もう四半世紀も前のこと、結婚を前にしてわれら二人は埼玉の所沢でアパートを探していた。どの不動産屋にも気に入った物件がなく、その日も不動産屋の車で物件をいくつも見て歩いた結果、あきらめて帰ろうかと思い始めていた。ところが、最後に不動産屋が「ダメもとで見てみませんか」と、東所沢という武蔵野線の駅の物件に案内してくれた。「東所沢なんて、冴えねえところだ・・・」と後ろの座席で不貞腐れていた私は、車が東所沢に近づくと思わず身を乗り出していた。「おお、いいじゃないか、このあたり…」さっきの不貞腐れはどこへやら、すっかり畑の真ん中のアパートが気に入ってしまい、その場で東所沢に住むことを決めてしまった。
何が私をそうさせたかといえば、ひとえに空の広さであった。のびやかに広がる青い空と、のんびり浮かぶ白い雲。それ以来、住まう場所を選ぶ最大の要件は空の広さになってしまったのである。
だから、いま住まう上伊那は空が広い。どうしようもなく広い。家からの視界は直線で最大30kmほど。その広い空は毎日いろいろ風景を彩ってくれるけれど、夕方の雲は特に美しい。
梅雨明け直後のある日の夕方の空に、空を駆けている観音さまをみつけた。西の夕日に向かって両手を広げ、左足を西駒に掛け、右足を大きく跳ねあげて駆けていた。なかなか豊満なお体で、棟方志功の版画にお出ましになる方を想像させてくれた。
東の里山からはヒグラシの大合唱が始まり、夏の一日がゆっくりと溶けるように暮れていった。