自営業の特権は自由裁量です。何もかもやる本人が決めることができること。それを自由だと思うか不安定だと思うかはその人の価値観次第ですが、自分で商売を始める人はだいたい自由だと思っています。他人の指図を受けたくないというのは大きな動機で、そのために自分で小舟を漕ぎだす人も多いはず。自由の代償は責任ですから、何かあった時はすべて自分で責任を負うことは当然ですけど。
自営業の利益は自分が働いた結果そのものですが、お勤めの給与は身柄の拘束代金だともいえます。自営業は利益を得るためには働く時間を厭わないし、誰かに拘束されているという観念もほとんどありません。人間として生きている時間が限られている以上、結構贅沢なことだと思います。安定した収入には無縁でも、自分が考える通りに毎日の時間を使えることは、何よりも自由だと思うのです。
家の中でも拘束されない自由というのは実に大切なことで、目に見えない関係性の拘束は辛いものです。子供たちに「~しなさい」と言うことで、無意識に子どもを拘束してしまうことがあります。宿題をやらないことで困るのは本人だし、学校で先生に責められるのも本人なのに、まるで親の自分が責められるような気分で子供たちに宿題を強制してしまう。親の観念で子供を拘束してしまうのです。
そんなことは本人の自由だとされていた我が家の子供たちは、クラスでいつも宿題忘れのチャンピオンでした。子どもたちとは親子というはっきりとした上下関係がありますが、夫婦は微妙です。我が家のような家族経営の自営業は、仕事と家庭という両面で補完し合わないと成り立ちません。どちらに軸足を置いているかでチーフとサブが入れ替わる。話し合って決めているわけではありませんが。
カミさんは何かを要求するときに決まって「~した方が良いんじゃない?」と言います。「~してちょうだい」と言われたら意志を拘束されるので拒絶反応を示すでしょうが、「~した方が良いんじゃない?」と提案されて決めると意志は自分のものになる。どうしても譲れない要求があるときは「~するよね?」と言ってきます。これも意志を確認するように要求する言い方。なかなか上手なのですよ。
その一方で私は結構ぞんざいな言い方をしていますが、それは想像にお任せします。でも、一日中密着した暮らしを過ごす相手ですから、お互いを拘束し合わない関係性を保つことを心がけてきました。それを言葉で表すと「忖度する」ということになります。今年になってすっかり意味がネガティブに染まってしまいましたが、主従関係がない場合でもお互いの気持ちを読みあうことに他ありません。