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長く屋久島に住んで詩やエッセイを書き続けた山尾三省が亡くなってもう13年が経つ。私に詩を愛したり口にするような知性はないが、山尾三省の本を図書館や古書店で見つけてはよく読んだ。とくにアニミズムに基づいて屋久島の暮しを書いたものが好きだった。彼は大鹿村や伊那谷に縁があって、よく信州を訪れて詩の朗読会を開いていたのは知っていたが、ついぞ足を運ぶことはなかった。肉声で吟じる詩を耳にしていたら、カラダのどこかで蓋が開いたのかもしれなかったのだが、残念なことをしたと今になって思う◆40年ほど前に、豊かな自然と共生する志を持った農家の野菜を仕入れ、トラックやリヤカーで売り歩く有機八百屋が出現し始めた。屋久島に渡る前の山尾三省もそのひとりだったそうで、私たちの仲間の古株は彼を「サンセイ」と親しげに呼ぶ人も多かった。その人たちが語る彼をめぐる逸話の中に面白いものがあって、今もゴボウを見てその話を思い出すことがある。店を構えるのではなく、お客さんの家を巡って売り歩く引き売りというスタイルで野菜を売っていた山尾三省は、ある時ゴボウがす入りだったことをお客さんから咎められて言ったそうだ。「すは目方に入りませんから」◆有機八百屋と言われる業態は40年たった今も続いていて、われらが店もそのひとつだ。山尾三省が売っていたころと同じように、ゴボウは今も量り売り。ゴボウに限らず土物と呼ぶじゃが芋や玉ねぎ、人参などがいまだにみんな計り売りなのは大きな理由がある。畑でできる野菜はみんな大きさにばらつきがあって、ひとついくらという値段の付け方ができない。大きさごとに分けて箱詰めするには大変な手間がかかるし、大きさを揃えたり形を整えたりするために化成肥料が使われるという背景もあったので、あえて大きさを揃えず小さなものから大きなものまですべて引き取ることを基準にしているからだ。農家から引き取る基準はそのまま店頭でも変わらない。大きなものが必要な場合があれば、小さなものひとつで用が足りる人もある。それはどんな人にも等しく対応できるやり方でもあったのだ◆山尾三省が引き売りをしていたころは、箱の中にあるものは上から順にとることが買う人にも求められていた。そのルールはわれらの店が始まった頃もまだ生きていて、傷みやすい人参などの値札には「上から順にお取りください」と書いていた。自分の都合だけを優先して箱の下からかき回して野菜を選ぶことは次に買う人に失礼な行為なのだ、という暗黙の了解が成り立つ時代でもあったのだ。それから22年が経ち、野菜の値付けはいまだに量り売りのままだが野菜の売り方はずいぶんと変えてきた。人参のような乾燥に弱い野菜は裸で置かず、適当な量を袋詰めするようにした。じゃが芋など土にまみれているものも袋に詰めて値段を付けるようにした。ポリ袋などの石油製品は使いたくない、ゴミを増やしたくないという理想は今も失ってはいないが、かつての時代のように自分たちと考え方を共有できる人のところだけに売りに行くのではないのだから、ある程度は折り合いをつけなくてはならなくなってきた。それは自分たちのような有機八百屋のやり方ではなく、自分たちが売る有機野菜の方が市民権を得てしまった、という苦い現実でもある◆農家から届いた野菜の箱を開けると、大きなもの小さなもの、太いもの細いものが混ざり合ってひしめいている。それは小学校の学級のようだ、といつも思う。大きな子もいれば痩せて小さな子もいる。だから袋詰めをするのは班分けをするようなものだと思う。どの子も残らずに買ってもらえるように、大きな子ばかりではなくて小さな子も混ざるように、なるべくどの袋も偏りなく詰めるようにと自然に手が動いてしまう◆土もの野菜の中で、いまだに玉ねぎだけは基本的に袋詰めをしない。玉ねぎは土で手が汚れることもないのでバラで取ってもらえるからだ。だから野菜の中で唯一残った「選べる野菜」なのだが、やはり小さいやつらだけが買ってもらえずにいつも居残りとなってしまう。八百屋は仕方がなくその居残り連中を袋に詰めるのだが、同じ値段ではまた集団で居残りになるだけなので少し値段を安くせざるを得ない。小さな残った連中を袋に詰める時、玉ねぎたちの中で声を上げるヤツがいる。「え~っなんで?オレ達だけどうして安いの?」という声は、小学校から中学校の終りまでいつもチビで痩せて眼鏡をかけた貧弱な少年だった自分の声のような気がして、聞こえるたびに胸が痛む。
by organic-cambio
| 2014-01-21 15:39
| 店主の雑言
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