昨日は長男の25回目の誕生日だった。長男が生まれた頃に勤めていた店では、週1回朝早く出荷センターまで荷物を積みに行く仕入当番があって、彼が生まれた日はちょうどその当番の日だった。朝5時に家を出て行った後に陣痛が始まり、3トントラックに野菜や食品を満載して8時ころに店に帰ってくると、長男はすでに病院で生まれていた。
彼の直感で物事を判断し、なんでも斜に構えるところは、まったく誰に似てしまったのだろうと気の毒に思うこともあった。子供のころの印象の強い出来事は、大人になっても胸の奥深くで生き続け、人間の芯のようなものになる。彼の場合は小学校4年生の時に映画館で観たアニメーション映画「もののけ姫」が強い印象を残したらしく、その後も繰り返し繰り返し何度もビデオで観ていた。
同じ直感がひらめく親子だからわかるのだけれど、おそらく彼は「もののけ姫」の中に編みこまれた壮大な映像のレトリックに圧倒されたのだ。宮崎駿監督の作品にはファンタジックながら大きな自然観を基に描いたものがあって、この「もののけ姫」ともうひとつは「となりのトトロ」なのだと思う。わが長男が生まれて初めて観た長編の映画というのも、はしかの熱にうなされながら毎日2回ずつ観た「となりのトトロ」だった。
背景の木が風に揺れるさまや夕方の空に雲が湧くシーンが、実写以上にリアルに、アニメーションでなければ描けないほどに描き込まれ、その上にストーリーが展開していく。一見するだけでは感じないかもしれないが、その細部に宿るリアルさは、観終わってからストーリーとともに大きな自然観を醸成する。理屈ではなく、目から直感的に伝わった映像で、彼の脳は緑色の刺激を受けたのだ。
長男はその後、中学生から仮想社会に没頭し、今はその仮想社会に関する仕事に就いている。でも彼の胸の奥には、映像が播いてくれた緑色の種の上に、農業高校の実習で触れた土の感触が載っている。今は都会に住んで仮想社会の仕事をしていても、やがてその種が芽を出し葉を広げ、直感的に方向性を変えることになるかもしれない。それは長男だけでなく、一緒に育って同じ農業高校で過ごしたきょうだい3人に共通するかもしれない。
長男のおかげで親も何度も繰り返し観ることになった「もののけ姫」の中で、リアルな描写でいったん枯れた草木が伸びる場面がある。森を守ろうとするもののけたちの長であるシシ神が倒され、山々はみんな禿山になってしまう。そこから再び草木がよみがえり、勢いよく枝を伸ばし葉を広げていく場面。
この一連の場面は、3・11と原発事故から復活していく大地の姿の希望と重なる。こうなってほしいと思う。自然と人との関わりが「もののけ姫」の主題のひとつといわれるだけに、この場面は放射能がばらまかれた今のような状況を想定して描かれたのかもしれない。映画では、禿山から次第に勢いよく緑がよみがえっていく。現実の世界も、アニメーションで草木がよみがえっていくように、緑色の希望が枝を伸ばし葉を広げて実現してほしい、と心の底から思う。2012/6/19