もう20年も前のこと。「手首ラーメン事件」という出来事があった。それは、ヤクザが不義理を働いた手下の手首から先を切り落とし、その手首を屋台のラーメンのスープに煮込んでしまった、という事件だった。
その頃、私は屋台のラーメンを夜な夜な食べあさっていた。東京のはずれの道端には、どうみても営業許可とは縁のなさそうな怪しい屋台が、あちこちに出没していた。毎晩同じところでやっている屋台は、保健所ではなくヤクザの営業許可があるようで、時々それらしきお兄さんが見回りに来ていた。
私が贔屓にしていたのは、自衛隊の練馬駐屯地近くの環八通りの屋台。電気は発電機で、丼は大きなポリバケツの水をかけて洗うだけ。昼間に見たらとても食べる気にならないような不衛生さではあるが、そもそも屋台とはそんなもの。気にしていたらラーメンがまずくなってしまう。
その屋台は東京に圧倒的に多い醤油味ではなく、何味と表現するのが難しいような白いスープのラーメンだった。屋台には、麺を茹でるお湯と、得体の知れないものがグツグツと煮込んであるスープと、大きな釜が二つ並んでいる。スープの釜にはいつもふたがしてあって、スープをすくう一瞬しか中を見ることはできない。麺を茹でている間に丼に濃縮スープの素を入れ、そこに釜のスープを網で濾しながら注ぎ込む。時々野菜のかすや動物の骨のようなものが網に引っ掛かり、それはまた釜に戻される。「その中、何が入ってんの?」と聞いても、屋台のおじさんはにやにやしながら「いろんなもの」とだけ答えるのだった。
ちょうどそんなころに「手首ラーメン」の事件が起きた。あり得る話だ。屋台の常連の私は驚きもしなかった。あの釜の中に入れられたら、残るのは出がらしの骨だけ。これは推理小説のトリックにも使える。
事件の後、環八通りの屋台でも「おじさん、その中に手首入ってない?」という客がよく見受けられた。屋台のおじさんは「うん、入ってるよ。だから旨いんじゃないか」と慣れた様子でかわしていた。ところがある晩、数人のサラリーマン風の男達が、しつこく「手首を見せろ」と絡んできた。そこでおじさんが、一発を仕掛けた。人数分のラーメンを作り終えると、「そんなに手首を見てみたいか」とその筋の声になり、スープの釜からある物をすくい上げると、男達の方に投げつけたのだ。夜中の道路に、ひじから先の手首のような骨が跳ねた。私はただでさえ油でギトギトの丼を、思わず落としそうになった。これから食べようとしていた男達も、声を上げて飛びのいた。
屋台のおじさんは鼻歌を歌いながら、暗がりのポリバケツから水を汲んで、丼を洗いはじめた。道路に転がっているのは、鶏の足だった。 2002/6/18