CAMBIOは自分的にはオーガニック食材店なのですが、電話帳的カテゴリー分けでオーガニック食材店はまだ一般的ではないので、八百屋と自己紹介することがあれば、自然食品店と他人から称されることもあります。昔はこだわって訂正しましたが、今はその人が感じたように呼んでくれればよい、と枯れた対応になってきた。で、最近はオーガニックという言葉をいろいろに使い分けもします。
そもそもオーガニックとは有機的なという意味で、他との関連があることを表す言葉です。だから食べものの基準だけでなく、さまざまなモノ、コト、ヒトを関連付けることも仕事の一つだと位置づけています。オーガニックという言葉がマーケティングの差別化用語になった今、前に出して使うのは恥かしいのですが、店の機能は食べものの商いだけではないことを表すために有効な言葉なのです。
店が成り立っているのはオーガニックの食べものを買ってくださる方がいるからですが、日常の中には全く売り上げにはならない活動も多く含まれていて、食べものを買ってくださっている方から頂いた利益は、オーガニックなモノ、コト、ヒトのためにきちんと生かしています。経済活動という側面から見るとそんなことやって何になるのか?と思われるかもしれないけど、その活動が大事なのです。
かつては売上の1%を環境保護団体や社会活動組織の会費やカンパに充てて、社会貢献をしたつもりになっていたこともありました。でも、他人の活動にお金を出しただけで当事者になったような顔をするのはどこか偽善的ではないか、という疑問が解決できずに中断しました。そしておこがましいことに、店の存在自体が何かしらの貢献になるようにしなくてはならない、と思うようになったのです。
しかし、経営と運営と活動を不分別で考えてきた店の経済は、常に火の車でした。何でも自分の考えと感覚を頼りに進めるので、いつも月末になるとレレレのおじさんのように首を傾げるばかり。仕入れたものを売ってきちんと利益を上げるよりも、次に何をするかばかりを考えてきたのですから。今は焼け残った柱にしがみついて倒れないように支える毎日。カミさんの白髪はひとえに私のせいです。
何事も無計画であったことが原因ですが、計画的であったならもっと早く頓挫していたかもしれないと思います。何ごとも行き当たりばったりに進めていることが無計画であるように見えるのですが、根本の部分ではきっちりとぶれずに進めてきたからです。自然を損なうことなく育てた食べものを商い、自然に寄り添うように暮らすことを提案する、という根本に沿うことであれば何でもありなので。
計画的であることは経済にとって大切なことです。でも、計画に縛られることは運営にはマイナスです。経済的な成長を第一の目的に掲げる企業とは違い、自然を中心にした暮らしを提案する店を目指していたので、計画より自由な運営をめざしてきました。その結果として経済的に楽ではなかったけれど、今も店が続いていることで良しとします。これからはさらに無計画に輪をかけていこうか、と。