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このところ街を歩くということについて、あるいはこれからの街のあり方について考えることが多くなった。古本市で街歩きを標榜したことから具体的になってきたのだけれど、もともと街ができていく過程や変遷に興味があったので、ようやく馴染んできた岡谷の街に関われるものなら少し首を突っ込んで考えてみることにした。とは言っても、岡谷に店を構えてはいるが岡谷市民ではなく、岡谷の生まれでもないどこかの馬の骨であるから、きっとお呼びでないだろうと思っていたのだが、意外なことに歓迎してもらえたので、いい気になって集まりに出させてもらっている◆岡谷には昭和11年に建設された素敵な旧市庁舎があって、現在は消防本部として利用されている。来年4月に新たな消防本部ができて移転するのに伴い、旧市庁舎をどう再利用するかを考えるワークショップが開かれている。国指定の有形文化財である旧市庁舎を遺産として残すだけでなく、市民の財産として利用し続けるのにはどうしたらよいかを市民レベルで考えようということ。今までとは違い、行政が主導して結果を形だけ諮るのではなく、下から意見を積んで実現させようという試み。かなり閉鎖的という印象を持っていた岡谷市もかなり変わってきた◆旧市庁舎は、製糸で財を成したひとりの篤志家が建てて寄贈したという。世界の岡谷と呼ばれた時代を彷彿とさせる建物は立派なのだけれど、耐震化を施して安全に使えるよう改修するには数億円の費用が必要だという。さらにひとつの建物をずっと維持していくための年間数千万円にのぼるであろうと予想される費用、行政から独立して運営する団体にするのであればそこに関わる人の人件費はどうするか、などと現実的なお金の話は結構重くのしかかってくる。それでもさまざまな年齢の、多岐にわたる職業の、あちこちの地区に住む市民が自分の街のこととして考えることは、硬直しがちな行政の考え方に対して、一方でお任せ主義で文句だけを言う他力本願の市民に対しても、いい刺激になるだろう。参加しないともったいない◆岡谷の街も中心部がすっかりとさびれ、中央通りはシャッター通りと化してしまった。これは全国どこでも同じ現象で、点在する郊外のショッピングセンターが中心市街地に替わって消費の中心地となっている。こんな現象は、アメリカで30年ほど前から、自動車の普及にともなって街が郊外に無秩序に拡大していく「スプロール化」として指摘されていた。その現象が指摘されたのは、日本のメーカーが安価で良質な製品をどんどん輸出したことでアメリカのメーカーを追い詰めた「日米貿易摩擦」の時代と重なる。それから30年を経て、日本は中国やアジアの国にモノ作りの主導権を奪われつつある。30年で立場が入れ替わってしまったのだ◆その後アメリカでは、スプロール化してガラガラになった中心市街地の倉庫や古いビルをリノベーションしてオフィスや飲食店に再開発する街が注目を浴びた。日本でも地方より一足早くスプロール化した東京で、芝浦の倉庫街や下町の古い商店が注目された。その波はいまや信州にも及びつつあって、善光寺の門前や松本の一部などで数年前からリノベ店舗が増えた。最近は下諏訪の御田町がそうなり、昨年あたりから伊那の通り町周辺も変わりつつある。一旦スプロール化してスポンジ状になった中心市街地は、再び別の形で次の世代が使うようになってきているのだ◆これからこの動きはもう少し進むだろうと思う。大きな資本による開発とは違って、それぞれ小さな点が街中に生まれて広がっていくような変り方だから、時間もかかるし予測しにくい。でも、もともと街というものは、そうして人が少しずつ集まることで形作られてきたところだったのだ。
by organic-cambio
| 2014-12-02 15:23
| 店主の雑言
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