年は早々と6月のはじめに夏の休業予定を決め、この紙面でお知らせしたのだったが、ひとつ大事なことを忘れていた。同じ店の中で営業する「研ぎ玄」に相談もしなかったのだ。「今年はずいぶんと遠くに行くようですね」と親方に言われるまですっかり忘れてしまって、勝手にこちらのスケジュールに合わせてもらうことになった。休み前と休み明けのスタッフの予定を決めた段階で、すでに頭は夏休みに向かって一直線に突っ走ってしまい、お盆前に庖丁を研いでおこうという方の予定を狂わせてしまった。皆様、お赦しを◆子供たちがほぼ巣立って一緒に夏休みを過ごすことがなくなったこともあって、店を移転してからは夏も休まずに営業するようになった。週末に3日ほど休みをもらって、近くの山をうろちょろ歩く程度の夏休みが5~6年続いたが、昨年から再びお盆にまとめて休みを頂くようにした。あまり長く休まなかったのは、認知症の父親が同居していたので、何かあったときは数時間で帰ることができるようにしておく必要があったことも理由のひとつだった。その父が2年前に亡くなって以来、繋がれていた鎖が切れたように遠くに行きたくなってきた◆昨年も梅雨の最中まではじっと我慢の夏休みを送るつもりだったのだが、梅雨明けが近くなって夏の日差しを浴びた途端に頭のてっぺんから泡が噴き出した。遊びたいと思った時に思いっきり遊んでエネルギーを貯めこんだ方が、遊びを我慢して日常を続けるより得るものが多いのではないか。ほとんどひとりの人間の意志だけで動いている店なのだから、その人間のエネルギーのレベルは店の勢いに直結するのではないか。いつまで生きているか解らないのだから、やりたいことはやっておくべきではないか。お金が貯まったらなどと考えていても、永遠に貯まらない確率の方が高いのではないか。要するに、遊ぼうと思い出したらもう我慢が出来ないのだ。そして5日半の休みのすべてを費やして四国の南予をうろちょろし、あっちのテント場こっちの公園でゴロリと夜を過ごし、溜まっていた移動欲を存分に満たして帰ってきた◆それからの1年を振り返ると、苦しいところは相変わらず苦しいけれど、なあんとなくこの数年落ち込んでいた部分が蘇ってきたような気がした。誰が助けてくれるわけでもないしがない店なのだから、せめて自分の身体の奥で燃える火の勢いを強くしなければ、下り坂の経済の中で生き残ることはできない。そこで今年はさらにエネルギーを高めるべく、夏休みもバージョンアップさせることにした。昨年は5日半だったから今年は6日半、昨年は四国だったから今年は・・・。