先週の日曜日は東京に出る用があったので、盆も正月も帰ってこなかった次男を呼び出して近況を聞いた。次男は伊那で牧場のアルバイトをしながら農学部の寮に住んでいたが、縁あって東京の小さな会社に拾ってもらい、花のトーキョーでアパート暮らしを始めて3年になる。あの薄暗い寮の部屋で一人遊びに耽っていたオタク青年が、誘惑と刺激に満ちた花のトーキョーに出たらどんな暮らしをするようになるのだろうか。親として少しだけ興味があったのだが、やはり残念なことにというか全く予想通りに、何も変わっていないようだった◆あえて学生のころと変わったところを探すのなら、太ったことだった。まだ自宅から学校に通っている時分に、アルバイトの給料で好きなスイーツを買って帰ってくると、みんなに冷やかされるので恥ずかしそうに服の中に隠しながら部屋に持ち込んで食べていたようなヤツだった。だから、きっと甘いお菓子やケーキをタラフク食って丸々しているのだろうと思っていたのだが、予想を裏切らない太り方だった。4人の中でルックスが一番自分に似てしまった次男を前に、やはりご飯をタラフク食って丸々としている父親は別れ際に「お前、自分が生物であることを忘れるなよ」と、意味深長な言葉をつぶやいたのであった◆こどもたちはもう大人になって、それぞれが選択した道を歩き始めている。道になっていないところを歩いているヤツがいれば、まだ窓際で空を見上げて羽ばたいているヤツもいる。社会の構造が変わって、次男のように会社の中で人間を育ててもらえる環境は少なくなってきた。良い待遇と給料をもらうためには、高いスキルを学生のうちに身に着けておかなくてはならなくなってきた。それはある面で当然だと言えるのだけれど、会社自体の将来も不確実となりつつある時代には、昔のように固有の会社という閉ざされた社会のスキルではなく、社会全般に通じるスキルが今まで以上に必要になってくる。さらに、会社という閉ざされた社会に存在するだけで心も体も病んでしまう人が多い。高いスキルを身に着けたとしても、身体が言うことをきかなくなってしまうのでは意味がない。だから我がこどもたちには社会的なスキルよりも、まず人間として当たり前の生活能力を身に着けられるように、親の私たちは生活してきたつもりである◆その基本は「食う寝る出す」ということ。この3つを最大限優先する生活を送ること。どんなに高いスキルを身に着けたとしても、この3つをおろそかにしていると身体自体がやがて滅びてしまう。ある程度無視して進めなければならないときがあっても、長く続けると身体がサインを出してくれるはず。ウルトラマンの胸についていた赤いランプのように。無視して戦っているとよろよろしてくるはず。3つのうち食うと寝るは五欲に数えられるものだから問題はないとしても、出すは難しいことがあるかもしれない。実際に悩んでいる人はたくさんいるのだから。毎日きちんと出すことができる生活を送ることは、今の時代に生きていく上でひとつの大切な生活能力だと思うのである。