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松代大本営、正しくは象山地下壕へは、上田の無言館とセットで子供たちを連れていこうと思っていたのだが、子供たちはいつしかあちこちに散らばってしまい、出かけたのは夫婦だけであった。
江戸末期の藩校などが残る松代の、なんでもない住宅地の中にその入口はあって、ヘルメットをかぶって中へ進むとやがてひんやりとした冷気に体が包まれる。真夏の暑さの中でたどり着いたその冷気は、子供たちが一緒であれば、彼らはかつて出かけた富士山の風穴を思い出したであろう。 しかし、壕の中の風景は暗いことを除けば風穴とはかなり異なっていて、削岩機の跡や、直線的に交差するいくつもの壕など、人工的に掘ったことが明らかである。さらに素掘りの岩に「大邱」と読めるような字が書かれていて、この壕に潜む暗い歴史が垣間見られるのであった。 地下壕全体の構造は、いくつもの壕が碁盤の目のように直線的に掘られていて、外と出入りができるのは数か所に限られている。それはここに大本営や政府機関が逃げ込むという目的からすれば、当然、外敵から守りやすくするためだと理解できないことはない。この壕の至る所にさらなる部屋が掘られ、そこに電気をひいて机を置いて、ここから戦争の指揮をとる・・・という計画だったらしい。 地下壕はここだけではなく、近くの山には天皇や皇族をかくまう地下壕も掘っていた・・・。計画は敗戦の色が濃くなった昭和19年11月から始まり、終戦の日まで突貫工事が続き、計画の7割ほどが出来上がっていた・・・。壕の掘削に従事したのはほとんどが強制連行された6000人もの朝鮮人・・・、そのうちわずか10か月の間に300人もの人が亡くなっている・・・。 そんな史実を並べてみると、この壕を作った国の指導者の性質というものが浮かび上がってくる。それは、大国といわれる国々を相手に戦争をしてきた政府や軍の大本営が、自分たちの身が危うくなってきたことを察知して、植民地の外国人を強制連行して山に穴を掘らせて、そこに逃げ込む算段をしていた・・・、ということなのだ。 これは凄い。考え方自体が破綻している。 飛行機ごと巨大な戦艦に突っ込ませたり、女学生に竹やりを持たせて首都決戦に備えさせたりしたのと同じで、それで国がこれからどうなるということより、とりあえず何かをしなくては今を過ごしきれないというような、完全な思考停止状態だったのだ。 それでも唯一考えていたのは、天皇や大本営を匿って「国体」などというただの「蝋燭の灯」を護ることだけ・・・。それが史上最大の危機にあたって、この国の指導者が考えていたことなのだ。 地下壕の公開部分としての最奥部に、手向けられていた子どもたちの千羽鶴や花束。まだ拙い字で書かれた祈りの言葉。すれ違う人の会話から聞こえてくるのは韓国語。ここを訪れる人たちは決して多数派とは言えない。靖国を訪れる人たちの数百分の一か、数千分の一の人しか、この壕のことをしらないだろう。同じ戦争で亡くなっても靖国に祀られれば「英霊」と呼ばれるが、ここで故郷の名を岩に刻み、壕の露と消えた人たちの霊は何と呼ぶのだ。 もっと知らしめなくてはならないと思う。かつての史上最大の危機にあたって、この国の指導者たちは何を考え、どう行動したのかを。そして、この壕を掘らせた主体はどこへ行ったのかを。 この松代大本営、正しくは象山地下壕が延々と保存し続けてきた史実は、沖縄を除く本土の中にあって圧倒的なものがあると思う。なぜ、地方の一行政の管理だけにとどめているのだろうか。それは中央の行政が動けない、オープンにできないほど重い史実が眠っているということに他ならない。まるで「民は知らしむべからず、よらしむべし」という声が、暗い壕の中から聞こえてくるようだ。 壕から出ようとすると、あまりの気温差でメガネが曇ってしまった。それはまるで世間に漂う「不快な水分」が、現実の世界を見えにくくするために結露したように思えた。
by organic-cambio
| 2009-08-18 18:58
| 店主の雑言
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