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高校時代から八百屋の仕事に足を染めるまでの十数年は、毎年それなりの日数を山に登っていました。決して先鋭的なスタイルではなく、どちらかといえばワンゲル的な山の中で過ごす時間が好きでしたが、周りにアルピニズムに染まった人たちがいたおかげで、岩登りから沢登りまでオールラウンドな経験を積んできました。そのせいで遭難に向き合うことも多く、つらい思いをすることもありました。
数えてみれば、高校の後輩が二人、大学の先輩と後輩がひとりずつ、間接的な知り合いを含めると7人が山で死んでいます。みんな20代の独身で亡くなったので、親御さんが息子を見送る場面を何度も見ました。20代の息子を持つ親になり、息子の葬式を出す辛さが身をもってわかるようになってきました。最近ヘリの事故や遭難で多くの人がその立場に立たされていて、ニュースを見るのが辛い。 大学1年の冬に南アルプスの北岳で先輩のお兄さんが滑落し、遺体の収容に行きました。2年生以上はヘリでいきなり真冬の稜線に投入され、氷壁を下降して遺体を収容する結構危険な収容作業でした。下っ端の1年は両俣小屋から広河原まで延々と遺体を担いで歩く役目。人間は死ぬとただの肉塊になります。70㎏もある肉塊を担いで歩くのは大変な苦役だったというのが、初めての遭難救助でした。 先輩のお兄さんとは面識もなかったので感情が昂ることはりませんでしたが、高校の後輩の遭難ではかなりショックを受けました。夏の穂高滝谷で墜落して発見が数日後になったので、損傷がひどかったのです。その時の遺族の気持ちは想像すらしたくない。それでもしっかりと現実を見つめて息子を見送ったご両親の姿は、今も痛々しい記憶として脳裏に焼き付いています。本当に究極の親不孝です。 遭難の原因は目撃者がほとんどいない場合が多く、あとから推測するしかありません。天気や現場の状況から、きっとこうだったのだろうと推測する。それは交通事故の現場を通りかかった時に、なんでこうしまったのだろうと、車の壊れ方や位置関係だけでは理解が及ばない時と似ています。当たり前の状態であれば事故は起きないわけで、当事者にしかわからない不測の事態の結果が事故なのです。 交通事故の現場は、誰もがなり得る仮の当事者としての推測が働くので、自分勝手な理由を付けて非難しがちです。そんな非難は山の遭難の場合にもよくメディアで目にすることで、実際の状況よりも一般的な危険性を指摘して、起きたことの「始末」を付けてしまおうとする。報道メディアの場合にはメディアが想定している原因に沿うコメントだけが掲載される。「だから言ったじゃないか」的に。 でも、遭難は不測で不可避な状況が重なったから起きるわけで、なぜその状況が生まれたのかは推測が及ばない結果なのです。道路のように道路交通法というルールがあるわけでも、ぼんやり考え事をしながら運転できるわけでもなく、体力や気力を極限まで使って雨風に身体をさらして登っているのです。それまでの経験やその時の判断や、計り知れない現場の悪条件が重なって遭難は起きてしまう。 亡くなった仲間の場合は、誰もがそれなりの技術も体力も経験も持ち合わせていました。それでも欧州アルプスの針峰から千メートルも墜落した場合、原因なんか推測したって意味がありません。彼らは望んでそこに向かって行ったのですから、黙って手を合わせるしかない。覚悟して行ったのだから本望だと言う人もいますが、それは違うと思う。望んで行ったのだけど、覚悟はしていなかったはず。 最近の経験不足の遭難や、遭難ではないものの助けを呼んでしまう「なんちゃって遭難」のことはよく知りません。でも、山に登るということはすべてが自己責任であるし、どんな場所であっても助けに行く人には危険が伴うことは、よく理解しているつもりです。そして、山登りという遊びは一歩間違えると簡単に死んでしまうことになる危険な行為なのだ、ということは痛いほど良く分っています。
by organic-cambio
| 2017-04-04 15:41
| 店主の雑言
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