みなさま、今年もどうぞよろしく。新年は数十年ぶりに目を開けて迎えました。毎晩遅くとも10時には夢の中にいますので、いつも新年のカウントダウンまで瞼が持たなかったのです。ところが今年は地域の総代でもあり、神社の越年祭に参列して新年を迎えることに。はあ~みなさん寒い中お元気ですね。総代は何をやっても一年限りなので、新たな体験をしてまた一つ学んだと思うことにします。
新年から家の周りではキツネが運動会を始めて、毎晩鳴声が絶えません。我が家の子犬さんも窓に向かって吼えまくりますが、野生の生き物の世界ですから私たちは布団の中でじっと様子をうかがうしかありません。犬は外で暮らす方が良いのですが、この大騒ぎが毎晩続くと周り近所の迷惑になるので、夜は犬を家の中に入れる家がほとんど。秋はシカでしたが、狩猟期間になったら姿を消しました。
私たちが今の家に住み始めたころ、夏になると家の近くになる電柱の外灯にヨタカがやって来ました。明りに群がる虫をあの大きな口で吸いこんでいたのでしょう。宮沢賢治の童話の世界が、実際に家の周辺で展開されていることに素直に感動したものでした。今も夏の静かな夜更けには、森からフクロウの声が聞こえてきますが、人家は年々増えて人と獣たちの境界線はあいまいになりつつあります。
その境界線がなくなってしまうことは、人にも動物にも良いことではありません。長い歴史を持つウイルスたちは、その境界線をまたいで変化してきたのだそうです。新型コロナしかり。人の営みが拵えていた境界線は、動物たちには管理できない一線です。繊細な生き物は姿を消すことで変化を表し、図々しい連中は一線をまたいで入り込んでくる。ヨタカはそばに家が建つとすぐに姿を消しました。
家の周りに生き物が多いことは悪いことではないのですが、人間は今まで自分の都合で生き物との境界線を変えてきた経緯があります。かつては薪の採集や炭焼きのための里山が動物との境界線の役割を果たしてきましたが、この数十年で山菜ときのこの時だけしか人が入らなくなりました。動物たちが家の周りに増えたことは個体数が増えてだけではなくて、人間の生活が変わったこともあるのです。
境界線だけではなく生き物への視線の向け方も、今までは人間の都合に偏りがちでした。技術が発達して暮らしが便利になるに従って、その偏りは無知に近くなってきました。その無知をあざ笑うように動物たちが毎晩家の周りを飛び跳ねています。犬は騒ぐけれど、私は同じ地面と空気と水の流れを他の生き物たちと共有していることを、毎日の暮らしの中で確認できることが幸いだと思っています。