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梅が咲いていた。そうか、もうすぐ四月なのだ。よく見ると、垣根の下にレンギョウも黄色の花を咲かせている。いつもなら一歩一歩近づいてくる春を目で探しては楽しむ時期なのに、今年は3月11日からの2週間余りは、すっかり季節感を失ってしまった。南では、もうきっと桜が咲いているのだろうけれど、テレビも新聞もネットも灰色のニュースばかりで、桜の花も灰色に染まっているのではないだろうな。5月の連休ごろから咲き始める東北の桜は、今年はどんな色に咲くのだろう。被災者にはどんな色に見えるのだろう。
我が家の高2の娘は、地震直後の日々にテレビで流れた、津波で車が流され、家が壊され、街がなくなってしまう映像を見終わると、いつもとは違う異様な疲れを感じると訴えた。破壊的な映像は、見る側に極度の緊張と憔悴をもたらすのだ。皮肉なことに被災した人たちはこの映像を見ることができず、安全でいつも通りの生活ができる人が、この破壊的な映像で憔悴してしまって、世の中がどこもかしこも灰色に染まってしまった。ニューヨークのテロで、旅客機がビルに突っ込む映像がアメリカでは放映禁止になったように、破壊的な映像は人の神経を必要以上に刺激することが知られ始めているから、この地震の映像もなるべく公共の電波には乗せないほうがいい。もう見ないほうがいい。 地震と津波だけでも立ち直るのは大変なのに、原発事故の成り行きが見えないことがさらに気分を灰色にさせる。稲作農家はいつもであればもう苗代をこしらえる時期なのに、福島県では被災していない地区まで今年の作付ができなくなるかもしれない。首都圏の台所を賄ってきた福島県は、首都圏の電気を賄ってきた原発の事故によって、沈黙の春を迎えなくてはならなくなりそうだ。事故が起きればこうなってしまうことが分かっていたけれど、その被害をこうむるのが原発の受益者でなく、土とともに生きる人であることは理不尽だ。 今回の原発事故は、地震が原因とはいえ、設備が壊れて自然界に存在しない物質がばらまかれたのだから、人災であると私は考えている。ところが、原子炉を設計して運転してきた技術者は、技術や理論は間違っていなかったが、被害が設計の想定を上回ってしまったのだから、天災であると考えている。両者の違いは、歴史や哲学を基にして人間の存在を考える文系の発想と、数値や理論を基にして人間が利用できる技術を設計する理系の発想の違いなのだろう。本来であれば、思想というものがその両者を束ねてうまく社会を構築するものなのだけれど、今は思想の代わりに経済がその役目を演じてしまっている。その経済に誰しもが成長を求めた結果、人間の存在よりも技術が優先されてきたのではないか。人口が減って社会構造が変わっていくこれからも、経済の成長が社会の発展なのか。経済が発展しないと人間は幸福になれないのか。 長野県は停電になることもなく、今のところ放射能の濃度もまだ低いけれど、日常のエネルギーを今までどおりの感覚で使い続けることを、考え直さなくてはならなくなるだろう。「電気はクリーンエネルギー」というのは使う場面のことだけであって、原子力はもちろん、火力だって水力だって自然を犠牲にして作られる二次的なエネルギーなのだ。今までは、電力会社が絶対に供給量に不足を起こさないように発電所を作ってきたけれど、原子力をやめるという方向に向かうのであれば、今の首都圏のように、使える電気に制限ができるということを受け入れなくてはならない。それは、明治時代から拡大一辺倒で来た消費生活を、根底から変えることになるかもしれない。「昔にはもう戻れない」というけれど、今回は少し昔に戻らなければならないかもしれない。今までどおりでは何も変わらないのだから。 マッチ擦る停電の夜の闇深し身削るほどの覚悟はありや (パクリ) 2011/3/29
by organic-cambio
| 2011-03-29 17:37
| 店主の雑言
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