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1月8日。思ったほど私の頭痛はひどくならなかった。逆にHの胃痛はひどくなっているため、BCに下りてもらう。SとOはC1で休養。私は一人で6000mまで高度順化。夜、頭痛がひどく、食事とれず。 1月9日。3人で6400mの「インディペンデンシア小屋」まで順化に登る。赤茶色の急斜面は6000m付近で稜線に出る。雪の付いたミックスの岩稜をさらに標高差で400mほど登ったところに、犬小屋を大きくしたような、木造の小屋が2軒。それぞれ4~5人も入れば一杯になってしまうような、小さな小屋だ。この小屋を登頂前の最終キャンプに使うことにする。頂上まで、標高差にして約550m。ここから一気に頂上を往復することになる。6000を越えると、さすがに息が苦しい。空が青を通り越して、黒に近い藍色だ。 5200mのC1に戻る。急斜面を下りながらC1を見ると、私たちのテントに誰かが出入りをしている。なんだろう。回りのテントに人がいるのだから、何かを盗んでいるという訳ではなさそうだ。 早く下りたいところだが、ここはまたゆっくりと下りなくてはならない。 C1に着くと、メンドーサの大学生グループが、私たちのテントを取り巻いていた。中に入ろうとすると、ひとりが英語で話しかけてきた。「これはあなたのテントか?」、「そうだ」と答えると、「しばらく使わせて欲しい」という。テントの中をのぞくと、身長2m近い大きな男が、下半身裸で横たわっている。何事だ? 裸の大男は、高山病で意識を失ってしまっていた。C1から上部へ高度順化していたらしいが、C1に帰ってきたところで意識がもうろうとなって、私たちのテントに迷い込んでしまった。みんなで連れ戻そうとしたらしいが、Tがそうであったように無意識に暴れた。そして、そのうちにテントの中で小便を漏らしてしまったのだ、という。おいおい…、やめてくれよ…。幸い私たちの寝袋や備品に被害はなかったが、付き添っている男が布で拭いているところに沁み込んでいるようだ。 6400まで高度順化した私たちも疲れている。特に女性のSは、これではテントの中に入ることもできやしない。回復してもしなくても、早く出ていってもらうしかない。テントの中に入り、様子を見る。裸の大男は完全に意識を失っているわけではなく、時々もうろうとしながらも意識が戻っては暴れる、という状態だ。これはまた酸素を使うのがいいかもしれない。決して安価ではない酸素ボンベだが、仕方がない。マスクをテープで固定してボンベを開く。小さなボンベだが、かなり高い気圧で酸素が入っている。このあと、自分達がこんな状況に陥った時に、いざ使おうとしたらもう酸素が残っていなかったら目も当てられないと思いながら、バルブを最小限だけ開き、わずかずつ吸わせる。 大男に酸素を吸わせながら私の頭の中には、今日このままベースキャンプまで下りてしまう案が浮かんできた。一気にベースキャンプまでいったん下り、胃痛で休んでいるHを連れてアタックをかける…。6400まで高度順化を済ませた私は、もうすっかり遅れを取り戻し、このままアタックを掛けられる状態にまでになった。Hは6000以上まで高度順化を済ませているので、インディペンデンシアに一泊するのは辛いだろうが、アタックに参加できないことはないだろう。このまま私たちだけでアタックすれば、恐らくHは登るチャンスを失ってしまう。一日の猶予でHが行動に加わることができるのであれば、そうしてやるべきではないのか。3年前の計画段階から一緒にやってきた仲間なのだから、チャンスを残してやれないものだろうか。 その一方で、わずか一日の差で天気が変ってしまう可能性も否定できない。そろそろ天気が変わり目にきてもおかしくはない時期だ。それに、どんな事情であれ体調だけは自分の責任なのだから、いったん失ったチャンスは自分で取り返すしかない。一日とはいえ、そのために全員が登れなくなってもいいのだろうか。 酸素ボンベから、酸素が出て行く音がシューシューとわずかに聞える。大男の大学生はまだもうろうとしている。SとOは大学生達のテントに招かれたようだ。私は後に決定的になる今日の行動をどうするか、一人で迷っていた。 下半身裸で、私たちのテントに横たわっていたアルゼンチン人の大学生は、酸素を1時間ほど吸わせるとおぼろげながら意識が戻ってきた。自分で何をしでかしたのかなど、全く解っていないようだ。仲間を呼んで自分達のテントに引き上げてもらう。あとは自分達で介抱してやるべきだ。 私は迷った末、いったんBC(ベースキャンプ)まで下りることにした。特に下りなければならない理由はない。下りたからといって、Hが再び行動に加わることができるかどうかも解らない。それでも、どこかにこのまま頂上に向かってもすっきりしない雰囲気があった。 SとOを大学生達のテントから呼び出し、BCに下ることを告げる。Sはほっとした表情を見せた。HとSは夫婦だから、ここまで来て胃痛に苦しむHのことが気にならないはずはない。Oは怪訝そうな顔をしたが、特に異議を唱えることもなかった。 C1のテントの中を片付け、BCに下る。下っている途中、上空をヘリコプターが飛んできた。C1の上でホバーリングをしている。大学生達との別れ際に、高山病はなるべく早くしたに下ろした方がいいと言った時に「無線でレスキューを呼んだのでOKだ」と言っていたのを思い出した。レスキューとはこのヘリのことだったようだ。さすがは地元だ。私たちがガウチョに2日も待ちぼうけを食わされたのとは、随分違う。 BCに着くと、Hと共にTがいた。今日、ムーラに乗ってインカの橋から戻ってきたところだという。1週間ぶりにメンバーが揃って顔を合わせる。高山病と感染症から回復したTと、胃を病んでしまったH。予備日を入れてあと5日間しか残っていない日程。高度順化はTを除き4人は出来上がった。明日より、ここから行けるものだけで頂上アタックに出ることにする。Tは別行動でC1まで、無理をしない範囲で動く。問題はHだが、明日の朝自分で判断してもらうことにする。行動予定は、明日はC1まで。明後日にインディペンデンシアに入り、3日後に頂上に向かう。予備に1日。そして予定通り14日にはC1を撤収してBCに下り、行動を終了させる。 Tが戻ってきたことで、一番嬉しそうだったのは最年少18歳のOだった。Oはわずか3歳の時に父親と死別した影響か、誰彼となく年上の人に父親役を求めてくるところがある。今回のメンバーではやはり最年長のTにその役目を求めていたのだが、そのTがリタイアして父親不在となっていたからだ。Tが不在の間、私にその役目をそれとなく求めてくることがあったが、すでにOよりも年上の子供がいるTのようにはいかなかった。母一人子一人の生活では、成長期のはじけるような勢いをぶつけようにも、相手がいない。Oを見ていると、その勢いを山で消化しているように思えた。それはある意味で、とても危険なことでもあった。
by organic-cambio
| 2009-10-17 14:06
| 旅行記
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