最近は東京の都心などへ行くことがないので、今はどうしているのかよく知らないのだけれど、銀座や有楽町の駅周辺には靴磨きのおじさんたちがたくさん座って並んでいた。仕事でそのあたりをよく歩き回っていた私も、スーツに革靴という一丁前の格好をしていたから、靴がピカピカになるということはうれしかったし、他人に履いたままの靴を磨いてもらうというのはどんな気分なのか興味があって、靴磨きの前を通るたびに一度靴を磨いてもらおうと思いながら、とうとう果たせぬままスーツと革靴の世界から飛び出してしまった。
高い代金を吹っかけられそうでもないし、あちこちにいろんな人が座って待っているというのに、どうして靴磨きをためらったのかといえば、自分の親と同じような歳の人に向かって足を突き出すということに抵抗があったからだ。絵にかいたような親不幸息子だけに、こんなことを書いていることを知ると実の親は呆れかえってしまうだろうけれど、自分の中に残っているきわめて古い部分がこんな時によみがえることがある。
戦争も闇市も知らないけれど、自分も「昭和の人間」なのだなあ、と最近は思うようになった。