雨を願っていたと言うと嘘になるが、雨もまた良しと思っていたのは事実である。ガスが去来する中の濡れた紅葉が意外と好きなのだ。晴れた日のハイコントラストは誰もが美しいと感じるけれど、雨に濡れて落ち着いたトーンの紅葉は、山を登るだけでなく、山で時を過ごす楽しみがなければ感じられない贅沢である。土が、木が、落ち葉が香りを立て、身体が山の精に包まれるように感じるのは、雨の日に静かに山を歩く者の特権なのである。
紅葉めぐりの3週目は、瑞牆山の麓を歩いた。ここが紅葉めぐりの本番と位置付けて、前2週は紅葉の進み具合を確かめながらこの日に狙いを定めたのであったが、今年の陽気は10月下旬になってもまだ暖かく、この瑞牆山麓も紅葉の盛りには少し早かった。
瑞牆山荘に車を置き、ミズナラの森を登っていく。この道は富士見平を経て、金峰山と瑞牆山に向かう道だから、昨日の日曜日にはきっとたくさんの人が通ったことだろう。首都圏から近く、百名山を二つ登れるルートであることに加えて、紅葉の時期でもあるのだからどんな状況であったかは容易に想像がつく。それに比べてこの雨の月曜の静かなこと。
10分ほど登ったところで林道に出、落ち葉の積もった林道を歩く。ミズナラのどんぐりが、この量なら不作とはいえないだろうと思えるほど、たくさん落ちている。
山肌の木をよく見ると、一本ずつみんな形も色付き方も違う。これからあの尾根を下ってみよう。
足元にも色とりどりの落ち葉が積もり、雨の湿気で葉が生き生きとしている。
木々の間から瑞牆山の壁が見える。固くて登るには気持ちのよさそうな岩だ。
林道から尾根を下る道に入ると、シャクナゲが増えてきた。この瑞牆山はシャクナゲの山としても有名なのだ。来年は6月ごろにも来てみようか。
何十年分もの落ち葉が積もった尾根道。無数のどんぐりを踏みしめて歩く。向かいの尾根で鹿が鳴く。
落ち葉の絨毯のようなフカフカの道。どんぐりが早くも根を出している。やがて舗装された林道に下り、大規模に整備された公園を避けて逆方向に向かう。こんな贅沢な絨毯の上を歩いてきたのに、人工的に作られた公園に出てしまったら興ざめしてしまう。
道端のヤマボウシの木にたくさん実がなっていた。色といい形といい、どこから見てもおいしそうなので、口に放り込んでみると甘酸っぱくておいしい。パパイヤの味と評する人もあるけれど、八百屋の端くれとしてそれはちょっと無理があると思う。ヤマボウシは6月ごろに白い大きな花を木が白く見えるほどたくさん咲かせるけれど、秋にはこんなおいしい実を恵んでくれるのだ。これからはその在り処をよく覚えておくことにしよう。
紅葉と言えばカエデが代表だけれど、このゴヨウツツジもきれいに色変わりする。花の咲かない時期はひっそりと大きな木の下で生きている木も、一年の終わりには葉を赤々と燃やして存在をアピールする。山の木それぞれが、生きている証を立てるのが紅葉なのだ。われらはちっぽけな人間ではあるけれど、そんな木々の証を見届けたくて、また来週も山に足が向いてしまうのである。