先週は、ここに小さな地震から始まった、お粗末な話を書いた。数日後にこんなひどいことが起きるとは、夢にも思わずに。おそらく何万にも及ぶであろう行方すら分からない人たちとその家族を思うと、今日もいつも通りに店を開け、三食を腹いっぱいに食べられることが、申し訳ない。どうか、一人でも多くの人が家族のもとに帰ることができますように・・・。
被災者の方に不謹慎だとお叱りを受けるかもしれないけれど、地球上での人間の所作は、大地と海の身震いの前にあってはあまりに小さかった。千年に一度という大きな身震いとはいえ、千年という時間は地球にとっては、短い、瞬きのような時間でしかない。そんな巨大なスケールの中で起こる災害を目の当たりにして、私たち人間の存在は、いかに小さくて無力であるかを思い知った。
人間が小さくて無力であることは、原発が破たんして、コントロール不能に陥ったことでも証明された。絶対にあってはならないことを、本当に絶対起きないかのように言い繕って来たけれど、やはり絶対ということはあり得なかった。しかも、地震が原発に損傷を与えたのではなく、停電という事態に備えておいた電源が使えなかったために、冷却水を満たすことができなくなってしまった。電気がないために発電所が壊れて放射線が漏れるというお粗末な事態を招いたのは、人間の思い上がり以外の何物でもない。
これを書いている15日の時点では、まだ事態は悪化する可能性があるけれど、放射線被ばくという人間を遺伝子レベルから破壊していく被害がこれ以上広がらないことを、とくにこれから長い時間を生きる子供たちに、その被害が及ばないことを心から祈る。そして、この事故を機会に、原子力に頼るエネルギー政策から、自然エネルギーを活用する方向に、政策を転換しなくてはならない。
店頭に並んでいる商品の生産者の中には、いまだ消息のわからない人がいる。震災報道で壊滅的な状態といわれた陸前高田市には、キムチや漬物を頂いている「八木澤商店」と、ホタテや生鮭切り身などの「三陸産直センター」の二軒の生産者がいた。そのうち、「八木澤商店」は地図と被害の報道を見比べると、すべてが津波で流されてしまったようだ。創業二〇〇余年になる古い醤油蔵は、漆喰の壁が美しい土蔵造りだったけれど、「鉄筋の建物が三棟残るだけ」という市街地の映像を見れば、そう判断せざるを得ない。八代目になる河野和義さんの消息は、まだ分からない。広田湾に面した海沿いにあった「三陸産直センター」についても、まだ何も分からない。本当に、何ということになってしまったのだろう・・・。2011/3/15
※八木澤商店の河野和義さんは、無事が確認された。