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今朝まで使っていた生活のための家財道具を荷台に積み、6年間住んだ青梅の街や毎週のように遊びに行った多摩川に別れを告げて、ハイエースは八王子インターを目指しました。6,4,2歳の子どもたちは真ん中の座席で転げ回って遊んでいます。事情がよくわかっていないようで、走り出したばかりだというのに「まだ着かないの~」などと言ってます。もうここには帰ってこないんですけど。
中央道の坂を上り小仏トンネルを越えたところで、父ちゃんは「やった~!東京をから抜け出したぞ~!」とハンドルから片手だけ放して万歳をしました。その前の週に大きな家具を運んでおいたので、岡谷に着けばこれで引っ越しが完了。1週間先の長女の入学式、店の造作をして5月に店を開けるという慌ただしい日程が待っているけれど、念願の信州への移住が叶ったことがうれしかったのです。
岡谷に着くと、店になる予定の長屋に家財道具を収めて、すぐ隣にあったレストラン「貝の火」で夕食にしました。岡谷には全く縁も所縁もなかった中で、唯一の知り合いといえるのがこの「貝の火」を営むTさんでした。何も知らない岡谷の街を店になる場所を探して歩く中で、子どもたちとゆったり過ごせる場所だったのです。店となる場所を見つけられたのも「貝の火」があったおかげでした。
店になる場所を探すために何度も東京から足を運んで、街を車で走りながら雰囲気を見定めていきました。茅野や諏訪ではなく岡谷に決めた理由は、働く人の街だから。農地がたくさんある地域より会社や工場がたくさんある地域の方が食べものは売れる、と考えたのです。そして「貝の火」の存在を知って初めて立ち寄った日にすぐ前の長屋に空き店舗があることを知り、即決で交渉に入りました。
家族を「貝の火」に残して大家さんの楽器店に足を運び、いきなり「店をやりたいので貸して下さい」と言うと、ちゃんと話を聞いてくれました。今までにさんざん夜逃げされたり家賃を踏み倒されたことがあるそうで、すぐに決まらなかったもののワタシはもう借りる気になって「貝の火」に帰り家族に「決まった」と告げました。ずいぶん世間知らずのようですが、事実、何も知らなかったのです。
その後、勤めていた店に大家さんから確認の電話がありましたが、ちゃんとそこで働いていたので信用されたらしく店の場所は正式に決まります。二部屋のアパートも店の2階にあったので住まいに使うことに。同時に隣の物件を借りることになった居酒屋さんが事務所跡の造作を壊すというので、場所を入れ替え、10坪の店を7:3に区切った内装をそのまま使うことにしてお金を節約しました。
こうして私たちの移住は下見から1年ほどで実行され、移住からわずか3週間でCAMBIOが仮オープン。移住してからは、ほとんど知らない岡谷の街で何もかも手探りで暮らし始めました。子どもが学校に入学したもののうまく順応できなかったり、原因不明の腹痛を起こしたり、親はノーテンキに店を始めることばかり考えている一方で、子どもたちはそれなりのストレスを抱えていたようです。
いま思えば、ずいぶん無謀な計画がラッキーに進んだ結果の移住でした。誰も知らない街は何のしがらみもなく快適でした。街でイベントをするにも勝手なことができるのは、過去の人間関係が全くないからです。移住がトレンドになりつつありますが、知らない街で暮らすことが不安か快適かで適性が計れます。家族さえいれば何とかなる人はどこでも移住できるのです。私たちはそのタイプでした。
by organic-cambio
| 2018-12-11 17:39
| 店主の雑言
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