今年は春から毎週のように、野山を歩き回ってきた。以前であれば、山に登ることが最大の目的であって、足元に咲きている花に目が行っても、それが何という花でなぜそこに咲いているか、までは意識が至らなかった。ところが、今年は山に登ることよりも山を歩くこと、つまり山で時を過ごすことを目的にし、草や花や木の営みを詳しく知るようになると、この足元の世界が面白くて、毎週のように出かけるようになってしまったのである。
平地から高山帯までの標高や、高原や湿原、谷沿いから尾根の上などの環境に加え、多雪地と無雪地も条件に入れて、行く場所を選択した。そうやっていく場所を選択してみると、毎週の休みというのがわずか半日だけであっても、この岡谷からはありとあらゆる自然条件の山歩きができることもわかった。野に咲く草花の図鑑を広げてみると、撮影地はこの信州周辺と北海道が圧倒的なことからも、条件に恵まれていることがわかる。
雪が消えたばかりの5月に花を咲かせる草は、真夏には葉からとりこんだ栄養分を根に蓄えて、来るべき冬と来年の花のために備える。その隣に生えてきた秋に花を咲かせる草は、春から蓄えた栄養で花を咲かせ、遠くまで飛ぶように綿毛を付けた種をばらまいて、一年だけの命を終える。山にはただ草が生えているだけに見えるけれど、そこに生えるためには、土地と草の条件が折り合い、すさまじい競争に勝った者だけが葉を茂らせることができる、実に厳しい世界だ。
平均80年も生き続け、知恵に長けた人間から見ると、わずか一年で命を終えてしまう草花は、とるに足らない命に思えてしまう。畑が耕作放棄になると、わずか半年で外来種の草のジャングルと化し、翌年には違う種類の草が繁茂し、5年たつとさまざまな草が混生して草原に戻ってしまう。畑という人間が管理する自然の中では特殊な空間は、草にとっては格好の生息候補地であって、人間と自然の戦いの場なのだ。だから、人間が植えたものだけが、うまく育つように管理し続けるというのは、なかなか業の深い仕事でもあるのだ。2010/10/12