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8月14日 信州~大阪~瀬戸大橋~高知市・・・その1
8月15日 高知市~土佐市~大野見村~窪川町・・・その2 〃 窪川町~沈下橋・・・その3 〃 沈下橋~西土佐村~中村市・・・その4 8月16日 中村市~土佐清水市~柏島・・・その5 〃 柏島~宿毛市・・・その6 8月17日 宿毛市~宇和島市~松山市・・・その7 〃 松山市~道後温泉・・・その8 8月18日 松山~琴平~鳴門海峡~信州 オヤジはエアコンの音で目を覚ました。外の音が何も聞こえない部屋で、ただエアコンのダクトから空気が吐き出される音だけが響く。水浸しの公園でもなく、畑の中の家でもなく、人工的な空間に押し込められている不快さを感じる。テレビをつける。ニュースをやっている。天気予報だ・・・。そうか、もう今日はどんな天気でもいい。ひたすら家に向かって走るだけだ。 7:00 オヤジが子供たちを起こす。ひたすら帰るだけといっても、ここは遥か四国の松山だ。早く出かけないと今日中に家にたどり着けない。明日の今頃は、もうオヤジは車に乗って仕入れに向かっていなくてはならないのだ。遅くとも夜の9時か10時には家に着いていないと、十分に休むこともなく、次の日の仕事に向かわなくてはならなくなる。 夢のような宿だったのに、みんなあまりよく眠れなかったという。『オレもぜんぜんよく寝られなかったよ』とオヤジが言うと、『うそだ!』と非難の声が上がる。『なぜだ・・・?』 8:30 「えひめ共済会館」を出発。休み明けの官庁街は、すでに通勤の人たちがあふれている。その中を場違いな一家の車が抜けていく。国道11号を高松に向かう。今日は最後に鳴門のうずしおを見てから帰る、という予定は決まっている。しかし、うずしおは一日中現れるわけではなく、潮の満ち干の時間によって現れる。今日の潮目は16:00 『こんぴらさんに寄って行きたい』 と佳代子が言う。『私のルーツは四国なのよ』という彼女の意見に誰も異を唱えることはなく、讃岐平野を目指す。 11:30 琴平町の金刀比羅神社着。天気が回復して、暑い。見るからにあこぎなおっさんの手招きに乗ってしまい、駐車場代を1000円も取られる。『お土産を買ってくれれば500円にしますで・・・へへへ』 誰がお前のところで買うものか。オヤジは不愉快になった。 こんぴらさんに向かう階段を登る。汗が噴出す。『いかがですか。ここが有名な××館でございます。ビールが冷えてまっせ、おとうさん。エアコン効いてまっせ、おかあさん。』 重要文化財といわれる立派な茶屋も、下品な呼び込みのおかげで見る気が失せる。駐車場のおっさんが貸してよこした団扇をあおぎながら、ひたすら階段を登る。何でこんなところに来てしまったんだ・・・。 ![]() 全身汗まみれになって、金刀比羅神社に着く。梓美は来年の受験に向けてお守りを買う。これだけ汗を流したのだから、何かご利益をねだらなくてはもったいない。 ![]() ひざが笑うような階段を下り、土産物屋だらけの参道の中に、ぽっかりと造り酒屋の庭園が解放されている。大きなクスノキを囲むように漆喰の壁が並ぶ。えげつない商売の空間に湧いた清冽な泉のような場所だ。 13:30 琴平から高松に向かう。途中でセルフのうどん屋に入り、昼食。セルフの中にもいろいろあって、うどんを自分で湯がいたり、ねぎを自分で刻んだりする店もあるらしい。そんな店を探してみたかったが、時間がなくなってしまった。ぼやぼやしていると、うずしおに間に合わない。 14:40 高松市内から高速に乗る。ヤバイ。ぎりぎりだ。腹の満ちた乗客5名はお昼寝。オヤジは必死にこの後の時間配分を計算する。どう見積もっても家に着くのは22:00以降だ。うずしおが16:00に固定されているのが痛い。 ![]() 15:30 鳴門大橋を渡り、淡路島南ICで高速を下りる。道を戻るように鳴門海峡に突き出した展望台へ。海峡を潮が流れている。まるで巨大な川のように、ざあざあと音を立てて海が流れている。ところどころに渦のような白い泡が立っている。『あれがうずしお・・・だということにしよう』 ![]() ここがこのツアー最後のポイントだ。全員でツアー最終日恒例のみぞれを食べる。あっという間のようで、いろいろな出来事に追い回された5日間であった。そして7回目にして、かつてない厳しい条件をくぐらざるを得なかった。この体験は子供たちにとって大きい糧になるだろう。雨に追い回されはしたけれど、きっといい経験として後々に生きてくるだろう。 16:30 再び高速に乗り、一路信州を目指す。巨大な明石大橋を渡り、山陽道から名神へ。日が暮れ始める。来年はこのツアーはできるのだろうか。梓美が高校を卒業し、家を離れることになると、もう全員が揃うことは難しいだろう。それは残念なことではあるが、時間の経過として当然のことでもあるのだ。子供たちは自分の世界を作らなくてはならない。その自分の世界を生きるときに、こんなツアーの一場面が思い出されることになるはずだ。それでいいのだ。 名神から中央道へ。すっかり夜になった。 22:30 無事、帰還する。 ビンボーツアー決算報告 どうでもいいことをウダウダと書き続けたために、連載が3回(ブログは9回)にも及んでしまった2003年の『ビンボーツアー』。お読みになった方は、さぞかしお疲れのことと存じます。あの日々よりもう7年がたってしまいました。 金銭的なビンボーぶりをご披露して、今年のビンボーツアーを終わりにしたいと思います。最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。ちなみに来年も懲りずに2004年のツアーを連載する予定です。 決算報告 交通費 46066 (高速道路通行料・燃料代・駐車料金・電車賃) 食費 58281 宿泊費 18000 雑費 8570 (入湯料・お土産・他) 合計 130927
8月14日 信州~大阪~瀬戸大橋~高知市・・・その1
8月15日 高知市~土佐市~大野見村~窪川町・・・その2 〃 窪川町~沈下橋・・・その3 〃 沈下橋~西土佐村~中村市・・・その4 8月16日 中村市~土佐清水市~柏島・・・その5 〃 柏島~宿毛市・・・その6 8月17日 宿毛市~宇和島市~松山市・・・その7 八百屋一家は鍵を受け取ると、さっそくエレベーターで9階の和室に向かった。『うわぁ、エレベーターだよ』 『9階だって』 『ほんとにここに泊まるの?』 子供たちはうれしそうにしゃべりまくる。部屋に入ると白いシーツとカバーのついた布団が6組延べてある。それぞれが勝手に場所を決め、まず布団の上に大の字になる。『う~ん、昨日の水浸しから、今日は夢みたい・・・』杜里が叫ぶ。杜里が言うまでもなく、誰もがそう思った。オヤジは『3000円だって・・・、これで3000円だってよ・・・、へへへ・・・』と、ひとりで薄気味悪い笑い声を上げるのだった。 八百屋一家は布団の上で大の字になり、あまりの気持ちよさにそのまま寝込んでしまいそうになった。寝不足が三晩も続き、誰しもが疲れ始めていた。『道後温泉に行くまでひと眠りしようか・・・』と、佳代子がつぶやいた。それを聞いた嶺がガバッと立ち上がって言った。『オレはお城に行きたい!』 そうだった。宿が決まったら嶺の強い希望で、松山城に行くことになっていたのだ。時計はすでに4時を指そうとしている。急がなくては閉館になってしまう。 松山城は、市内の平地より高いこんもりとした山の上にある。城の北側にはケーブルカーも上っているが、八百屋一家は南側から歩いて上ることにした。うっそうとした照葉樹の森を、つづら折れの道が登っていく。5分も歩かないうちに体中から汗が噴出し、そのにおいを察知したやぶ蚊が四方から攻めてくる。城の入り口にたどり着くと、全身が汗だくになった。入場券売り場には用意よく、大型の扇風機が回っている。 ![]() 天守閣から松山の街を見渡す。天気はうす曇。雨が降る気配はない。城に登る道にも、そんなに雨が降った形跡はなかった。松山ではそんなに雨が降らなかったのだろうか。はるか瀬戸内海に島が浮かぶ。オレたちは雨をめがけて突っ込んだようなものだったのだろうか。しかし、今はもういい。今夜は雨の心配が要らない。雨の夜があって今日の宿があるのだ。 宿に戻り、風呂の支度をする。再びチンチン電車に乗り、道後温泉を目指すのだ。まさか道後温泉に来るとは予想していなかった佳代子は、急いで持参の旅雑誌で情報を仕込んでいる。 ![]() 宿のそばの電停から、道後温泉行きのチンチン電車に乗る。またしても、さっきと同じような古い電車だ。道後温泉に向かうにはぴったりの風情だ。電車は交差点の信号で止まり、まっすぐな道で体をゆすって必死に走ったかと思うと、車輪をきしませて曲がり角を曲がった。造られてから50年を越える電車は、屋根にエアコンを載せ、まだまだ市民に頼りにされているようだ。 道後温泉の駅を下りると、さっき市内を走っていた『坊ちゃん列車』が止まっている。道路わきに湯が流れ、足浴をしている人がいる。その脇には大きなからくり時計。宿の名前いりの浴衣を着た人たちが、ぞろぞろと道後温泉本館に向かって歩いていく。どの宿も内湯を備えてあるのだが、ここへ来たらこの本館で風呂に入らなければ来た甲斐がない、という温泉なのだ。 ![]() 道後温泉本館は、周りをホテルのビルに囲まれて、窮屈そうに建っていた。木造3階建ての立派な建物は、明治半ばの建築当初には周りを圧倒する威容であったに違いない。神社のような玄関で切符を買う。料金と切符を受け渡しする窓口の大理石が、磨り減ってくぼんでいる。そんなところにも100年の歴史が現れている。風呂は「神の湯」と「霊の湯」、それに休憩室の組み合わせで幾通りものコースがあるが、八百屋一家は一番安い「神の湯」の入浴だけにする。 「神の湯」は薄暗い照明の中に、漢文が彫られた湯釜から湯が湧き出ている。少し熱めの湯につかると、意外に湯船が深い。地元の人らしきおじさんがやってきて、湯釜の前で柏手を打つ。手を合わせて拝んだ後、湯釜に抱きつくように湧き出る湯を全身に浴びる。この温泉は「神の湯」というとおりに、神々が宿る温泉なのだという。ここでは温泉に入ること自体が、神を拝むことになるのだ。 「神の湯」の男湯は2室あるが、女湯は1室だけだ。その代わり、女湯の湯釜には道後温泉の守り神とされる、二人の神様の像が祀られている。 女湯で湯上りの髪を拭いていた杜里に、一人のおばあさんが話しかけた。『あなたはどこから来なさった?』 恥ずかしがり屋の杜里が下を向きながら『長野県・・・です』と小さな声で答えると、『ほう、それはずいぶんと遠くからようおいでたなもし』 おばあさんは腰を伸ばしながらうれしそうに言うと、自分も諏訪湖のそばの温泉に泊まったことがあること、間欠泉がすごい勢いでお湯を吹き上げて驚いたこと、などをゆっくりとした伊予弁で杜里に話した。 『おばあちゃんはな、腰が痛うてたまらんのじゃがここのお湯に浸かると、ほれ、こんなに伸びるんじゃ』すっかりとおばあさんの話に引きずりこまれた杜里は、困った顔で佳代子に助けを求めたが、佳代子は二人の話を聞きながらニコニコするだけだった。『お風呂の中の神様は拝んでこられたかな?』 おばあさんは杜里の顔を覗き込むように尋ねた。「お風呂の中の神様」とは何のことかわからず、きょとんとしている杜里に佳代子が助け舟を出した。『ほらお風呂の真ん中の、お湯が出るところにあったでしょ』 杜里は、湯釜の上に大きな神様と小さな神様の像が二つあったのを思い出して、おばあさんの顔を見て頷いた。 『大きな神様が小さな神様を手のひらに乗せて、温泉に入れてあげるとなあ・・・』おばあさんは二人の神様のいわれを、杜里に得々と語って聞かせた。それは大国主命が瀕死の少彦名命を手のひらに乗せて道後温泉につけると、たちまち癒えて玉の石の上舞ってみせた、というお話だった。 『神様の名前は覚えているかのう。大きな神様はオオクニヌシノミコト・・・、言ってごらん』 おばあさんは復習をするように、杜里に神様の名前を教えてくれた。『オオクニ・・・』杜里がいっぺんには覚えられないところを『・・・ヌシノミコト、ね』と佳代子が引き取る。 『小さな神様は、スクナヒコナノミコト・・・』 『スクナ・・・』 杜里も佳代子も言いよどんでいるところに、さらにしわくちゃなおばあさんが横から現れて、耳に手を当てて興味深そうに聞き耳を立てる。『ス・ク・ナ・ヒ・コ・ナ・・・』一言ずつ区切るようなおばあさんの言葉に合わせて、杜里がようやく神様の名前を言えるようになると、聞き耳を立てていたしわくちゃのおばあさんは、『うんうん』と一人で頷きながら扇風機の前に戻っていった。 ![]() 一歩早く湯から上がった男組は湯屋から出て、前の道路で涼んでいた。とっぷりと暮れた夜空に道後温泉本館の神殿風の屋根が浮かぶ。この見上げるような圧倒的存在感が、「千と千尋の神隠し」の湯屋のモデルと噂される所以だろうか。オヤジは本館の建物を見上げながら、「千と千尋・・・」のさまざまなシーンを思い出していた。 湯上りの一家が商店街をうろつく。土産物屋にファンシーショップ。こんなところでは女と男、大人と子供でまったく興味がばらばらになる。佳代子は砥部焼の器にご執心。『こりゃ、買っちまうぜ、きっと・・・』 嶺とオヤジは店の外から佳代子の動きをチェックする。案の定、袋を手に提げた佳代子が店から現れると、嶺が『やっぱり・・・』と笑い転げる。 チンチン電車で市内に戻ろうと駅前に出ると、たくさんの人がからくり時計を取り囲んでいる。20:00。からくり時計が動き出す。坊ちゃんをテーマにした、明治時代の衣装をつけた人形が踊る。 道後温泉駅から、チンチン電車に乗る。暗い道路をがらがらの電車が走る。窓に八百屋一家の面々が映る。誰もしゃべらずに電車の揺れに身を任せている。オヤジはまた「千と千尋・・・」の一場面を思い出した。窓の外は水面ではあるまいか。隣に座っているのは「カオナシ」ではあるまいか・・・。運転士は『右に曲がりますのでご注意ください』と言ったのに、電車は左に曲がった。『次は市役所前・・・』と言ったのに、着いた駅は「県庁前」だった。『なんか、この電車、変じゃねえか・・・』「千と千尋・・・」の一場面と出来事がダブって、オヤジは不気味に思った。 再び「銀天街」に繰り出し、セルフのうどん屋で夕食。6人で約2000円。安い。 宿の部屋に戻る。今度は本当に寝てしまってもいい。『こんなホテルに泊まるなんて、初めてだよ・・・』 杜里はまだこの「えひめ共済会館」が夢のように思えるらしい。家族で宿に泊まるのは町内会の旅行以来だから、もう何年ぶりになるだろう。杜里も初めてではないのだが、もう忘れてしまったのだろうか。いや、それよりも昨夜と比べれば、誰もが夢のように思っているのではないだろうか。昨夜はつらい夜だった。だからこそ今夜は夢のようなのだ。 つづく
8月14日 信州~大阪~瀬戸大橋~高知市・・・その1
8月15日 高知市~土佐市~大野見村~窪川町・・・その2 〃 窪川町~沈下橋・・・その3 〃 沈下橋~西土佐村~中村市・・・その4 8月16日 中村市~土佐清水市~柏島・・・その5 〃 柏島~宿毛市・・・その6 ![]() 雨は一晩中断続的に降り続き、夜が明けても止む気配はなかった。バラバラとテントが立てる雨音と、港に出入りする船の汽笛に何度も眠りを破られた。誰しもが疲れを感じ始める、4日目の朝。はれぼったい顔がブルーシートの下に並ぶ。海では十分に遊ぶことができず、夜は雨の中で寝るという悪条件の中でも、子供たちはまだ不平を一言も漏らしていないことに気がつく。不平を並べ立てたところでどうなることでもない、という達観が備わっているのか。こんな悪条件でさえ非日常の一日として楽しんでしまえる、遊びの精神が身についてきたのか。どちらにしてもほめてやりたい、とオヤジは思った。 ![]() 8:00 温かいスープと、ピザやデニッシュなど菓子パンばかりが並ぶ豪勢な朝食。昨夜、閉店間際のパン屋で投売りしていたのを、オヤジが調子に乗って買い込んだものだ。パンだけで1500円にもなり佳代子に白い目で見られたが、こんな日なのだからせめて食べ物だけはハレにしておきたかったのだ。 断続的に強くなる雨の合間を縫って、テントを片付ける。テントはたたんで袋に収めても水が滴ってくるほど雨を吸い込んでいる。こんな悪条件の中での片付けは誰でもいやなものだ。何人も人がいれば、自分は楽をしようと手を抜くヤツがいてもおかしくはない。その中で今年は中2になった渓がよく手伝った。部活でも下級生ができたことで、少しは自分のやるべきことがわかってきたのだろうか。 9:30 降りに降られた「咸陽島公園」を出発。宿毛市内には目もくれず、国道56号を宇和島に向かう。相変わらず雨は降っているが、やや小降りになった。天気であれば西海町か内海村の海で遊ぶつもりだったが、もうあきらめるしかない。昨日、「足摺海底館」に寄らなかったことを今になって後悔する。せっかく四国の果てまでやってきながら、海で遊ぶこともなく通り過ぎるのは実に残念だ。とりあえず、こんなところであったと地図と風景を一致させておき、またいつか、必ずここに来て目いっぱい遊んでやろう。 小雨の中、車は深い入り江と岬が続くリアス式の海岸を縫うように走る。山の斜面は一面のみかん畑だ。まだ青いみかんが雨に濡れてつやつやと光っている。オヤジは車を走らせながら、今日の予定を練る。とりあえず佳代子が宇和島でお土産を買いたいといっているので、宇和島の街に向かうところまでは決まっている。その後をどうするか。天気はまだ小雨が降っているので、外で遊ぶことは無理だ。今は大雨の中から生還したような気分なのだから、多少の雨でも・・・という気分にはなれない。大洲や内子など古い家並みのある街もいいが、子供たちがどう思うだろうか。子供たちとひとくちに言っても、高3と小4が同じように楽しめるようでなくてはならないのだから、難しい。 宇和島の市内に入り、駅前に車を止める。子供たちと佳代子は土産物屋へ、オヤジはふらふらと駅の中へ。改札口の前には、特急の自由席に乗ろうという人の長蛇の列。お盆開けの日曜日、帰省先から家に帰る人たちだろうか。松山行きの特急はわずか3両編成なので、こんなに乗れるのだろうかと人ごとながら心配になる。ここから松山まで1時間半、松山で乗り換えて岡山まで3時間。岡山でまた乗り換えて・・・と考えると、ここは実に遠いところなのだと実感がわいてくる。 駅の旅行センターの前には、さまざまなチラシが置いてある。オヤジはその前で足を止めて、ひとつのチラシを手に取った。その「道後温泉日帰りツアー」のチラシを見ながら、オヤジの頭にアイデアの電気がパッと灯った。そうだ、道後温泉に行こう。あの「千と千尋の神隠し」の湯屋のモデルとなったという道後温泉本館でゆっくりと風呂に入り、松山の街で遊ぶのだ。ついでに安い宿を見つけて泊まってしまおう。安宿とはいえ、宿を取るとなるとかなりの出費を覚悟しなくてはならない。しかし、あの雨の中でも不平のひとつもブータレなかった子供たちに、夏休みの思い出を作ってやらなくてはならない。最悪の場合、ビジネスホテルでも1泊5000円からあるはずだから、飛び込んでしまえばいいのだ。 予定が決まると、オヤジは急にじっとしていられなくなった。土産物屋に四散する子供たちと佳代子を鶏を追うように車に収容すると、オヤジはひらめいたばかりの予定をどうだとばかりに開陳した。『えーっ、どこそれ?』 『宿なんてそんな簡単に取れるの?』 半信半疑の5人に、『オレもわからないから、まずは行ってみよう』と、オヤジは言った。 宇和島の市内から、国道56号を一路、松山へ。迷いの消えたオヤジは気分が良くなった。みかん畑の山をくぐり、増水した川を渡り、ひたすら松山へと向かう。大洲から高速に乗り、ハラヘッタコールに背中を押されるように、松山市内に着く。 ![]() 13:30 市内の有料パーキングに車を置き、歩いて市内に繰り出す。松山の市内など予備知識はまるでないから、右も左もわからない。まずは観光案内所に行き、安宿の情報を探らなくてはならない。そのためには遠路からの玄関口となるJRの駅が一番だ。お堀端をJR松山駅に向かって歩く。路面電車が追い越していく。『父ちゃん、あれに乗っていけば早いんじゃない?』と杜里。でも、感覚的にJRの駅はそんなに遠くはないはずなのだ。いきなり、前から機関車が引く昔風の『坊ちゃん列車』がやってくる。ここは街全体が観光地のようだ。 松山駅で観光案内所に飛び込み、『素泊まりの宿はないか?』とオヤジが聞く。『素泊まりなら、ビジネスホテルが・・・』という案内嬢に、『そんなことはわかってる。家族を引き連れてビジネスホテルというわけにはいかんのだ』とねじ込む。困った案内嬢は『それでしたら、こちらをご覧ください』とパンフを出して、早々の退散を促した。 松山市内の宿泊一覧表を手にしたオヤジは、『めしを食いながら考えよう』と周りを見渡すが、駅の前はオフィス街なので日曜の今日は店が開いていない。案内嬢にもらったパンフによれば、松山の繁華街は市電の松山市駅周辺のようだ。『よし、チンチン電車に乗るぞ』 オヤジは意気揚々と市電の駅に向かう。駅に向かって歩いているときに、松山市駅行きの市電が走っていくのを見ていたのだ。 やってきた相当古いチンチン電車に揺られて、歩いてきた道を戻る。道路の邪魔者扱いされた昔とは違い、四国の街では路面電車がどこでも生き生きと走っている。しかも車内がニス塗りの板壁という古い電車が、まだ現役で走っている。車両の隅っこにある銘板を見ると「昭和26年製」とあった。 松山市駅でチンチン電車を降り、繁華街へ向かう。「銀天街」というアーケードがその中心のようだ。アーケードを少し歩いたところのお好み焼き屋で昼食。すでに14:00を過ぎようとしている。早く宿を決めて道後温泉に行ってみたい。オヤジはパンフをにらんで安い宿をさがす。道後温泉は最低でも一泊2食1万円以上だ。ビジネスホテルはツインで1万円から。おっ、3500円というところがあるぞ。「えひめ共済会館」という堅苦しい名前でオヤジはぴんと来た。『ここだ』 八百屋関係の集まりでは、よくこんな名前の素っ気ないホテルに泊まらされたものだった。公共の宿泊施設だが、こんな宿泊パンフに乗っているくらいだから、一般も受け付けるということなのだろう。 お好み焼き屋を出ると、オヤジはまっすぐ「えひめ共済会館」に向かった。繁華街から道路を隔てた官庁街の一角、県警本部の隣という絶好の立地条件にある「えひめ共済会館」は、いかにも役人の出張向けという地味なビルだった。 オヤジはフロントに一直線に歩いていく。『宿泊はできますか?』 観光案内所で『素泊まりの宿はあるか?』と言ったときとは別人のような口調だ。出てきた年配女性の『はい』という返事にオヤジの胸が高鳴る。『あの・・・、家族連れなんですが・・・』 『それでしたら、和室もお取りできますが・・・』 『あ、それです、それ・・・。でもいくら?・・・』 『バスなしでお一人様3000円になります』 もうオヤジの足は小躍りを始めている。ビジネスホテルのツインで2人ずつ分かれて3部屋・・・、などという案は雲散霧消した。ひと部屋にまとまって6人で18000円。なんと理想的な宿なのだろう。 つづく
8月14日 信州~大阪~瀬戸大橋~高知市・・・その1
8月15日 高知市~土佐市~大野見村~窪川町・・・その2 〃 窪川町~沈下橋・・・その3 〃 沈下橋~西土佐村~中村市・・・その4 8月16日 中村市~土佐清水市~柏島・・・その5 15:00、宿毛の街に入り、ツアー2回目の給油。63リットルも入り、ジャングルでガス欠になるピンチだったことに冷や汗をかく。車が替わったことで、燃料メーターの針の位置と、実際の燃料の残りの量の加減がまだつかめていないからだ。ガソリン車と違い、ディーゼル車はガス欠になるとシリンダーの空気を抜かなくてはならないので、面倒なことになる。それを知っていながら、早めに給油をしないオヤジがドジなのだ。 給油を終えると、オヤジは『おっと、そうだった』と言いながら、隣の『しまむら』に飛び込んだ。この地味な衣料品店の『しまむら』という店は信州にも多いが、四国でもどの町にでもある驚くべきチェーン店だ。オヤジは肌着のコーナーに一直線に向かう。出発前の忙しさで自分の衣類を十分にチェックできず、パンツを置き忘れたがために3日間も同じものをはきっぱなしなのだ。『きたねーなあ』 『くさそー』 それを知った子供たちが車に戻ったオヤジに叫ぶ。『たかが3日で騒ぐな。オレは最長で1ヶ月も同じパンツをはいていたことがあるんだぞ』とオヤジは自慢げに返した。実際、登山の海外遠征ではパンツなどをはきかえる余裕もなく、1ヶ月も風呂なし着替えなしというのが当たり前だったのだ。でも、このくそ暑い夏のツアーではちょっと悲しい。 この宿毛には、数箇所の無料テント場があることがわかっている。その中でも、夕日が海に沈むときにだるまのようになる「だるま夕日」が見られるという、海辺の「咸陽島公園」に向かう。海で遊び足りないので、少しでも海のそばに行ってみたいという気持ちの表れだ。市内から九州に渡るフェリーの乗り場を通り、島に渡ったところに公園があった。公園の名前になった「咸陽島」はさらに沖にある島のことで、ちょうど引き潮の今は人が歩いて渡っている。オヤジは一人で歩いて渡ってみたくなったが、テントを建てるほうが先だと思ってやめておいた。 16:00、この公園を一夜を過ごす場所と決め、テントを張る。遊具の点在する芝生には先客が豪華なメッシュテント付きの別荘をこしらえ、海辺の林にも釣り客のようなおっさん集団が陣取っている。雨を念頭に置き、慎重に場所を選ぶ。芝に勢いのない場所は水が溜まりやすいので、なるべく芝が盛り上がっているようなところにテントを張る。ブルーシートは昨日の張り方だと低くて圧迫感があったので、ポールを一本多くして高く張る。そうするとブルーシートの真ん中にビーチパラソルを立てることができ、仮に雨が降ってもシートに水溜りができない。パラソルの骨にランプやタオルを掛けることができ、使い具合も良くなる。ツアーも回を重ね日を重ねるごとに、さまざまな改良がされていき、居住性が良くなってきた。東京の高速道路の下に住むホームレスの人たちの立派な家も、こうやって改良を重ねた結果なのだろうか。 16:30、テントを建て終え海辺に戻ってみると、咸陽島に渡る浅瀬にわずか30分ほどの間に潮が満ち、海原と化している。もうとても歩いて渡れる深さではない。オヤジは、さっき歩いて渡って潮が満ちてきたのも知らずにまだ咸陽島をうろうろ歩いていたら・・・と思うとぞっとした。子供たちとあの向こう岸で『お~い、助けてくれ~』と叫ぶ姿を想像し、海のそばに暮らしたことがなく、自分は海のことを何も知らないのだとオヤジは悟った。 空は重苦しく曇っている。晴れていれば、ここから海に沈む夕日が見ることができるという。宿毛の市民がだるま夕日を眺めにやってくるという場所なのに、夕日は分厚い雲の中だ。『あれはいつだっただろう・・・』オヤジは以前、子供たちと海に沈んでいく夕日を眺めた時のことを思い出していた。何もかもがオレンジ色に染まる海辺に地元の人たちも集まってきて、一緒に話しながら夕日を見たのはどこでのことだったろう。『そうかい、信州からきたのかい。今日の夕日はいつもよりきれいだよ。いい日に来たねえ』 防波堤に腰掛けて夕日を眺める一家の横で、猫を抱いたおばさんが言った。『そうだ、あれは輪島だ』 オヤジはそれが第1回目のツアーのことで、2日目の晩を過ごした輪島の海辺の公園で見た夕日だったことを思い出した。大きく大きく膨れ上がったオレンジ色の太陽が、下からとろけるように海に消えていく。それは線香花火が松葉を飛ばしきり、玉が地面に落ちたときのようだった。半熟の目玉焼きが皿に向かって流れていくようでもあった。まだ小さかった子供たちは、太陽の最後の光が海に消えると拍手をした・・・。 オヤジは鉛色の海にぼんやりと目をやりながら、輪島の美しかった夕日を脳裏に描き出していた。 不意に冷たい雨粒が腕に当たり、オヤジは我に帰った。輪島の美しい夕日が脳裏から一瞬にして消える。雨だ。いつのまにか沖は白く煙っている。また雨だ。オヤジは急いでテントに戻る。あっという間に雨脚が強くなり、子供たちも走ってブルーシートの下に戻る。土砂降りになった。海から上がり、公園の水道で足を洗っていた親子連れが悲鳴を上げる。雨に備えてブルーシートを張ろうとしていた海辺の一行も、シートを放棄して車に逃げ込む。 ![]() オヤジはテントとブルーシートを張り終えていたのは幸いだったと思った。ブルーシートがなければ、車に逃げ込むしかない。雨が止まずにこの雨の中でテントを張るようになれば、おとといの晩の再来だ。6人がブルーシートの中にたたずみ、あっけに取られたように雨の芝生を見つめる。ブルーシートのふちからは滝のように雨が流れ落ち、車のあるアスファルトの駐車場はすでに池になった。この芝生が池になるのも時間の問題かもしれない。オヤジは車から折りたたみ式のスコップを持ってきて、溝を掘ろうとした。しかし大雨に傘を差し芝に覆われた地面に溝を掘るのは、容易な作業ではなかった。掘った溝はすぐに水で埋まり、気がつくと芝生の半分はすでに池になっていた。 17:00。 6人は言葉もなくいすに座り、ぞうりを脱いでひざを抱えた。足元はすっかり池になった。もうすぐ日が暮れる。また雨の夜を迎えるのか・・・。重苦しい雰囲気が八百屋一家の上に漂ってきた。 ![]() 誰も口を開かず、ブルーシートに雨粒があたる音だけが騒がしい。隣の豪華なメッシュテントの家族は、車の中に逃げ込んだ。このひどい雨では中途半端なテントでは役に立たない。安っぽくてもブルーシートが一番だ。 突然、開き直ったように佳代子が大きな声をあげた。『しゃーない、風呂でも入りに行こか!』 それに応えるように『そうだ、こんなところにいてもしゃーない。街に行って帰ってきたら止んでるだろ!』 とオヤジも乗った。ひざを抱えていた子供たちも、思い直したように立ち上がり、風呂の準備を整える。この雨がこの先どうなるか、など誰にもわからないのだ。せめて気持ちだけは腐らせないようにしなくてはならない。 宿毛市内に戻る。雨が激しくて、看板すらまともに読めない。隣町の一本松町に町営の温泉があったことを思い出し、国道を宇和島方面に走る。国道沿いの立派な「一本松温泉」で風呂につかる。ここはもう愛媛県だ。 温泉から上がり休憩室で新聞を読んでいると、ニューヨークで大停電があったと書いてある。地下鉄が止まり歩いて家路につく人たちの写真。ホテルでは泊り客が追い出され、公園で寝泊りしているという。『なあんだ、オレたちと同じじゃないか。雨が降っていないぶん、ニューヨークのほうがまだマシだな』とオヤジはつぶやいた。 一本松温泉から再び宿毛の街に戻る。雨は少し小降りになったが、止む気配はない。どこの川も増水してあふれそうだ。この雨の中、おばあさんが傘をさして藁の送り火をたいている。今日は16日。お盆も終わりだ。おばあさんは先立ったおじいさんを見送っているのだろうか。 宿毛の駅前の和食レストランで夕食。再び雨がひどくなり、宿毛の街を巡って歩くこともなくあっさりと夕食の場所を決めてしまう。駅前といっても全国チェーンの電器店と、このレストランがある程度。駅はまだ新しく、コンクリートの高架上に蛍光灯が煌々と輝くホームがある。高知まで2時間の道のりにあるこの駅から、果たして一日何本の列車が発着するのだろうか。 和食レストランのうどんあり寿司あり定食ありのメニューに、子供たちは目を丸くして夕食を選んでいる。この子供たちがツアーを楽しみにしているのは、毎日が外食であることもひとつの理由だ。自分の食べたいものを、きれいな写真が並ぶメニューから選ぶことができるのは、毎日の食卓には有り得ないことだ。迷うのなら大いに迷うのも、この非日常のツアーならではのこと。『う~ん、迷っちゃうなあ』といいながら、メニューを取り合い『いくらぐらいまでならいい?』と顔色をうかがうように聞いてくる。 『今日は値段より、好きなものにしていいよ』 いつも一人当たりの値段を制限しているのだが、こんな日は食事ぐらい弾んでおかなくては気が滅入ってしまいそうだ。『やったぁ』といいながら寿司を選ぶちゃっかり娘がいれば、いつも通りに『ラーメンでいい』というヤツもいて、それぞれの性格が選ぶメニューに現れてしまう。 オヤジはレストランの窓から外の様子が気になって仕方がない。車の屋根に当たる雨粒が、さっきよりは弱くなったような気がする。窓に光っていた『××電器 宿毛店』というネオンが消えると、駅前とは思えないほど暗い街角になった。 雨の降る暗い道を「咸陽島公園」に戻る。水深10cmの駐車場に車を止めると、出かけるときにはあった隣のテントがきれいになくなっている。海辺のテントももぬけの殻だ。キャンプが目的で来たのなら、この雨では逃げたほうが得策だ。池のような芝生の中のテントに寝袋を広げて、一夜を過ごそうなんてのは普通の人がやることではない。ひょっとすると、周りの人たちはこの一家が真っ先に雨に動じて逃げた、と思っているかもしれない。とんでもない。この一家には逃げる場所などどこにもないのだ。 ![]() ダンロップテントはすでにグランドシートが浸水し始めていた。急いでビーチ用シートを敷き、寝袋が濡れるのを防ぐ。オヤジは騒々しい雨よけブルーシートの下で缶チューハイを開け、子供たちは芋けんぴをつまむ。もう雨が止むかどうかなど、どうでもよくなった。勝手に降っていやがれ。ここはどんなに大雨が降ったって、増水で流されたり山が崩れたりする心配はない。寝ちまえば勝ちだ。明日のことは朝になってから考えよう。すべては天気次第なのだから、今は考えようもない。 つづく
8月14日 信州~大阪~瀬戸大橋~高知市・・・その1
8月15日 高知市~土佐市~大野見村~窪川町・・・その2 〃 窪川町~沈下橋・・・その3 〃 沈下橋~西土佐村~中村市・・・その4 明るくなると旅立つバイクや車の音が相次ぎ、目が覚める。今日は送り盆の土曜日。今日中に家に帰って明日の一日を休みにあて、月曜から仕事を始める人が多いのだろうか。高速道路の渋滞情報も今日がピークの予想になっていた。昔は休みが日曜までであれば、日曜の午後が一番混むものだったが、今は一日裕をとる人が多くなったらしい。 6:30、テントに当たる光が柔らかい。昨夜の星空からすれば、朝の日差しが照りつけてもおかしくない時間だ。おかしい。テントから出ると、空は全面曇っている。オヤジは星空=晴れとはならなかったことに落胆して、重い気持ちで空を眺める。今日と明日はサンゴに熱帯魚が群れるという海に、シュノーケルで潜ろうという予定だ。またしても雨と対峙することになるのだろうか。 大雨のおかげで寝不足だった子供たちはなかなか起きてこない。まだ寝足りないという顔でテントから出てきた佳代子は、『隣のテントの人たちが夜中に酔っ払ってうるさかった』と愚痴をこぼす。カヌーを車に積んだ学生風の連中のことだ。われらがテントからは50mほど離れているが、すぐ隣の家族連れの人たちはさぞかしうるさかったことだろう、と佳代子が同情する。 ![]() 7:30、朝食。とりあえず雨は降りそうにないので、ブルーシートをはずし開放的な空の下で食べる。子供たちも口々に隣のテントのうるささを訴える。自分たちが大人になったときに昨夜のような迷惑をかけないようにしなさい、と佳代子が説く。 9:00、四万十川のテント場を出発。土佐清水に向かう。空はどんよりしている。嶺のケータイで天気予報をチェック。今日も『曇時々雨』だ。雲の画像では九州の宮崎あたりに強い雨雲がある。まずい。雨を降らせる前線は、南西から北東に延びている。南西の宮崎で降っているということは、同じ線上にあるこのあたりもやがて雨になる可能性が高い。『父ちゃん、今日は海で泳ぐよね』 杜里に念を押され『うん、泳ごうな』と答えたものの、実現するかどうか確信はもてない。 国道に面している「野鳥の森公園」でトイレに駆け込む。テント場にトイレがなかったので、全員朝のお勤めが済んでいないのだ。さっと用を済ませたオヤジが野鳥の森の案内板を眺めていると、しばらくして長い間個室にこもっていた佳代子が、苦痛にゆがんだ顔でトイレから出てきた。『お母さん、大丈夫!』 杜里が心配して佳代子に駆け寄る。今まで誰もツアー中に体調を崩して病院に駆け込んだりしたことはない。ツアー3日目、さあこれからという時に一体どうしたというのだ。『どうした、大丈夫か・・・』オヤジも駆け寄り体を支えようとすると、佳代子は絞り出すような声で言った。『う、ううっ、足が・・・足がしびれた・・・』 道は足摺岬へと向かっていくが、空模様を見ながらすぐに泳げそうな海岸へと向かう。とりあえず雨が降り出す前に泳いでしまうほうがいい。足摺岬の周辺は切り立った海岸線なので、泳げるところはない。土佐清水の手前から竜串の海岸へ。ここはテーブルサンゴに熱帯魚が群れるという海だ。ダイビングスクールやサンゴの博物館などがひしめいている。 10:30、磯と砂浜が隣り合っているところで泳ぐことにする。時々薄日がさすが、沖には黒い雲。どれだけ天気がもつかわからないが、今がチャンスだ。嶺と渓はシュノーケルをつけて岩の周りをもぐる。杜里は浮き輪を持って砂浜へ。オヤジもシュノーケルでもぐってみるが、水が濁っていて視界が利かない。浜にはサンゴのかけらが砂に混ざって散らばっている。白い管が絡まりあったサンゴや、赤い軽石のようなサンゴが無数にある。 浜から500mほど離れたところには「足摺海底館」があり、観光客が群れている。珊瑚や熱帯魚が泳ぐ海底まで階段で下り、窓からのぞくことができるという。佳代子は『あそこに行ってみたいなあ』という。オヤジは『海で泳いでいるのに、わざわざあんなところに行くことはないだろう』と素っ気ない。観光バスが何台も止まって、団体客が列をなして歩いているのが見える。オヤジにはきれいな魚やサンゴが見られるとしても、傍若無人を絵に描いたような団体客と一緒になるのが耐えられないのだ。 11:30、沖の黒い雲が浜まで迫り、山から一陣の風が吹き降ろした。雨の合図だ。わずか1時間しか泳ぐことができなかった。浜から引き揚げる。あっという間に雨は土砂降りになった。シャワー室の脇に洞穴のような場所があり、一人の少年がベンチに座ってラジカセを聞きながら、外の雨には目もくれずに無心に座布団をスティックでたたいている。家では家族に『うるさいから外でやれ』といわれるので、こんなところでドラムの練習をしているのだろうかとオヤジは勝手に想像したが、前を通るときによく見ると、彼は「監視員」という腕章を巻いていた。 ![]() 全員が着替え終わると、皮肉なことに雨が上がった。傘をもって奇岩が乱立する竜串海岸を歩く。たくさんの化石を抱いた砂岩が海に侵食された、自然の造形だ。歩く一歩ごとにゴキブリのようなフナムシがざわざわと逃げる。奇岩が作り上げた潮溜まりには青いネオンカラーの魚が泳ぎ、ナマコが子供たちに傘でつつかれて膨れ上がる。 12:30、海岸近くの民宿で食事。かつおのたたき定食など。その辺の磯から採ってきたようなムラサキ貝の味噌汁がうまい。あわびのミニチュアのようなトコブシも、レジでタバコをくわえて高校野球を見ているおじいさんがとってきたものに違いない。そんな海のC級グルメを、知らないものは絶対に口にしない渓が残す。さっさと自分の分を食べ終わって、箸を持って待機中のオヤジがトンビのようにそれを奪う。 相変わらず不安定な天気に、車を竜串から宿毛に向けて走らせながら午後をどう過ごすか迷う。「足摺海底館」の前を通るとき、もう一度佳代子が『寄っていかないの?』と念を押す。オヤジはもう一箇所、シュノーケリングのできる海に立ち寄ることを考えていた。『寄らない』 迷わず答えたオヤジは、柏島に向かうことにした。 宿毛へ向かう国道を左折し、細い山道を進む。木々に囲まれた道はガードレールもないが、薄暗いうっそうとした木が壁のように道に迫っているので不安感はない。常緑樹の細い幹が幾重にも分かれ、まるでジャングルのようだ。分厚い葉が陽をさえぎるために日中でも薄暗い。そうか、これが照葉樹林だ。常緑樹の中でもカシ・シイ・タブ・クスなどの広葉樹で、表面がつるつるとした木を照葉樹という。それらが密生した照葉樹林は、雪の積もらない海辺の暖かな地方に多く、信州にはほとんど見られない。信州の広葉樹といえばそのほぼすべてが落葉樹で、冬になると枯れ木のように葉が落ちてしまう。それに比べ、この照葉樹林は冬でもうっそうと葉が繁っているのだ。 薄暗いジャングルの中の細い道を、対向車に気を使いながら走る。この照葉樹林はジャングルのようであるがために、今は日本国内でも残り少なくなっているそうだ。昔は西日本の海岸線一帯がこんな林相であったらしい。ジャングルの中から突然バスが現れ、路肩ぎりぎりまで車を寄せる。ガードレールがないのは、仮に路肩を踏み外しても、照葉樹の密林が転落を防いでくれるからだろうか。 照葉樹林のジャングルを抜けると、道は柏島に下っていく。小さな港と立派な橋だけが目立つ島だ。橋のたもとに小さなキャンプ場があり、そのまわりでシュノーケリングをしている。海は透き通ってきれいだが、島の大きさに不釣合いな立派なコンクリートの橋が無粋だ。ここから船で沖合いへ出て、サンゴの海にダイビングするのがここの良さらしい。みなと周辺の海辺には岩カキがびっしりとついた岩ばかりで、一度ぬらした水着をもう一度着てでももぐってみようと思わせるものではない。 ![]() 14:30、少し早いが宿毛のテント場に向かうことにする。再びジャングルの道に戻り、途中の展望台で車を止め、照葉樹林の中から「大堂海岸」を見渡す。太平洋の荒波が打ち付ける奇岩絶壁の海岸は高さ30mくらいまで草木もなく、陸からも海からも近寄る手立てはない。こんな海岸の険しさに守られて、ここの照葉樹林は今も残っているのだろう。 つづく
8月14日 信州~大阪~瀬戸大橋~高知市・・・その1
8月15日 高知市~土佐市~大野見村~窪川町・・・その2 〃 窪川町~沈下橋・・・その3 車に戻ろうと歩いている途中で、オヤジは友人Jの事を思い出した。オペレーターの嶺にケータイで友人Jを呼んでくれるように命じる。こんな四国の山の中でもケータイが通じるのは、実に不思議なことだとオヤジは感心する。友人Jが電話に出る。今度は伝言ではない。『おいっ、今どこにいるんだ!』とオヤジが叫ぶ。『国道56号で、白浜というところだ』と友人J。急いで地図を開き場所を確認する。大きな山を挟んだ向こう側だ。わずか数キロしか離れていないが、お互いが出会うためにはどちらかが戻らなくてはならない。残念だがこのまま進まないと今日の予定に差しさわりがありそうだ。窪川で四万十川から離れて進めば、今頃は国道56号でちょうど鉢合わせをしていたかもしれない。オヤジはちょっと残念な気がしたが、さっきの沈下橋とどちらが良かったかと考えると、正解を選んだと思わざるを得なかった。『帰ってからゆっくり話そう』高知へ向かう友人Jに、種崎のテント場の情報を伝えてケータイをきる。 四万十川に沿って国道を下る。山あいの道だがよく整備されていて、県外ナンバーの車が高速で飛ばしている。途中から鉄道も寄り添うように並行する。ところどころにあるひなびた駅の看板が、まだ『国鉄××駅』のままだ。国鉄がすでにJRになって15年。いまだに国鉄のままでよしとするこの地の人たちの感覚を、オヤジは『好きだなぁ。こういうところ』と思った。 西土佐村で広見川が合流し、四万十川は一層と大河になった。四万十川に沿って、中村市へと下っていく。河原にカヌーがたくさん置いてある。四万十川はカヌーのメッカでもあるのだ。しかし、今日はこの大増水で、川でカヌーを漕ぐどころではないようだ。あちらこちらに手持ち無沙汰のカヌーイスト風が群れている。 中村市に近づくにつれ、雨が降り出す。またか・・・。テントはまだ十分に乾ききっていないというのに、また雨の中でテントを張ることになるのか。重苦しい雰囲気が車の中に漂う。中村市にはいくつかの無料のテント場があることを押さえてある。そのうち、一番期待をしているのは四万十川の河原のテント場だ。大雨でも四万十川にはダムがないので、放流での急激な増水はない。それでも昨夜のような雨になったら、河原でテントを張っていることだけで気分が落ち着かないだろう。 中村の市街地に着く。幸いなことに雨は上がった。繁華街を抜け、四万十川にかかる赤い鉄橋を渡る。この上流の河原にテント場があるはずだ。土手を上流に向かって走ると、河原にいくつものテントが見える。よさそうな場所だ。ところが、土手から下りる道がない。赤鉄橋に戻ると、橋の下流から車が土手に上ってきた。上流にありながらいったん下流側に降りなくてはならないというトリックは、夜に到着したら絶対にわからずに朝までうろうろしていたに違いない。 河原に車で乗り入れ、広大な芝生の広場にテントを張る。そばには川舟がたくさん係留してある。トイレはないが、広々とした開放感あふれるいいテント場だ。雨にたたかれ続けた昨夜から比べれば天国のようだ。空も明るくなってきて、どうやら雨も心配なさそう。子供たちも積極的にテントの設営に加わり、雨に備えたブルーシートタープ付きの一夜の宿が出来上がった。 ![]() テントの脇を四万十川がゆったりと流れている。増水中のため水が濁り、最後の清流と呼ばれる面影はない。川舟の持ち主が数人集まって、船の中に溜まった水をかき出している。増水で船に近寄れない人に、『船まで泳げ』と笑いながら声がかかる。上流で沈下橋が沈むほどの雨が降ったのだ。ここから河口までわずか5キロ。普段ならもっと穏やかな川なのだろう。 このテント場はただ芝生の広場があるだけで、トイレもない。もちろん無料だ。いくつかの案内には『四万十川キャンプ場』という名で紹介されているが、オートキャンプ場のようなきれいに管理された施設を求める人たちには不向きな場所だ。実際に利用しているのもバイクツーリングや釣りの人が多く、キャンプ自体が目的ではない人が多いようだ。キャンプを楽しむ人たちは、海辺のオートキャンプ場に向かうのだろう。そこでは電源を使ってテレビを見ながら炊飯器でご飯を炊く、日常がそのまま移動した実に「便利」な空間だ。 『今日はお風呂に入るよね』と杜里が念を押す。昨日はお風呂どころではなかったので、どうしても入りたい様子だ。風呂が混みだす前に入っちまおう、と用意を整え市内に向かう。テントから見える赤い鉄橋を渡ればすぐに中村の市街地だ。風呂は『かんぽの宿』などの公的な保養施設なら、大体どこでも入れてくれる。しかし、施設の規模によっては風呂が狭くて混んでいる場合があるので、なるべく入浴専用の施設を狙ったほうがいい風呂にありつける。地図で「四万十温泉」という施設を駅の近くに見つけ、急いで向かう。大きくてまだ新しい施設だ。大人400円、小人250円で計2250円。汗まみれの夏のツアーだけに風呂は欠かせないが、結構な出費になる。 夕食は中華料理店で済ませ、街で買い物をする。スーパーに入るときはなるべく地元のスーパーを選び、その土地の牛乳やパンを選ぶようにする。つまみを必要とするオヤジは魚のコーナーをチェック。お盆の最中で漁も休みなのか、新鮮な刺身があまりなくてがっかり。その代わり、かつおの加工品を仕入れる。子供たちはさつま芋を細く切ってあげた「芋けんぴ」 どちらも高知の名物だ。 ![]() 19:30、テントに戻る。ランプをつけると虫が群がってくる。明るい方のランプを虫集めに離れた場所につるす。杜里は念願の花火に興じ、大人は夏のツアーらしくなった一日を振り返って祝杯を挙げる。昨夜の寝不足のために、ビール1本で眠気が襲ってくる。だめだ、こんなに早く寝てはもったいない。眠気を追い払うように四万十川に目を向けると、川面が街の灯ゆらゆらと映している。車が行き来する鉄橋の上の南東の空に、赤い光。『おっ、星だ!』オヤジが叫びながら立ち上がり空を見上げると、満天に星がきらめいている。分厚く空を覆い続けた雲ではなく、星が空に光っている。天の川がちょうど地上の四万十川と並行するように流れている。『すごい・・・。満天星だ』 昨夜の大雨とは打って変わって、今夜は星が降ってきそうだ。『やったね。明日はきっといいお天気になるね・・・』テントで寝ようとしていた佳代子も出てきて、みんなで星を見上げた。 つづく
8月14日 信州~大阪~瀬戸大橋~高知市・・・その1
8月15日 高知市~土佐市~大野見村~窪川町・・・その2 窪川町から大正町へ。四万十川を左に見ながら右岸を下っていく。対岸から細い道路が川に下ってきてそのまま流れに消えている。沈下橋だ。その名のとおり、今日の大増水で流れの中に沈んでいるのだ。少し走るとまた沈下橋が現れる。橋の向こうに軽トラが停まっている。橋は完全に沈んではいないが、路面の上を奔流が流れている。『おい、あの軽トラは橋を渡ろうとしているぞ!』オヤジが叫ぶ。『まさか!あれは無理だと思ってあきらめたのよ!』と佳代子。そのとき、おもむろに軽トラは動き出し、流れが路面を洗う沈下橋をゆっくりと渡りだした。『おおっ!見ろ見ろ!すごい!あれだ!オレたちも渡ろう!!』オヤジはすっかりと興奮状態に陥る。 車はスピードを落とし、次の沈下橋が現れるのに備える。『あんな橋を渡ろうなんて、私は絶対にいやだからね!!』佳代子が猛烈に反対する。『なに言ってんだ。あんなスリリングな橋を車で渡れるなんて、こんなチャンスはめったにないぞ!』オヤジはすっかりとその気になっている。子供たちの意見も分かれた。『いけいけー、渡っちゃえ!』というのはジェットコースター大好きの梓美。『やめて・・・、お願いだからやめて・・・。渡るならオレを降ろしてから渡って・・・』というのはジェットコースターなんか乗ったら死んじまう、という嶺だ。 ![]() しばらく走ると、果たしてまた沈下橋が現れた。今度の橋は路面に少し波がかかる程度で渡るにはちょうどいい。『よっしゃ、行くぞー!』オヤジは沈下橋に下りる道にハンドルを切ろうとした。しかし、いつになく怒気をはらむ強い声で佳代子が叫んだ。『やめて!!』 一瞬、オヤジがたじろいで佳代子の顔を見ると、瞳にめらめらと炎が燃えているかのように見えた。これはヤバイ。本気で怒っている。その迫力に気おされるように車は橋の入り口を通り過ぎ、田んぼのあぜ道に止まった。 『よし、それなら歩いて渡ろう』 懲りないオヤジは車を降り、子供たちを引き連れて沈下橋へと歩いていく。はるか遅れて佳代子もついてくる。沈下橋は流れに沈んだ時の水の抵抗を抑えるために、欄干がない。欄干に流木が引っかかりでもしたら、橋が壊されてしまうからだ。ただのっぺりとした道が川を渡っている。酔払い運転で『おっとっと・・・』と橋から落っこちる事故があっても不思議ではない。 ![]() オヤジと子供たちは沈下橋のたもとに立ち、荒れる川面と流れを受けて波しぶきを上げる沈下橋の迫力に息を呑んだ。はるか国道から眺めるのとは違い、腹の底に響くような轟音を上げて橋に水が襲いかかっている。恐る恐る橋の上を歩き、流れの真ん中まで進む。橋の底を波が打つたびに、橋はぶるぶると身震いをする。流れに沈んで大水をやり過ごすためには、猛烈な力に耐えなくてはならないのだ。沈下橋は今、必死の状態であることがその震えを通して伝わってきた。 ![]() そのとき背後から軽トラが現れ、何事でもないという風情で震える沈下橋を渡っていった。オヤジは気づいた。これは軽トラだから渡れるのだ。わずか車重300kgほどの軽トラだから難なく渡ることができるのだ。われらがハイエースは車重だけで1t近く、荷物や一家の体重を含めると1.5tにもなる。軽トラの5倍だ。震えながら必死に水の抵抗に耐えている橋が、1.5tの重量に耐えられるという保証はない。オヤジの頭に明日の新聞記事が浮かんだ。『観光客の車 沈下橋で流される』、 『長野の一家6人四万十川で行方不明』、 『沈下橋を無理やり渡ろうとして、橋が崩壊』 佳代子は橋のたもとで待っている。オヤジが『ちょっとだけ渡ってみなよ』と腕を引っ張っても、頑として動かない。『やだ、絶対にいやだ。私は子供の頃、歩道橋も怖くて下が見えないように必ず真ん中を歩いて渡ったくらいなんだから・・・。こんな橋なんか絶対にいやだ』 そしてオヤジの手からカメラを奪い、『写真撮っておいてあげるから、子供たちのそばに行って』とオヤジから逃げる。オヤジがそばに来ると、無理やり腕を引っ張って橋に連れて行かれそうな気がするのだ。 ![]() 子供たちは橋の真ん中でたたずみ、川を眺めている。オヤジは上流に向いてしゃがみ、目線を低くして自分に向かってくる奔流を見つめる。こんな場面はめったに見ることができない。緑色の水が自分に襲い掛かってくるようだ。これが四万十川か・・・。オヤジは脳みそにしっかりと焼き付けるように、荒れる川面を見つめ続けた。 『さて、行くぞ』 オヤジが子供たちを促して沈下橋から車に戻る。『車で渡らないの?』と聞く子供たちに、オヤジは『オレは大人だ。そんなバカなことをすると思うか?』と答えた。『じゃあ、さっき渡ろうって言ってたのは誰?』 『キミたちを楽しませるためだよ・・・』 明日の新聞記事が頭に浮かんだ、などとは口が裂けても言うまいとオヤジは心に決めた。 つづく
8月14日 信州~大阪~瀬戸大橋~高知市・・・その1
8月15日(金) 曇 夜明けとともに雨が上がった。テントの天井を満腹に血を吸った無数の蚊がよろよろと飛んでいる。激しい雨音と暗闇で追うこともできず、テントの中は蚊の無法地帯になっていたが、夜明けとともに人間の逆襲が始まった。パチンパチンと蚊をたたく音がテントの中に響き、いつの間にか全員が起きて蚊を追う。誰もが十数か所を蚊に刺されているのに、不思議なことにオヤジだけは全く刺されていない。『皮が厚くて針が通らないのよ』と佳代子が言えば、『くさいから蚊も近寄らないんじゃない』と梓美も腹立たしげだ。 空はどんよりと曇っているが、雨は上がった。日が差さなくても、今は雨が降っていないだけで幸せだ。佳代子は地下鉄に乗っている夢を見たという。『頭のそばでガボガボと水の音がして、地下鉄の音のようだったからかな・・・』と目をこする。車に寝た嶺と渓は、よく眠れたようだ。雨音がテントよりも静かだったからだろう。 固くなったままの体をほぐそうとオヤジが海辺の遊歩道に出ると、ちょうど大きなフェリーが近づいてくるところだった。テント場のすぐ脇は高知港につながる浦戸湾の入り口になっていて、明け方も漁船の出港が相次いでうるさかった。浦戸湾は川と同じほどの幅しかないので、フェリーは間近に近づいてくる。オヤジは急いで杜里を呼んだ。杜里は『こんな大きな船が動いているのをはじめて見たよ』と圧倒されている。陸上ではこんな大きなものが走ることは有り得ないから、船は実際に目の当たりにしてみるとすごい大きさに感じるものなのだ。 オヤジが遊歩道にボーっとたたずんでいると、犬を散歩させていた地元の人に声をかけられた。『夕べはテントに泊まったのかい』 オヤジが『なかなかすごい雨でしたよ』と答えると、『なかなかなんてもんじゃないよ。高知の市内では坂道が滝のようになって、車が何台も立ち往生したくらいだ』 『!・・・』 『めったに降らない大雨だったのに、あんたらよく逃げずに頑張ったねえ』 そうか、やっぱり昨夜の雨はこの高知でもすごい雨だったのか・・・。そういえば、テントの近くにおいてあったビール缶を片付けようとしたら、半分近くまで雨が溜まっていた。昨夜テントを張り終えたあとでオヤジが飲み干したビールだから、それから溜まったのだとしたら昨夜はいったい何ミリの雨が降ったのだろう。オヤジはそんなひどい雨なのに逃げることもしなかった自分たちは、本当にビンボーなのではないかとさえ思った。 ![]() 7:00、海辺にテーブルといすを並べ、温かいスープを手始めに朝食にする。いつもなら冷たいコーヒーや牛乳だが、雨でふやけた体にはどうしても温かいものが必要だった。嶺のケータイで気象情報をチェックする。予報は相変わらず『曇時々雨』、それでも雲の画像が薄くなっているので、今日は昨日みたいなことはないだろう。今日は高知から四万十川を経て中村に向かうことにする。 8:30、種崎を出発。浦戸大橋を渡り、対岸の桂浜へ。坂本竜馬の銅像を見る。まだこんな時間だというのにたくさんの人が来ている。銅像の前は記念撮影のラッシュ。最近の傾向は3人連れでも3人が並んでカメラつきのケータイで同じ絵を撮ることだ。みやげ物屋の壁に描かれているよさこいを踊る気合の入った女性の顔を見て、『よさこいって怖い人だね』と杜里がポツリ。クマゼミの鳴き声を間近で聞いて『死ね死ねって聞こえる』と嶺が言えば、オヤジは佳代子の顔を見ながら『オレにはシワシワって聞こえるけど』と返す。 9:30、はりまや橋。ビルの間に埋もれたかつての名所。全身広告と化した路面電車が行き来する。天気が回復傾向だ。薄日が差すようになってきた。もうこんな団体旅行向け観光地に用はない。早く四万十川にご対面したい、とオヤジがあせりだす。 高知市内を抜け、国道56号を西へ。天気が良くなってきたので昼食は四万十川で食べようと、土佐市内のスーパーで押し寿司を調達。太刀魚のバッテラやバラ寿司などなど。バラ寿司は1人前200円と格安。押し寿司も1本300円と安い。 須崎を抜け、窪川へ向かう。このあたりの地元の車は走り方が実にのんびりとしている。片側2斜線で前が開いていても、飛び出して早く走ろうとはしない。いつも前の車を煽るように走るオヤジは、この先で取締りをやっているのだろうと思って警戒してしまうが、どこでもそんなことはなかった。きっと風土としてのんびりしているのだ。 中土佐町から山を越え、大野見村へ。四国の山はどこも険しい。海辺の斜面にはみかんが植えられ、海から遠くなるにしたがって杉の植林になる。斜面の立ち方は信州の山よりも険しいかもしれない。地図では大したことのない山越えに見えた道も、意外と道が深く入り組んでいててこずる。 11:30、四万十川の支流、仁井田川に出る。四万十川はこの仁井田川や梼原川、広見川の大きな支流が合流する中流以下の呼び名だが、支流であればどの川も四万十川だといえる。川沿いにはしょうがの畑が連なる。高知はしょうがの大産地だ。CAMBIOのしょうがもこの大野見村生まれだ。河原に下りてお昼を食べたいところだが、河原がない。河原どころか川端の竹林がなぎ倒され、竹の間を水が流れている。昨夜の雨で大増水しているのだ。水が濁っていないので恐ろしさはあまり感じないが、これは年に何度もない大増水の最中なのだ。 四万十川は今回のツアーのハイライトのひとつだった。暑い日差しの中を川に沿って下り、広い河原で車を止めて汗みどろの体で冷たい水に飛び込む・・・。という夢を描いていたのだが、これではその夢はかなわない。広い河原は大増水が逆巻き、飛び込んだら最後、海まで流されてしまいそうだ。 ![]() せめて河原に下りてお昼を食べられそうなポイントを探すが、なかなかない。仕方なく川を望む田んぼのふちに車を止め、テーブルといすを並べる。せっかく四万十川までやってきながら、川に触ることもできないことに欲求不満が高まる。しかし、目前の川は人を寄せ付けない激しさで流れている。きっとこの先のどこかでいい場所を見つけてやる・・・、オヤジはまだあきらめ切れない。 食事の最中に、嶺が『ケータイに知らない人から伝言が入っている』と言い出す。『ほっとけ、ほっとけ、そんなやつ』とオヤジ。『今、中村から高知に向かっている途中ですって言ってるけど・・・』と嶺は言う。そこでオヤジは『はっ』と思い出した。 中学時代の友人で新宿区の小学校の教員であるJは、毎年夏休みに高遠にある山の家に当番としてやってくる。その際は時間を割いて必ず顔を見せてくれ、今年も2週間ほど前に立ち寄ってくれた。そのときに今年の夏のツアーの話をすると、彼も同じ時期に四国へのツアーを予定していた。そこで現地で連絡が取り合えるようにと、自分ではケータイを持っていないオヤジは、本人に無断で嶺のケータイ番号を伝えておいたのだ。 『よこせ』とオヤジは嶺からケータイをもぎ取り伝言を聞こうとしたが、使い方がまるで解らない。『伝言を出せ』と嶺に命じて伝言を聞き出すと、まさしく友人Jの声であった。『返信をする』と嶺をオペレーターに使い『こちら、ただいま四万十川で昼飯中。どこか出会える場所があれば待ち合わせしたい』と返信する。『ふん、ケータイを持っているとこんなときには便利なこともあるもんだな』 オヤジは勝手に番号を教えておきながら、まだ悪態をつくのであった。 ごうごうと流れる四万十川に沿って国道を下っていく。水の色は淡い水色。右に左に蛇行を繰り返しながら下っていく。蛇行するカーブの外側が削られて、田んぼの稲が流されている。これは先週の台風の増水でやられたものだろう。ちょうど一週間前にも台風がやってきて、四万十川はかなり暴れたらしいことを中村市のホームページが伝えていた。大雨で増水したときには、流れに逆らわずに沈むように作られている沈下橋が、実際に沈んでいる写真も添えられていた。 窪川で直接中村市に向かう国道56号にいったん出る。この増水では川に近寄れないので、もう中村に向かおうかと迷うが、せっかくここまできたのにもったいないという気持ちが勝り、再び四万十川に寄り添うように車を走らせていった。 つづく
八百屋一家の夏休みといえば毎年恒例の『ビンボーツアー』 旅館やホテルに泊まらず、テントを一夜の宿としてさまよい歩く。できうる限りお金を使わず、人に頼らず、知らない街、初めての道を本のページをめくるように訪ねてみる。ビンボーといっても心は気高く、お金の無力さをあざ笑うようにビンボーを楽しんでしまおう、というのがこのツアーの趣旨。
7回目を数える今年の舞台は、四国。 山陰・東北とだんだん足を伸ばすようになり、とうとう今年は初の5日間の日程。子供たちの年齢からして全員で出かけるのも、もうこれが最後になりそうな2003年。何事もあきらめない、しぶとさを身に着けるツアーとなった。 オヤジ…父親 佳代子…母親 梓美(AZUMI)…長女・高校3年 嶺(RYOU)…長男・高校1年 渓(KEI)…次男・中学2年 杜里(MORI)…次女・小学4年 8月14日(木)大雨 屋根をたたく雨音で目覚める。なんてこった。雨の予報は出ていたが、こんな大雨になるとは予想していなかった。昨年も一昨年も夏のツアーの出発は雨だったが、こんなにひどい降りではなかった。 夏休みで朝寝の癖がついた子供たちを、オヤジが『雨でも予定通りに出るぞ』といいながら起こして回る。子供たち自身の荷物は昨日までに各自揃えてあるはずだから、彼らは食事を済ませればいいだけだ。 テントやランプなど露営用具は、先の日曜日にオヤジが点検を済ませてある。細かいものを積み忘れないように注意しなくてはならない。今日は高知まで650kmを走る。明るいうちにテントサイトを決めたいのでなるべく早く出発したいところだが、あせって準備をするとろくなことがない。さまざまな状況を予想しながら荷物を車に積み込んでいく。天気予報では前半2日間は雨が降りそうだ。10年前に買ったブルーシートの安物タープを追加で加える。いつもぎりぎりまで走ってテントを建てるので、タープなどという優雅な日よけなど必要もなかったのだが、今年は雨をよけるために必要になるかもしれない。 8:50、土砂降りの中を出発。思ったよりも準備が順調に進んだ。子供たちが自分自身でいろいろ考えながら動けるようになってきたことが大きい。伊北ICから中央道を一路南下する。子供たちは後ろの座席に3人、荷室に1人という配置で収まっている。7回目となったこのツアーの最初の頃は、梓美が小学6年生、杜里に至ってはまだ3歳だったので車の中のスペースも余裕があった。ところが今は高1になった嶺が身長ではオヤジに並び、渓も佳代子と並ぶようになった。定員オーバーの子供たちで車の中は狭くなり、ひとりは荷室に追い出されるようになった。 今回はケータイが2台あるので、梓美は渋滞情報を、嶺は気象情報をチェックする役割を分担させた。さっそく梓美に渋滞情報を探ってもらうと、この先は名神に入ると混んでいるようだ。いつもであれば国道に下りてしまうところだが、今日は先が長いのでそうもできない。我慢我慢で通り抜けると、今度は京都から先が混み始めた。宝塚まで40km、抜けるのに3時間という情報にオヤジがキレる。 京都南ICで降りて京阪国道から171号へ。14:30、箕面の『ザ・めしや』で昼食。2年前の山陰ツアーでよく利用したセルフサービスの定食屋だ。おかずや小鉢を取り、ご飯と味噌汁を受け取ってテーブルにつくと店員がやってきて伝票をつける。この店は気をつけて選べばとても安上がりになるが、少しでも気を許しておかずを取ると内容の割りに高い食事になってしまう。5日間のツアーで都合14回の食事。朝食を含めて一切の調理をせず、外食とテイクアウトで済ませるとなると、その食材の内容まではとても関知できない。せめて野菜と肉のバランス、油分と炭水化物の量に気を配る程度だ。なるべく金をかけないというテーマもあるので、安価な店を選ばなくてはならない。6人で3000円を目安に食べられる店はそう多くはないが、それを見つけ出すのもまたこのツアーの面白さでもあるのだ。 15:40、宝塚から中国道に乗る。相変わらずの大雨。そのうち止むだろうという楽観も、夕方近くになってさすがにあやしくなって来た。高知でもこんな降り方だったら今夜はどうしたらいいのだろう。窓から見える川はどこも大増水だ。ラジオでは幼い姉妹が川に流されたことを伝えている。今夜のテント場所を十分に選ばなくてはならない。河原や山の奥は避け、海辺を選ぶことになるだろう。海辺は増水やがけが崩れる心配がない上に、砂地が多いためにテントに浸水する心配もない。 岡山から瀬戸大橋へ向かう。もうすぐ四国だ。そういえば去年の東北ツアー1日目もこんな大雨だった。東北地方から南下してきた前線の雨を通り抜け、テントを張る頃には雨が上がって『俺たちはツイているぞ』と叫んだものだった。今年も本州から四国に渡れば雨が止んでいるのではないだろうか。いや、何とか止んでいてほしい。小さな山の向こうに大きな橋が見える。あれが瀬戸大橋だ。小さなトンネルの向こうは長い橋になっている。前の景色を見ようと、運転席と助手席の間のスペースに子供たちの顔が4つもひしめき合う。トンネルの中から『5・4・3・2・・・』と子供たちのカウントダウンとともに瀬戸内海の上に飛び出す。だんだんと近づくのではなく、大きな橋を山の向こうに見え隠れさせておいて、トンネルから一気に橋に飛び出すという設計は、よくできたショーアップだ。 17:40、橋の途中の与島SAで休憩。大雨の中を展望台に上り、瀬戸内海を眺める。雨に煙る小島の間を、白い糸を引きながら船が走る。対岸にはもうもうと煙を上げる石油コンビナート。四国だ。四国まで来たぞ。これから5日間たっぷりと遊ぶのだ。願わくば真夏の太陽が頭上に輝きますように。 19:40、高知ICから高知市内に向かう。雨だ。土砂降りだ。まずは海辺にあるテント場へと向かう。市内を抜け、桂浜へ。浦戸湾の入り口に高知市内唯一のテント場がある。あまりの雨のひどさに意気消沈。さらにテント場への入り口を見落とし、浦戸大橋を渡ってしまう。もう一度大きな橋を渡り直して種崎キャンプ場に着く。すでに20時を回り、この雨とあってテントの数は数えるほどしかない。しかし、雨粒で道路が毛羽立つほどの大雨の中でテントを張ることになるとは、初日から大変な試練を受けることになった。 テントを建てるのを後に回し、食事と明日の朝食などを調達しに市内へ戻る。何も早くテントを立てて雨にさらしておくこともない。21:00、市内の『ガスト』で遅い夕食。隣のスーパーで朝食を買い込み、22:30種崎のテント場に戻る。少しでも雨を避けようと、浦戸大橋の下が駐車場になっているのでオヤジがそこにテントを張ることを提案するが、よく周りを見渡すと四方がすべてお墓だった。オヤジが子供たちに『お墓の中と大雨の中とどっちがいい?』と聞く。答えは即座に迷わず『雨!』だった。 23:00、大雨の中でテントを張り始める。本来のテント場は駐車場から奥に入った芝生だが、どこも水浸しだ。おまけにこの雨では車から離れた場所にテントを建てるのは得策ではない。浸水を避け車の近くとなれば、もう駐車場しかない。車を少し前に出し、バックドアを屋根代わりにしてテントを張る。合羽を着てもあっという間に全身ずぶぬれだ。今回も使うダンロップ製登山用テントは設営が簡単なのが特長だが、大雨と暗闇に手間取り時間を消費する。早くしようとあせる手元が余計な事をしでかし、さらに気持ちをあせらせる悪循環だ。 嶺と渓は車で寝ることにし、あとの4人は最小限の荷物を持ってテントにもぐる。もうすぐ日付が替わる。フライシートを雨粒がたたく音でテントの中は騒々しい。こんな大雨でも蚊がテントの中に入ってきた。いつもであれば、オヤジは非日常の一日を振り返りながら体と気持ちをアルコールで緩めるのだが、今日はちっとも緊張が緩まない。肩に力が入ったまま、マットの上に横になる。雨は強弱の波もなく、ずっと激しいままで降り続いている。これが南国高知の雨の降り方なのか。年間わずか1000mm強しか降らない長野県の中部とは雨の降り方がぜんぜん違う。圧倒されるような雨の中、暗闇に何度も目を覚ます長い夜を過ごすことになった。 つづく
八百屋一家は、夏休みの恒例となったビンボーツアーの準備を始めた。今年の目的地は『四国』。その中でも四万十川と足摺岬を最大の目標とすることにした。四国の中でも最も遠く、どうあがいても丸一日は行き帰りに費やさざるを得ない。それでも行ってみたいと思うに足る、魅力的な目的地だ。
ドライバーのオヤジは、暇さえあれば地図とにらめっこ。どのルートを走るかということよりも、どこにどんなテントサイトがあるかがただいまの最大の関心事。地図に載っているようなオートキャンプ場ではなく、市町村が住民のために開設しているような、ひなびた無料のキャンプ場がビンボーツアーの好適地だ。そんな場所は地図で目星をつけた市町村の公式ホームページを検索し、そこから探し出すのが早い。日曜日はパソコンの前に地図を広げ、使いたくてうずうずしている子供たちを横目でけん制しながら、手当たり次第にホームページをめくっている。 可能な限りお金を使わず、昼は山紫水明を求め、夜は遠知らない街を漂い、明日の予定はその場で決めるというのがわれらがビンボーツアーの趣旨。一夜を明かす場所を求めて闇を彷徨うことがあるかと思えば、その後何度も夢に出てくるような美しい海に出会ったり。四国を目的地とした今年の最大の敵は、なんといっても『台風』 信州までやってくるヘロヘロにくたびれた台風ではなく、元気バリバリの四国の台風を経験してみるのもいいんじゃないか、という一部の意見に子供たちはややビビリ気味。そんな体験も受けて立つつもりではありますが、やっぱりカッとした夏の太陽の下、汗みどろの体で四万十川に飛び込むというのがただいま描いている絵、であります。 八百屋一家のビンボーツアー 2003・四国編 ~~全天候型一家のあきらめない日々~~ 8月14日。八百屋一家の総決算は大雨で始まった。天気予報を一日5回もチェックしてきただけに、多少の雨は覚悟の上だ。ここは大雨でも雨のカーテンの向こうには、きっと真夏の太陽が待っている。汗みどろのTシャツを脱ぎ捨てて、四万十川に飛び込むのだ。さあ行くぞ、四国まで! ★★今週より連載★★ < 前のページ次のページ >
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