雑言バックナンバー 2009・10月 アンデスにて ⑬
下半身裸で、私たちのテントに横たわっていたアルゼンチン人の大学生は、酸素を1時間ほど吸わせるとおぼろげながら意識が戻ってきた。自分で何をしでかしたのかなど、全く解っていないようだ。仲間を呼んで自分達のテントに引き上げてもらう。あとは自分達で介抱してやるべきだ。
私は迷った末、いったんBC(ベースキャンプ)まで下りることにした。特に下りなければならない理由はない。下りたからといって、Hが再び行動に加わることができるかどうかも解らない。それでも、どこかにこのまま頂上に向かってもすっきりしない雰囲気があった。
SとOを大学生達のテントから呼び出し、BCに下ることを告げる。Sはほっとした表情を見せた。HとSは夫婦だから、ここまで来て胃痛に苦しむHのことが気にならないはずはない。Oは怪訝そうな顔をしたが、特に異議を唱えることもなかった。
C1のテントの中を片付け、BCに下る。下っている途中、上空をヘリコプターが飛んできた。C1の上でホバーリングをしている。大学生達との別れ際に、高山病はなるべく早くしたに下ろした方がいいと言った時に「無線でレスキューを呼んだのでOKだ」と言っていたのを思い出した。レスキューとはこのヘリのことだったようだ。さすがは地元だ。私たちがガウチョに2日も待ちぼうけを食わされたのとは、ずいぶん違う。
BCに着くと、Hと共にTがいた。今日、ムーラに乗ってインカの橋から戻ってきたところだという。1週間ぶりにメンバーが揃って顔を合わせる。高山病と感染症から回復したTと、胃を病んでしまったH。予備日を入れてあと5日間しか残っていない日程。高度順化はTを除き4人は出来上がった。明日より、ここから行けるものだけで頂上アタックに出ることにする。Tは別行動でC1まで、無理をしない範囲で動く。問題はHだが、明日の朝自分で判断してもらうことにする。行動予定は、明日はC1まで。明後日にインディペンデンシアに入り、3日後に頂上に向かう。予備に1日。そして予定通り14日にはC1を撤収してBCに下り、行動を終了させる。
Tが戻ってきたことで、一番嬉しそうだったのは最年少18歳のOだった。Oはわずか3歳の時に父親と死別した影響か、誰彼となく年上の人に父親役を求めてくるところがある。今回のメンバーではやはり最年長のTにその役目を求めていたのだが、そのTがリタイアして父親不在となっていたからだ。Tが不在の間、私にその役目をそれとなく求めてくることがあったが、すでにOよりも年上の子供がいるTのようにはいかなかった。母一人子一人の生活では、成長期のはじけるような勢いをぶつけようにも、相手がいない。Oを見ていると、その勢いを山で消化しているように思えた。それはある意味で、とても危険なことでもあった。