我が家の息子たちにはオタクの血筋が流れていて、親として彼らが小学生のあたりからその存在に気づいていました。好きなことの細かいことまで覚え、その違いや特徴についてとても詳しく知っている。それがお勉強の足しにならないことばかりで、傍から見るとエネルギーの使い方が無駄に思えるのでした。でもそのことに口を挟まなかったのは、ひとえに自分もそうだったからに他ありません。
ワタシは鉄道オタクでした。今はまた鉄道ブームのようで、オタクの人たちの存在を駅周辺で見かけることがありますが、ワタシはオタク的趣味を固く封印したので何も感じません。中学生のくせにひとりで広島や三重まで夜行列車で出かけたりしたのですが、高校生から山岳部に入って山に登り始めたことで、オタク的鉄道マニアがつまらなくなってしまったのです。だって、世界が狭いんだもん。
それでも高校1年生の夏に始めて大鹿村に来た時、新宿からの夜行列車が飯田線に入るとオタクの血が騒ぎました。伊那松島の駅には大正時代に輸入された英国製の機関車だとか、戦前に一世を風靡した流線型の電車が止まっていたのですから。でも、その後に過ごした大鹿村での夏のインパクトが強くて、古い鉄道車両を追いかけるより広くて大きな山に登ることの方が楽しくなってしまったのです。
山岳部に入ることになったのは、中学生の時に鉄道写真を撮るために重い機材を担いで線路道を歩くことが好きだったのがきっかけでしたから、鉄道オタクが山登りに発展したのだとも言えます。鉄道も山も誰かと競うのではなく、ひたすら自分の指向と向き合うことであるのは共通しています。ただ、小さな違いに意味を見つけるオタク的世界から、山や自然に考える世界が広がったことは確かでした。