7年に一度の御柱祭は、この地域の人たちの人生に年輪となって刻み込まれる。よそ者の私たちはちっとも血が騒がないので、一度も御柱を曳いたことがない。それでも御柱が大きな節目に思えてしまうのは、私たちがこの地にやってきたのがたまたま御柱の年だったからだ。今回で4回目の御柱祭。おかげさまでCAMBIOは開店から18回目の節目を、無事迎えることができました。
思い出してみれば、私たちの信州での暮らしは、ちょうど御柱から始まったのだった。長女の小学校入学を機に自分の店を開くことにしたので、東京からの引っ越しは保育園の卒業式が終わった3月の下旬になった。引っ越して1週間で入学式というあわただしい日々の合間の週末に、御柱祭も始まった。上社の山出しが終わって、金曜日からはいよいよ下社の山出しという日程の合間で、小学校の入学式も行われた。地縁も血縁もなく、勝手にふわりとやって来た身だったから、その土地の風習も習慣も知らない。ましてや御柱が土地の人にとって、どんな意味のあることなのかも知らなかった。
そんな親に連れられてやってきた子供たちも、なかなか大変だったようだ。入学式の次の日から、長女はみんなとは違う真っ赤なランドセルを背負って学校に行った。布のランドセルがあるなんてことも知らなかったのだ。3日目ぐらいの朝、長女が家を出ていってしばらくしたころ、通学路にある写真館の奥さんから家に「お宅の娘さんが、橋の欄干に座って泣いてますよ」と電話があった。ランドセルに書いてあった電話番号を見て連絡してくれたらしい。保育園ではみんな仲のいい友達ばっかりだったのに、学校は知らない土地の知らない子ばかりで、寂しくて仕方がなかったようだ。急いでその橋まで行き、泣き続ける長女を学校まで抱いて行った。学校に着いてもしがみついたまま離れてくれず、見かねた6年生の女の子たちがなだめながら連れて行ってくれた時は、こっちまでが泣きそうになった。
保育園の年中組に入った長男も、腹痛が続いて時間外の小児科に連れて行ったが、原因不明のままだった。きっとストレスに耐えきれなくて腹痛で訴えたのだろう、と今は想像できる。いやはや、オヤジはノーテンキに東京脱出を喜んでいたが、子供たちにとっては大変な毎日だったのだ。
開店のころのそんな出来事の話をある人にしたら、「あんたたちはフツーではない」と呆れられてしまった。たしかに地縁も血縁もない知らない土地に、未就学の子供たちを3人もつれて引っ越し、やれ入学式だ、入園式だ、御柱だ、何だそれ?、とやっている2週間後には「オーガニック食材」なんていう得体のしれない店を開いてしまったのだから、いま思えばフツーではなかったかもしれない。
そんな無謀な経験のおかげか、わが家族は自分たちの先行きが多少見えなくても、不安を訴えたりすることがない。いつも何とかなる、と思っているようだ。それは図太くなったという言い方ができる反面、ノーテンキになってきたということでもある。成長したということか、それとも・・・。 2010/4/20