タバコをやめて15年になりました。それまでは毎日1箱ぐらい安物タバコを選んで吸っていましたが、タバコを吸っていることがみっともないと思い始めたのを機に止めてしまいました。こんな食べものの仕事をしているとタバコを吸っているのは意外と思う方が多かったようですが、ひと昔前は仲間が集まると煙の中で話をしているように見えるほど、タバコを愛する連中が多い仕事だったのです。
タバコを止めるのは簡単でした。体調を崩したのを契機に「ヤ~メタ」のですが、小心者は止めた日が少し続くと止めたことを止めることができなくなるのです。つまり「いつだって止めたるわい」と言える自信がない。「ここで吸ったら元の木阿弥だぁ」と思うと、怖くて吸えなくなる。意志の弱さを逆手にとって、逆戻りができないように追い込んでいったのでした。これはいろいろ応用もできた。
つい最近はバカ食いを止めるときにも使いました。昼飯を抜いてどんどん体重が落ちていくと、もう後戻りするのが怖くなる。リバウンドしたらやだなとか、せっかくここまでやったのに悔しいな、と思うと腹が減っても我慢ができる。小心者は欲望を抑えるのも得意なのです。だからタバコを止めようともせずに吸い続けている人はきっと意志が強くて気持ちが大きな人なのだ、とうらやましく思う。
タバコを吸うことが不健康であることは誰もが知ることですが、タバコを吸うことを不健康の象徴とすることには抵抗があります。タバコ以上に不健康な習慣はたくさんあるし、タバコ以上に健康を害するものが平気で食べものに使われているし、毎日多くの人が食べている。それなのにタバコが害悪の象徴とされるのはなぜなんでしょう。食べものと違って煙で他人に迷惑を及ぼすからでしょうか?
オーガニックの食べ物を選ぶ理由は「健康のため」という人が日本では一番多いそうです。そんな人たちから見たらタバコなんて一番忌み嫌われるものですが、タバコを吸わなくなった今でも「健康のため」にこんな食べものを扱っているわけではないところは変わりません。どんなに「健康のため」になる食べものだって、食べ過ぎれば不健康ですし、何よりも考え方が内向きになることが嫌です。
オーガニックが食べる人の健康に資するものであることは胸を張って言えます。でも、私たちは自然に負荷をかけずに食べものを生産する方法として支持したいのです。それはどちらも共有できる関係ですが、自分のためなのか、全体のためなのか、という向き合い方の違いがあります。それはタバコが不健康な習慣か本人の意思の問題なのかという捉え方に似て、スタンスに大きな違いがあるのです。