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修行というほどではないが、今の仕事を覚えるために東京の山裾にある青梅市に6年ほど住んで、有機八百屋で働いていた。青梅の旧市街には古い店が並ぶ一角があって、そこに一軒の鍛冶屋があった。奥行きが浅く間口が広い店構えで、真冬でも戸を開け放って鉄を打っている昔ながらの鍛冶屋だった.
当時一緒に働いていて今は生産者になっている吉沢よっちゃんが、店を辞めて飯田市に入植することになり、私は店の仲間からお金を集めてお祝いにこの鍛冶屋で鍬を作ってもらうことにした。下話をつけに行ったときは、「いいよう、場所を言ってくれりゃその土地に合わせた鍬を作るよう」と威勢よく言っていた親父さんだったが、いざ頼みに行って「信州の飯田ってところで使うんです」と言うと、鳩が豆鉄砲を食らったような顔になり、くるりと後ろ向きになると全く私の存在に気が付かないかのようにまったく口をきいてくれなくなってしまった。「あのう、すんません、お願いできますか・・・?」といってもふり返りもしない。しばらくして親父さんは店の奥に引っ込むと、二度と出てこなかった。どうやら親父さんのへそを曲げてしまったらしいと解釈した私は、なぜそうなったか理解できないままにトボトボと帰り道についた. 時は流れて、いま同じ店の中で研ぎ屋をしているKさんの仕事ぶりを見ると、職人だなぁと感じる。職人とは自ら身につけた熟練した技術によって、手作業で物を作り出すことを職業とする人のこと。Kさんは木工の職人として40年の経験があるから、刃物を研ぐことに職を変えても、気質としての職人ぶりは40年の筋金入りだ。職人は自分の仕事にひとかたならぬ自信を持っているし、仕事の出来はこうあるべきだという信念を持っている。だから刃物をぞんざいに扱う人や、何度説明しても理解しようとしないような、自分の信念にもとる人の仕事は断ってしまう。 物売りであるわれらが店も、お客さんの求めるものを追うような品ぞろえをせず、コンセプトに合わない商品はたとえ売れ筋であっても店に並べないが、店に来てくれた方に買ってもらうものがなかったときは、申し訳ないと頭を下げる。そこが職人と物売りの差。自分が磨いてきた仕事をする職人と、他人が作ったものを売る商人との差、なのだ。 Kさんの40年には及ばないものの、私もこの仕事を26年にわたって続けてきて、いろいろな専門性を身に着けた。でも、その専門性は職人が持つ職能に匹敵するだけの普遍性があるかと考えると、かなり心許ない。狭い業界だけに通用する専門性などそれぞれのお家の事情のようなもので、一歩外に出れば何の役にも立たず職能と呼べるものではない。ただ、長い時間野菜を見てきた目だけは、取り柄として多少生かせるかもしれない。仕入れたものを売ることには目よりも閃きが役に立ち、お客さんの受けをよくするためには愛想が必要だが、野菜を売るためには経験と目が必要なのだ。それをもっと磨けばひとつの職能に発展するかもしれないが、まだそこには至っていない。 鍛冶屋の親父さんがへそを曲げてしまったことは、長いこと私の経験した不可思議な出来事のひとつとして眠っていたが、Kさんを通じて職人というものを自分勝手ながらに理解するようになって、そのワケがだんだん見えてきた。親父さんは青梅近辺の土地なら、どこだって土の質を知り尽くしているのだ。どこそこの土地は石が多いから鍬は刃先まで厚手に打つ、など長年の経験で覚えた技で鍬を作ってきたのに、はるか遠くの知らない土地を持ち出されて仕事として受けられなかったのだ。職人であればこそできない仕事は端から受けない。ただ、行き掛りから今さら出来ないとは言えなかったので、へそを曲げた。私はそう解釈することにした。2012/12/18
by organic-cambio
| 2012-12-18 17:24
| 店主の雑言
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Comments(2)
Commented
by
shinanoya-chubei at 2012-12-20 10:52
ま、へそ曲がり同士の激突だったわけだ。
0
Commented
by
organic-cambio at 2012-12-21 08:01
え、激突って、オレのへそは正面についているけど・・・。最近だいぶ奥に引っ込んじゃったけど・・・。
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