もうずいぶん昔の話だけれど、毎日東京の都心に出向く仕事をしていたことがあった。地下鉄が乗りホーダイになる定期券を買って、網の目のように張り巡らされた地下鉄を、縦横無尽に乗り継ぐ毎日だった。地下鉄の駅は、ほかの路線へ乗り換えたり地上の目的地に向かう時に、慣れないとわかりにくいものなのだが、その迷路を覚えてしまうと、一転して実に使いやすい乗り物になる。
それでも地下では東西南北がわかりにくいし、目標の建物や交差点などが見えないから、全く初めてのところに出向くときは、なるべく早めに地上に出た方がわかりやすい。私は結構天然のコンパスが備わっているほうなので、地上への出口で地図を見れば、滅多に迷うことはなかったけれど、方向音痴の人にとっては、この地下鉄という乗り物はなかなか酷な乗り物なのだろうと理解できる。
地下鉄という空間は、窓からは暗闇か灰色のコンクリートしか見えず、いつも暗くて圧迫感があるので、私は嫌いだった。都心を離れ、会社の事務所があった郊外に向かうと、電車が地上を走るようになる。窓から景色が見え太陽の光が差してくると、どこか気分がホッとしたものだった。
最近は、その地下鉄の中で、乗客同士のトラブルが多いのだそうだ。ちょっとしたことで、すぐに殴り合いになったりするらしい。駅員が暴行を受けることも多くて、暴力防止のポスターがシリーズで作られるくらい凄いらしい。私も昔、乗客同士が殴り合いになった時に居合わせたことがあるけれど、いきなり無言で2人が目を血走らせて殴り合いを始めて、たいへん驚いた。
会社でストレスをため込み、狭い電車にひしめき合って薄暗い空間を通う。隣り合う見ず知らずの人間が、不愉快な存在に見えてくる。ちょっと体がぶつかっただけで殴り合いになったり、その意思がなくても痴漢にされてしまう。地下を徘徊する都会の生活は、もう人間の限界を超えているのかもしれない。地下鉄は、人間をドブネズミ化させてしまう乗り物なのだ、と私は思う。