2月10日に父が亡くなり、一週間が過ぎた。
父が亡くなったことは悲しまなければならないのであるが、家族の間に、とくに私の心の中に、どこかほっとした空気が流れているのは哀しいことである。
父は腎臓の機能が落ち、医師よりあと1年と言われながら、2年近く持ちこたえた。その間に家族のだれもが、やがて訪れる父の最期を受け入れる用意をすることができた。また、認知症が一時期の入院が引き金になり、日を追ってひどくなって家族を悩ませてもいた。
着替えから下の世話まで、身の回りのことはすべて母が面倒を見ていた。少しでも目を放すと、とんでもないことをしでかすことがあるので、母は四六時中、父につきっきりであった。母がいてくれたおかげで、私たちは平常通りに仕事を続けることができたが、母に何かが起きたら、私たちの生活基盤にまで大きな影響が及ぶことは必至であった。
そんな、いつ起きるとも、どう転ぶとも、いつまで続くともわからない漠然とした不安を抱えていても、比較的平穏な生活を続けることができたのは、ひとえに親子でありながら子から親へと通ずる情というものが薄かったからに他ならない。
家族は誰もが予期していたとはいえ、徐々に衰弱して迎えた最期ではなかったので、突然やってきた弔いの日々は、怒涛のように過ぎ去っていった。
そして、早くも落ち着きを取り戻した今、その日々を振り返っておくことにしようと思う。