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春の湿原に咲く花を見に北へ北へと走った。すぐ近くの山の上にはいくつも名のある湿原があるのだけれど、何せ標高が高いのでまだ冬景色。そこではるか大町の北までやってきた。木崎湖畔の稲尾駅から東に入ったところにある居谷里湿原。人家に近い里山に囲まれた湿原だけれど、いつも静かに花が揺れている。
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 居谷里湿原から国道に戻り北上し、佐野坂峠を越えたところにある姫川源流、親海湿原に。白馬や小谷の雪解け水を集め、フォッサマグナの深い谷を急流で下る姫川の源流は、湿原のほとりから湧き出る小さな泉から始まる。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
今週の月曜の午後は、久々に長野市まで遠出。善光寺の裏通りへ。
![]() 何の変哲もない古い古い商店に見えるし、シャッターの上には「ビニール金松」と書かれているけれど、中はカフェ、古本屋、ギャラリーが入っている。なんか、前に見たことがあるような気がしたら、古本屋のOh塚さんのブログに載っていたこれだった。 ![]() ![]() カフェから奥に進むとマニアックな古本屋があったが、定休日だった。どうも古本屋はこんな古民家再生プロジェクトのキーテナントになっているらしい。カフェのテーブルで話をしている人たちは、どうやらこの奥にあるプロジェクト事務所の人たちのようだった。 ![]() ![]()
横殴りの雪つぶての中を、安曇野の「蔵久」にやって来た。毎年極寒期になると、この造り酒屋の旧家の雪景色を見ながら、カミサンと一年の時の流れを振り返りながらとりとめのない話をする。今年は池がすっかり雪に覆われていて、飛んできたモズが「チェッ」と舌打ちしていた。
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() え、私の写真!? いややわ、やめといてください、こんなしわくちゃやから恥ずかしいわ。え、この絵ハガキ持って? はい、ほんなら・・・。カシャッ! ![]()
11月と12月生まれの娘たちの誕プレに、ふだん娘たちだけでは入らないような店に、食事に連れて行ってあげることにした。娘たちの希望がイタリアンだったので、諏訪の上社近くのトラットリア「チャオ」へ。この店は住宅街の裏通りにありながら、20年も前から評判を聞いていた隠れた名店。子どもたちが小さい頃はとても入れなかったが、出かけても誰も付いてこなくなった数年前から、ようやく足を運べるようになった。
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 娘たちは「おいしい・・・」と言いながらあまり食が進まない。どうやら起きたのが遅くてまだ十分に朝食が消化されていないらしい。坊主頭のおとっつぁんはおバカな娘たちのパスタをかっさらっては平らげ、見事にスケソウダラのようになって店を辞したのであった。
今週もまた行き先が決まらないまま走りだした。岡谷の道路情報盤によれば、和田峠の旧道は8t車以上が通行止めということだったので、乗用車は通れるものと思って登って行ったのだが、旧道の入り口はがっちりとバリケードが築かれていた。
600円払ってトンネルを抜け、とりあえず旧和田村の旧道を下って行った。和田宿の宿場街を通り、緩やかな下り坂を下って行くと、このまま中山道を車で辿って行ってみようか、と思いついた。 その流れに身を任せて長久保宿、笠取峠を越えて芦田宿まではかつて辿ったことがあったが、芦田から茂田井の間は通ったことがなかった。旧国道から細い旧街道に入り、茂田井宿に来ると目を瞠った。 ![]() ![]() このお屋敷は重文に指定された造り酒屋で、地酒では名高い「御園竹」の蔵元。杉玉が下がっているが、まだ枯れたままだから新酒は搾るに至っていないということか。 ![]() ![]() ![]()
どこへ行くとも何も決めずに店を出た。とりあえず松本方面に向かって、どこか山沿いの村でも行ってみようと思った。短時間ではあっても、この月曜の午後は旅なのである。だから、ふらりふらりと走りながら現れる風景や村のたたずまいに、へえ~っと感心したり、なんだこれは?と首をひねったり、う~んと唸りながら推測したりする。そんなひとときを得るには、知らない道、まだ見ぬ地を目指せばいい。実に簡単なことである。
車は松本の市街を通り抜けて、旧四賀村にやってきた。さらに国道を進み、青木村に入る手前で左に下りて行った。ここは旧本城村、今は筑北村という。下っていく道の向こうに、雪をかぶった後立山が見える。大屋根をトタンで囲った家が現れ、里に出た。大ケヤキの案内板があったので、車を降りて見に行った。 ![]() さらに道を下っていくと、篠ノ井線の踏切に出た。見たことがある風景。ここは昨年の秋に来た青柳宿の近くだ。石積みの水路がある旧青柳宿を通り、大きな石を穿った切通しを抜けると麻績村に入った。 まだ少し時間があるので、麻績村の中心を通り抜けて上田に向かうと、「修那羅峠の石仏群」という案内板が目に入った。修那羅峠という名前にココロが惹かれ、そこに居並ぶ石仏を見たくなった。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 居並ぶ石仏がどれも親しみを感じる表情をしている。村の人々が日々の生活の中に見たカミやホトケが、カタチになって並んでいる。権力者が建てた大文字の石像ではなくて、庶民が寄進した小文字の石仏たち。糸の切れた凧のような数時間の旅は、峠の枯葉の中に佇む小さな仏さんにたどり着いた。
カラダが疲れてしまったのだ。疲れにはいくつかのパターンがあって、おつむの疲れ、ココロの疲れ、内臓の疲れ、そしてカラダ全体のフィジカルな疲れ。おつむはふだん使っていないので、ココロは鎧を着けているので、内臓は滅多なことでは音をあげることない作りなので、どれも疲れることはないのだけれど、カラダだけは時々ぐったりと疲れてしまうことがある。
先週も今週も週7日店を開けて、その合間にりんごを取りに行ったり、薪を積みにいったり、山を歩きに行ったり、とカラダを休ませてあげる時間をきちんと取らなかったせいで、週末になったらがっくりと疲れが出てしまったのだ。 だから、月曜の午後はおうちで横になって本を読む・・・なんてことができるのならこんなに疲れることもないのだけれど、やっぱりできないから温泉に行ってボーっと湯につかることにした。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() そのひとりYさんは、楽器用の天然木の無垢材を使ってスピーカーを作る「千万音(ちまね」という工房を開いた。そのYさんの奥方が買い物に見えたので、「御田町にCAFÉ はないの?」と聞いてみたところから、今回の路地歩きは始まった。 ![]() ところが秋宮から御田町に向かって歩き始めたら、何とも魅力的な路地があった。ふらふらと入り込んだら・・・。 ![]() ![]() ![]() さらに天狗党や赤報隊の顛末などなど、話を聞いたり資料を見ているうちにあっという間に1時間が経ってしまった。もう御田町もCAFÉもどうでもよくなった。 ![]() ![]() 和宮さんは京都からひと月かけて江戸の将軍家に嫁に行った。そのお伴は何と総勢8万人にも及んで、4日間にわたって延々と人が通り続けた。その人たちもここを通り、和宮さんは正面の今は「かめや旅館」になっている本陣の上段の間に一泊した。その日もちょうどこんな小春日和だったのだろうか。 ![]() ![]() < 前のページ次のページ >
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