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今年はいろいろ考えました。何ごとも感覚的に決める性分ですから、胸の中やスポンジ頭にいろいろ感じたことを詰め込んでおきます。発酵が進んでガスがふたをすっ飛ばして中身があふれ出してものごとが動き始める、という経緯をいつも辿ってきました。結果があまり悪い方向に進んだことがなく、だいたいうまく進んできたおかげで今があり、ものごとを深く考えないまま今に至っているわけです。
このところ数週にわたって考えた中身を開陳してきました。いつまでもノーテンキに店をやっていられる時代ではないとようやく認識したこと。店は幸い25年もつぶれずに続いてきましたが、今までとこれからは全く違う展開が必要になること。還暦を迎えて自分に残された時間を使ってそれをどう実現するか、ということが主な中身でした。今回は珍しく発酵させる余裕もないままに考えました。 同じ人間が一日の半分以上の時間を費やして続けてきた店ですから、新しい展開などと言っても今までの延長線でしか考えられずにいました。ところが、自分にとっては25年目のいろいろな経緯を引きずった店であっても、初めておいでになった方には新鮮な店に見えるのだ、ということにようやく気が付いたのです。過去の延長線のネガティブな部分とポジティブな部分の見え方が違うのですね。 自分ではどうしようもなく古いと思っていたことが、別の人から見たら新鮮なものだったりする。なんだ、これって自分たちが古道具やリノベーションに感じていることと同じじゃないか。木の脚立やビニールレザー張りの椅子を見て「こんなものうちにいっぱいある」と言っているおじさんと何も変わらない。自分の経験だけでものごとを見て、世間の変化と自分の感覚のギャップに気がつかない。 そこでこの店の特徴を自分なりに洗い出して、残すものと止めるものの峻別をしました。自分が毎日見ていることやっていることが、これからの10年でどう受け取られるようになるのか。タコツボのような店から這い出して店のありようを眺め、メガネの色を変えて見直してみる。すると、コテコテに手垢がついたやり方が使い込まれた古道具になり、店のスタイルは古民家のように見えなくもない。 今の社会が変化するスピードと内容は早くて容赦なしです。それを今までの経験をもとに乗り切ろうということ自体無理です。それに気づかずにまだ昔のモノサシを振り回している困ったオジサンにはなりたくない。自分のやってきたことはこれからも必要な仕事だけど、今までの延長線ではやっていけない。自分の経験をこれからも通用するようにリフォームして使うには、どうすればいいんだろう。 店が経てきた25年という年月は、ひとつの世代が交代する時間に匹敵します。自分と同じ世代に向けて発してきた言葉では伝わらない。自分が伸ばしてきたアンテナでは繋がらない。同じ単語ながら違う語彙として受け取られる言語を使わなくてはならない。食べものと自然という誰にも共通するテーマを、世代を超えて考えるにはどうしたらいいんだろう。考え続けてきた内容はそんなことでした。 で、その結果はどうなったか、ということは書きません。モヤモヤとドロドロとしてあるものは素材のまま固い状態で底に沈み、あるものは発酵が進んで吹き出しそうになってます。幸いだったのは自分がテーマとしてきたことが、世の中でさらにブラッシュアップされているということです。来年は自分を磨きこんでそのテーマをさらに追ってみます。どうぞ懲りずに来年もお付き合いくださいませ。
by organic-cambio
| 2017-12-26 18:07
| 店主の雑言
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