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街中で八百屋という店はもう残り少なくなっていて、かつて岡谷にあった八百屋もほとんどやめてしまいました。やっていた人が高齢化したという理由もあるのでしょうが、大きくは街の人たちの野菜の買い方が変ったためだと思います。野菜はほかの食べものと一緒にスーパーで、あるいは直売所で。われらが店も野菜だけではないから八百屋とは言えないかもしれないけれど、絶滅危惧種なんですよ。
夏場になるとよく「野菜を置かせてほしい」というお話を頂戴しますが、すべてお断りしています。時には「こんなにいろんな人の野菜があるのになぜダメなんだ!」とお怒りになる方もいらっしゃいます。私たちはできた野菜とお付き合いするのではなくて、作る人やその作り方とお付き合いするので、野菜をいただく際はならず畑を見せていただいた上でお話させていただきます。怒らないでよね。
お怒りになる方は、おそらくこの店を直売所と勘違いされているのでしょう。直売所は野菜を委託で置いて売れた分だけ支払いますが、私たちは前もって発注をしてすべて買い取ります。きっちりお付き合いするためにはこちらが責任を持って売る約束が必要だからです。野菜を並べるのは簡単ですが、保管して鮮度を保って売り切り、利益を出して家賃を払って店を続けるのが八百屋の仕事なんです。
かつて地回りのお兄さんが店をのぞきに来たことがありましたが、けっ!と言って帰っていきました。値札が100g30円とか1束199円ですから、搾ろうったって無理だと思ったのでしょう。食べものの商いなんてそんな金額の積み重ねです。決して華やかではないし儲かりはしないけど、面白いからやってられる。大きく言えば食べものから世界が見えてくる。たかが八百屋だけど面白いんですよ。 ![]() #
by organic-cambio
| 2023-02-08 17:09
| 店主の雑言
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八百屋の食卓が完成したのは2019年10月。お披露目が終わっていくつかのイベントを開催して、正月を越えてゆるゆる始めた途端にコロナ禍が始まりました。みんなで一緒に大きなテーブルを囲んで、ごはんを食べることで知らない人同士が家族のような時間を過ごす。それを契機に人がつながり食べものを通してどんな未来を望むのかを考えるきっかけが起きる場所、という目的は頓挫しました。
それからはや3年。大皿に盛った料理をみんなで分け合って食べるのはいまだにご法度ですが、みんなで一緒に食事をすることは少しずつできるようになりそうです。すぐに何かを始めようというほどまだ状況は甘くないのですが、少しずつ準備を始めようと思っています。いくつかのアイデアが3年の間に浮かんできていて、それをどう組み立てようかといくつもの草鞋を履きながら考えています。
ひとつは野菜の作り手と料理の作り手が食卓を作り上げるイベント。食べもの絵師の漆原さくらさんのイベントで試みたスタイルで、場所を畑まで延長してみたい。畑を見てからテーブルにつくと、その日にとれた野菜が美味しい料理になっている。そこに野菜の作り手と料理の作り手の話を加えて、その食卓をめぐるストーリーも一緒に味わう。畑のそばで八百屋の2階だからこそできるイベント。
テーマを前に出さずみんなで美味しいごはんを食べるだけでもいい時間を作れるはずです。そこでひとりずつ自己紹介をしながら、その日その時の家族のような時間を過ごせたら、この八百屋の食卓を作る際にイメージした姿になります。その企画をして予約を集めて実行するのは大変なエネルギーが必要で、地域と八百屋の仕事に加えて3足目の草鞋をどう履きこなすかが問題だ。過労死するかも。
![]() #
by organic-cambio
| 2023-02-05 10:49
| 店主の雑言
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我が家の息子たちにはオタクの血筋が流れていて、親として彼らが小学生のあたりからその存在に気づいていました。好きなことの細かいことまで覚え、その違いや特徴についてとても詳しく知っている。それがお勉強の足しにならないことばかりで、傍から見るとエネルギーの使い方が無駄に思えるのでした。でもそのことに口を挟まなかったのは、ひとえに自分もそうだったからに他ありません。
ワタシは鉄道オタクでした。今はまた鉄道ブームのようで、オタクの人たちの存在を駅周辺で見かけることがありますが、ワタシはオタク的趣味を固く封印したので何も感じません。中学生のくせにひとりで広島や三重まで夜行列車で出かけたりしたのですが、高校生から山岳部に入って山に登り始めたことで、オタク的鉄道マニアがつまらなくなってしまったのです。だって、世界が狭いんだもん。
それでも高校1年生の夏に始めて大鹿村に来た時、新宿からの夜行列車が飯田線に入るとオタクの血が騒ぎました。伊那松島の駅には大正時代に輸入された英国製の機関車だとか、戦前に一世を風靡した流線型の電車が止まっていたのですから。でも、その後に過ごした大鹿村での夏のインパクトが強くて、古い鉄道車両を追いかけるより広くて大きな山に登ることの方が楽しくなってしまったのです。
山岳部に入ることになったのは、中学生の時に鉄道写真を撮るために重い機材を担いで線路道を歩くことが好きだったのがきっかけでしたから、鉄道オタクが山登りに発展したのだとも言えます。鉄道も山も誰かと競うのではなく、ひたすら自分の指向と向き合うことであるのは共通しています。ただ、小さな違いに意味を見つけるオタク的世界から、山や自然に考える世界が広がったことは確かでした。 ![]() #
by organic-cambio
| 2023-01-28 15:33
| 店主の雑言
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SNSの個人アカウントを開くと犬の写真ばかりで、いかに日々の関心が犬に吸い取られているかがよくわかります。周りから見ると犬を溺愛する困ったオヤジに見えるでしょうけれど、仕方がないと諦めてます。最近は世話を焼く飼い主とペットの関係だけでなく、信頼関係に発展してきているようでちょっとアブナイかもしれない。帰りを待ちわびる姿が旅先に送られてくると、涙が滲んじゃうw。
当り前ですが、犬を飼うことはいのちと付き合うことですから、終わりを考えておかなくてはなりません。5年前に先代の犬を見送った時のことを鮮明に覚えているだけに、あんまり気持ちを入れ込むのはどうなのかと逡巡することもあります。でも、家族として家に受け入れて暮らしているわけですから、日々一緒に齢を重ねていくことになります。終わりが来るのは犬が早いのかワタシが早いのか。
つい最近、同い年の友人が犬を飼い始めたのですが、さんざん迷ったのが犬との寿命の競争になることだったそうです。犬が15年生きるとすると、自分を含めた男性の平均寿命と重なる、と。ワタシは今の犬が寿命を迎える時に備えて、もう一頭飼おうと思っていたのですが、カミさんに「飼い主が先にいったら誰が面倒みるの!」と叱られました。いや、オレはあと35年は生きる予定なんだけど。 彼が新たに犬を飼い始めたことを知った夕方、16年連れ添った犬が今朝亡くなったばかりのお宅に伺いました。我が家の犬も遊んでもらった大先輩だけに、最後のお別れにまだ生きているような亡骸を撫でて冥福を祈りました。一緒に日本縦断までした大事な家族を亡くした、飼い主にとってつらい日であることがよくわかります。犬は人間より寿命が短いだけに、必ずつらい日がやって来るのです。 ![]() #
by organic-cambio
| 2023-01-18 17:55
| 店主の雑言
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移住者である私たちにとって正月は郷に帰る日々だったのですが、最近は子どもたちが帰省してくる日々にもなってきました。毎年元旦までは帰省した子どもたちと過ごし、2日からはカミさんの実家がある関西へ向かうのが恒例。今年は娘が犬を家で見ていてくれるというので、気兼ねなく出かけられました。犬は帰りを待ちわびていたらしいけれど、離れる日もたまにはあった方が良い。
東京で生まれ育った私にとって、同じ都会でも関西は異郷です。言葉だけでなく食べものや文化が微妙に違うところが面白くて、わざとその違いを探して楽しんでいます。一方で日常的には狭い地域の役も担っているので、極めて狭い社会のしがらみやしきたりにも直面しています。共通認識だけで動く社会に暮らしていると、知らないことばかりに囲まれる旅はワクワクする時間なのです。
ある程度情報環境が平準化された今、知ろうとする意志と道具さえあればどこでも何でも知ることができます。知識としては何でも得ることができるけれど、実際の距離を縮めたり同じ空間で起きることを同時体験することはできない。自らの身体が時間をかけて移動することで得られる異空間や未知の体験は、知識が安易に得られる時代だからこそ沸き上がってくる原始的な欲望なのです。
今年も関西で4日間を過ごしてきました。地域の役や犬が一緒に暮らしていることで、このところ長い旅をすることができずにいました。長いといっても店があるのでせいぜい1週間が限度ですが、今年はもう少し遠くに足を延ばしたくなってきました。突然。来週からしばらく休みます、なんてことはありませんが、少し休みが増えるかもしれません。おっとしまった、今年は地域社協の会長だった。 #
by organic-cambio
| 2023-01-10 17:15
| 店主の雑言
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