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2月10日(木) 朝5時少し前、私は高2の次女の声で目が覚めた。「おばあちゃんが呼んでる・・・」という次女の声の後ろから、「救急車を呼んで!」という母の大きな声が上ってきた。普段から私と次女は5時になると起きるのだが、この日の私はなぜか起きる寸前でまた深い眠りの淵に落ちていた。意識がが戻ると同時に、耳に飛び込んできた母のけたたましい声で、何か父の様子に変化が起き、緊急事態が発生したことが理解できた。 階下の父たちの部屋では、父が床に座ってベッドに頭をつき「腹が痛い」と唸っていた。母は「もう30分も唸っているから、早く救急車を呼んでやってくれ」と言った。 119番で用件を伝えて電話を置くと、緊張で口の中が異様に乾いていた。救急車が玄関前まで入れるように、急いで3台の車を移動しなければならない。鍵を持ってまだ暗い外に飛び出すと、もう遠くからサイレンが聞こえてきた。 救急車からは、まず救急救命士が飛び出して父の様子を見るが、認知症だから何を聞かれてもまともな答えにはならない。「こっちが痛い?」と聞かれると「うん」とうなずき、「「こっちはどう?」と腹の反対側をつついて聞かれても、また「うん」と答える。「これはまず病院に運んでからでないと分かりませんね」と救命士もお手上げである。隊員3人が担架で救急車まで運び、T病院に向かった。 父のように戦争を体験した世代は、私たちから見ると痛みを訴えることが少ないように思える。戦地で痛いなどと言っていられなかった経験が、そうさせるのだろうか。その人が唸りながら痛みを訴えるのは、相当な痛さなのだと想像できた。しかし、病院でも答えは要領を得ず、ドクターは朝一番でCTをとるまで痛み止めを点滴するよう、看護師に指示をしただけで病室に移ることになった。 私の店は、火・木・土曜日が入荷日である。東京の出荷センターから、路線便で諏訪のターミナルに荷物が入る。入荷日の朝はまず峠を越えて諏訪へ向かい、荷を積んで店に着く。朝の7時半を過ぎるとターミナルも周辺の道路も混み始めるから、その前に積んでしまわないと朝の開店までに作業が間に合わない。いつもは6時30分に家を出るのだが、この日は病院で6時のチャイムを聞くことになってしまった。 父は個室の病室に入り、いったん落ち着いた。母が準備を整えて長女の車で病院に来るまで、妻にベッドのそばに付いていてもらうことにして、私は日常に戻ることにした。いったん家に帰り、準備をしてターミナルに向かう途中で、なぜか、ふともう一度病院に寄ろうと思いついた。もう混雑する時間になってしまったので、少し時間をずらした方がスムースに動ける。その時間でもう一度様子を見ておこうと思った。今思えば、これが虫の知らせというものだったのかもしれない。 父は、病室で点滴を受けていた。付き添ってくれた妻によれば、ときどき眼をさまして点滴の針を抜こうとするので、目が離せないということだった。私が見ている前でも、点滴の量を調節するバルブを動かそうとするので、「これは触っちゃだめだよ」と、手を放させようとした。その時、触れた父の手が異様に冷たいことに気がついたが、ずっとふとんから手が出ていたからだろうと思った。 病院を出て諏訪に向かう道すがら、この先入院が長くなると生活をかなり変えなくてはならないかもしれないと、今後の行方を考えた。店だけに専念することができなくなることは、この厳しい状況下にあって大変困ったことである。しかし、この状況は自分の意志では何も変えることができないだけに、今は何も考えない方が良いと結論付けた。 荷物を積んで店に着き、木曜日の日常作業を始めると、父のことは頭を離れた。今の木曜日はスタッフが入らないので、すべてを一人でこなさなくてはならない。10時30分の開店までにすべてを整えるためには、何か考えごとなどしている余裕はないのだ。 この日は、風もなく暖かな午前中だった。10時30分を待たずして何組かのお客さんをお迎えした。毎週木曜日に見える私たちのホームドクターであるM医師と、雑談の中で父が入院したことに触れ、これからちょっと大変な毎日になるかもしれません、などと話したわずか5分後に、病院から電話があった。 「容体が急変したので、至急病院に来てください。心停止しているのでマッサージ中です」という看護師の声がいきなり耳に飛び込んできた。私の前には会計を待っているお客さんがいて、店の中では3組のお客さんが品定め中という目の前の状況と、病院でいま起きている切迫した状況が頭の中でぶつかりあった。 電話を置くと、私は何事もなかったようにお客さんの会計を済ませ、臨時休業にする手はずを始めた。突然の急変とはいえ、こんなことが起きることは以前からシミュレーションをしていたから、その手はず通りにすぐに店を閉めようとするのだが、こんなときに限ってお客さんは次から次へとおいでになる。その方に応対する間にも妻から、病院から、「あとどれぐらいで来ることができるか」という電話が入ってくる。気持は焦るが、目の前のお客さんが会計を済ませるまでは、いつも通りに平然としてなくてはならない。 店を閉め、車に乗ろうとすると、再び妻から「あなたが来るまでは心臓マッサージを続けるそうだから・・・」という電話を受けた。あの力仕事を続ける看護師には申し訳ないと思ったので、もうやめてもよいと口から出そうになったが、そういうものではないのだと思い直して病院に向かった。 車で走りながら、唯一のきょうだいである神奈川に住む姉、家を離れて学校に通っている息子二人に電話をして状況を伝えた。これもシミュレーションの通り。こんなときに限って前を40km/h厳守で走るトラックがいる。それでも、普段の自分からは想像できないほど落ち着いて車を走らせた。 病院に着くと同時に、12時のチャイムが町中に響き渡った。病室に入ると医師が待ち受けていた。朝一番でCTをかけたところ、腹部に3cmほどの小さな動脈瘤があった。動脈瘤は大きさが5cmを越えると手術の対象になるが、小さいので様子を見ることにした。今の状況から推測すると、その動脈瘤が破裂して容体が急変したのだろうと思われる。この後の処置の希望がなければ、ここで死亡の確認をさせていただきたい。という説明であった。 私は、父に回復の見込みがないことは明らかだったので、これ以上の処置は何も望まなかった。医師は父の瞼を開け、片目ずつペンライトで照らして瞳孔反応がないことを私に確認させ、臨終を告げた。12時6分であった。
by organic-cambio
| 2011-02-18 19:11
| 日々草記
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