夏の夕暮れ、陽が西の山に隠れると、我が家のデッキにパイプ椅子を持ち出してしばし物思いに耽る。広い伊那谷の向こうに聳えるのは西駒(木曽駒ヶ岳)。その右には経ヶ岳から延びる尾根が幾重にも重なる。伊那谷を貫く中央道には車のテールランプが赤い糸をひき、風切り音が絶えず風に乗って流れてくる。左手の森ではヒグラシが鳴き、何よりも広い空には様々な形の雲が湧く。
一年を十回繰り返すと、四十歳が五十歳になることを忘れていたなあ。いつも今から十年後は、すべてが今のままで十年たったことを考えていたから、十年前からと同じ時間を過ごすと六十歳になってしまうなんて、困ったことだなあ。十年たったら少しは楽になるだろうと思って頑張ってきたけれど、夢のまた夢だったなあ。
椅子にもたれてだらしなく足を組み、ひじ掛けに頬杖をついて視線を空中に漂わせる。風が草をなびかせながら近づいてくる。ヒグラシの声が右から左へ、左から右へと襞のように流れて行く。モズがギチギチと鳴いて縄張りから敵を追い出し、カラスのヒナたちは草原で大声をあげてじゃれあっている。
幸いなことに体力だけには恵まれていたから、多少無理な仕事の仕方をしても身体が壊れることはなかったけれど、これからは少し考えなくては仕事が続けられないだろうなあ。十年たってもわれらの店が続いているなんて保証は何もないし、ゆくゆくは店の始末をどうつけるのかも考えておかなくてはならないんだろうなあ。
西駒のてっぺんに雲がかかり始め、端正な将棋頭山の稜線は見えなくなってしまった。ああ、あの稜線では冷たい風が吹いているのだろうなあ。毎週わずかしか休みがないけれど、信州に住んでこうして山を眺めていられるから、それで我慢ができるんだろうなあ。今週はスタッフに休みを譲ってしまったけれど、来週の月曜の午後はどこの山で過ごそうか。