笹子トンネルの事故はショックだった。開通直後から数えきれないほど通過してきたトンネルに、いつの間にか罠が仕掛けられていたようなものだ。自分がその罠にかかる可能性もあったわけだから、どこか遠くの出来事ではない。笹子トンネルの前後の風景を思い出すと、自分がゆっくりと落ちてくるコンクリートの板に押しつぶされる光景が想像できてしまう。天井を支えていた金属が経年劣化を起こしたのが原因だと報道されているけれど、経年劣化したのはそれを想像すらできなかった人間の方で、そのトンネルを高速で走りながら危険を想像できなかった自分も、その経年劣化を経たひとりに数えられるかもしれない.
でも、思い返してみると、笹子トンネルや同じような造りで長い恵那山トンネルを通るときに、危険をまったく感じなかったわけではなかった。薄汚れた壁や水がにじみ出て「くたびれてきたなあ、大きな地震があったらもたないだろうなあ」とは感じていた。それが具体的な危険として自分の中で大きく認知されなかったのは、有料道路だからきちんと管理されているはずだ、という信用の上でトンネルを走っているからだった。この信用が崩れてしまった今後は、高速道路のトンネルに入るたびに、具体的な不安が襲ってくるようになるのだろう。そんな不安に敏感な女性の中には、トンネル恐怖症とでもいうような拒絶を示す人が現れるかもしれない.
高速道路に限らず、さまざまな社会のシステムはすべて信用の上で成り立っている。お金が紙でできていることも、銀行の残高がただの数字で表されるだけでも、誰もがそのお金のシステムを信用しているから不安を感じない。それと同じように、道路の安全や食べ物の安全など身の回りのあらゆる社会のシステムも、すべて信用の上で成り立っている。その社会システムへの信用性が、最近、あちらこちらで、目に見えるところでも見えないところでも、怪しくなってきているような気がする.
今回の笹子トンネルの事故は、そんな漠然と感じてきた不安が、いきなり殻を破ってゴジラのように現れてきたように感じられる。自然が起こす災害とは違って、人間が構築したものが、しかも高速道路のトンネルというインフラが突然崩れて犠牲者を出すというのは、信用の上に成り立ってきた社会システムが経年劣化を起こし始めているのだ。原発事故と同じような危険が、形を変えて迫ってきているのかもしれない。2012/12/4