28歳まで暮らした東京都板橋区の家は、商店街から路地を入ったどん詰まりにあった。今はその商店街がどうなっているかグーグルの映像で見てみると、昔からの店はいくつか残ってはいるものの、もう商店街とは言えない道端の家々になっていた。年に数回の売り出しにはちんどん屋が繰り出して賑やかであったし、演歌を一日中流しっ放しにするのもうるさくてかなわなかったが、今はもう昔の話。空き地だったところには家が建ち、やり手だった店主の店はマンションになり、周辺の住民は増えているにもかかわらず、商店街は消滅していた◆息子が住む京王線のある駅の周りは商店街が賑やかで、東京も場所によってはまだ商店街は生きているように見える。息子に「スタバ以外でコーヒーが飲みたい」と無理なリクエストをすると、「入ったことはないけれど」と言いながら商店街の店に連れて行ってくれた。案内された珈琲店で70を過ぎていると思える店主が入れたコーヒーはおいしかったが、たばこの煙で茶色に染まった店内は30年ほど前から時間が止まっているように思えた。それは、表からでは見えない商店街の実態を表しているようだった◆東京で商店街が残っているのは私鉄の駅周辺に多い。それは駅を降りて歩いて家に向かう人が多いことと、駅周辺の道路が狭くて大型店が進出しにくいことが理由だろう。人が歩いて生活する地域にはまだ辛うじて商店街が残っているが、人が車で移動する地域と大きな再開発などで大型店が進出した地域では、商店街はいわゆるシャッター通り化している。残っている商店街もそう長くはないだろう◆商店街を守りましょうなどと言うつもりは全くないし言ってどうにかなるものでもないけれど、一介の商店主として朽ちていく商店街は見るに忍びない。われらが店も21年の間にずいぶんと揺さぶられたが、こんな大きな構造の変化には太刀打ちのしようがない。いま進行中の物流のリアルからネットへの移行でさらなる変化が加わると、壊滅的になってしまうだろう。その時にはわれらが店も残っていられるかどうか確たる自信はないけれど、少しだけ抵抗をしてみたいと思う◆今の長野県内の交通インフラでは、個々が車で移動をすることは変えようがないだろう。さらに高齢化が進めば、駐車場と目的地が離れていることは目的地の選択にとってマイナスになることが多くなるだろう。大型店の駐車場が広くて店内まで歩くのが大変だから車を止めてすぐ店に入れるコンビニを利用する、という人が増えていることからみても、駐車場と目的地が近いことは多数を呼び込むためには有利なのだ。でも、駐車場から目的地まで歩くことに何かの意味づけができたら、その間を歩くことがお客さんにとって楽しむことができるプラスの要素になったら、目的地=駐車場である必要がないと感じる人が増えてくる可能性がある。ドーナツ化で人口が郊外に流出した街中の今後を考えるには、歩くという要素は必須になるはずだ。