお米を使っているし、いろいろな種類のお米を同じ田んぼで混ぜ合わせて育てた「混植なかよし米」なんていうカラフルなお米を作ってもいるだけに、米の花は店の名前としてぴったりだったのである。 ![]() 国道153号沿いに建つ立て看板もこのとおり。旧三州街道小野宿の町並みの中にある「こめはなや」は、農家の手作りごはんとお菓子の店。2軒隣りの数々の民家写真集に登場する、立派な本棟造りの「小野宿問屋」も見もの。
あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。 6日より店内の模様替えを行い、昨日7日より営業を始めました。 模様替えを1日で完了し、2階で営業していた研ぎ玄は、新年より1階で営業しております。 店内の配置がやや変わりまして、今まで赤い扉を入るとジュース・お茶・コーヒーが右側に、正面にお菓子の棚が配置されていましたが、模様替え後は、右手はせっけん、正面に研ぎ玄、となりました。お菓子と飲み物は一番奥の通路の両面、つまりせっけん・化粧品のコーナーに移動しました。そして、化粧品が今まで本棚のあった壁に、本はお菓子の並びの一番右側に移動しております。 どうぞ店内で迷ってみてください。今までとは違うものが発見できるかもしれませんよ。 本来はこのようなお知らせは、お知らせ・新商品のブログでお伝えするはずなのですが、ちょっと不具合がございまして、この雑言ブログで代行いたします。 とりあえず、新年より変わりました部分をお知らせして、年初めのご挨拶とさせていただきます。 え? 正月はどこへ行ったかって? 色々な所へ行ったのですが、今週はクイズにしてみました。 さて、下の写真は一体どこでしょうか? これだけで解るかよ、ってか? ヒントは「日本三景のひとつ」であります。それで長い松林といえば・・・? ![]()
とうとう大晦日。毎年大晦日は、午後の3時で店を閉め、もう人通りの少なくなった道を家に向かう。県外の方にはわからないだろうけれど、この信州では大晦日の午後になると各家で「お年取り」という宴が始まるのである。関東では、大晦日は年越しそばを食べて、元旦におせちのお重を開いて・・・だったので、この大晦日からおごっそうを食べて、酔っ払って2年参りに行くという風習に、最初のころは驚いたものだった。
でも、八百屋の生活はいつも大晦日の夜まで仕事だったから、今も全く「お年取り」には縁がない。寿司やらオードブルやらのおごっそうにも、縁がない。来年は御柱だけれど、それにも血がちっとも騒がない。人の育ちは育った土地で身に着くものだから、17年住んだくらいでは何も変わらないのである。 さて、今年のお出かけ日記のトリは・・・、 ![]() 8月の下旬になって、乗鞍に行った。森や高原ばかり歩いていたので、ピークを踏みたくなったのだ。雑言にも書いたけれど、例によって月曜の午後、店を抜けだして駆け足で登って帰ってくるという、地の利を生かした山登りである。バス停から頂上まで標高差でわずか250mほどだから、慣れない足でも3時間あれば登って下りられる。ただし、天気が安定していればですよ。 ![]() 狭い頂上にはこんな鳥居と奥宮が建っている。一応3000mだから、眺めはなかなか良い。立っているひょろ長い男は、山椒魚、息子Rなどと名を変えて今年のブログに登場したわが長男。 この2週間後に、畳平にクマが出て大騒ぎになった。 ![]() みなさま、よい年をお迎えください。 来年もCAMBIO、ならびにこのブログをご愛顧くださいますようお願い申し上げます。
今年もあと二日。今日12月30日は食べ物商売の、一年で一番忙しい日である。ここを乗り切らなければ正月が来ない。いくらバテても、へばっても、疲れたなんて言ってはいけない日。何とか乗り切りそうな時間になったけれど、さて! 正月は果たしてやってくるのであろうか。
8月はもう一度印象的なお出かけがあった。お盆前の月曜に、迫ってくる台風を横目で見ながら、懲りずに松代まで行ったのだ。長野市松代と言ってしまうと、つまらない。ここはかつて、日本の一大中心地になるかもしれなかったのだから。 ![]() 江戸時代末期の建築という、藩校である。昭和の30年代まで現役の学校として使われていた。板張りの広い床の両脇に、畳敷きの控えの間。剣術の稽古が目に浮かぶ。布と素足で磨かれた床の光は今も生き生きとして、軟弱な私の精神は跳ね返されてしまいそうだった。 ![]() 松代大本営の壕内。この中にはたくさんの××××が漂っていて、帰ってきてから不思議な熱に冒されて、こんなうわごとまで書いてしまった。
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