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数えてみたら信州に来てもう27年目なのですね。生まれ育った板橋には28年居たので、もうすぐ信州で暮らした時間の方が長くなってしまいます。すでにカミさんは今の家が今までで一番長く暮らした土地になっているし、子どもたちには自分たちが育った土地としての帰属感があるようです。何年住んでも「信濃の国」は歌えないし塩イカが美味しいと思わないけど、少し信州人になりつつある。 遡ってみると、田舎暮らしへの憧れや古民家遊びは小学生のころから始まっていて、今の暮らしは長年の希望が結実したようなものです。その割にのんびりしていないのは、街での暮らしも決して嫌いではないから。街から田舎の古民家に通って遊ぶという両方のイイトコ取りは、街にある店と田園地帯にある家の往復で今も繰り返されていて、どっぷり田舎だけでもないところがちょうど良いのです。 端緒は父の実家でした。千葉の農家で大きな藁葺き屋根の家。薪のかまどで煮炊きをして、家の窓は障子だけ。土間には犬が寝っ転がっていて、伯母さんはどこでも裸足で歩いていた。農作業を手伝うのが楽しくて家に帰りたくなかった。隅っことはいえ東京で育った少年はカルチャーショックを受けたのです。中学時代は縁あって福島の猪苗代に通い、高校生になると大鹿村に通うようになります。 夜行急行とボンネットバスを乗り継いで辿り着く山奥の村は、エキゾチックでした。千葉や猪苗代とは街との落差が比べようもなく深く、回りに暮らす人たちが自分たちを見る目も厳しかった。36災害で大西山が崩れてから10年余り、まだ電話は部落に1台だけという時代。炭焼き窯の作り方を教わり、夜通し火を焚き続けて炭を焼き、南瓜をかっぱらって食って木こりの部落総代に叱られました。 大人になってからも清里の藁葺き古民家に入り浸って遊び、具体的に田舎暮らしを探り始めます。有機八百屋の仕事を始めて間もないころ、自分では覚えていないのですが、すでに「信州に行って田舎暮らしをしながら店をやる」と話し始めていたそうです。つまり自分の中でまったく無意識のうちに今の暮らしに向かい始めていた。なんともナイーブな欲求の結実が今の店と暮らしというわけです。 田舎に拠点を構えて畑を耕しながら自給の暮らしにならなかったのは、ひとえに有機八百屋というすごく面白い仕事を見つけたからでした。自分で作るのではなく、他人が作ったものを街の中で作った人や畑の話をしながら売る。その面白さは街と田舎の両方が好きな自分だからこそ表現できると思ったのです。自分で作るのもいいけれど、もっといろんなヒトやコトと繋がれてこそ「有機」であると。 岡谷で店を始めて2年ほど経ち、店と住まいを分離することにしました。諏訪湖周辺の宅地を避け、八ヶ岳周辺や別荘地を候補に住まう場所を探し回り、言葉にしづらい違和感がありました。方針を変えて上伊那に足を向け、西駒を望む丘の上に定めるに至ります。すでに移住者が多く華やかさがある八ヶ岳に比べ、上伊那は地味です。その地味な田舎臭さこそ自分が求めていた本来の田舎に近かった。 地縁血縁のない人が入ってくるのは初めてという地区に入れてもらい、別荘地ではありえない人の縁や地域のしがらみもできちゃいました。子どもが4人もいると、学校という拡大した地縁も広がっていきます。単に身の回りの風景や自然が美しければよいのではなく、人間が暮らす環境としての田畑の在り方を身をもって知ることもできました。ここまでの選択は間違っていなかったと思うのです。
by organic-cambio
| 2018-07-10 17:03
| 店主の雑言
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