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出発前、となりの大学生テントから、年配の人が挨拶に来る。昨日意識不明になった学生はヘリで病院に運ばれ、無事回復したそうだ。病院のドクターが、意識不明の時に酸素を吸わせたことが実に効果的で、もしそれがなかったら危なかったといっているらしい。プロフェッサー(教授)という名刺を差し出したその人は、「あなたのおかげだ」と手を握り締めて放さない。こちらは嬉しいよりも、どことなく変な感じだ。あの状況では、貴重な酸素を分けてあげざるを得なかったことは確かだ。しかし、私たちのテントに転がり込んでいなかったら、どうだっただろうか。わざわざとなりのテントまで出向いて、いざという時に自分の命を救うために持ってきた酸素を分けてやるほど、私もお人好しではない。「メンドーサで是非私たちの大学に寄って…」というお誘いまで飛び出したが、こちらは予備日も消化しそうな日程なのだ。にっこり笑って、手を振りほどくように外して、出発する。 すでに何度も登ったC1までの道を、また登る。単調な電光型の道を登って行く。 C1手前の緩斜面で、日本人と思しき男が休んでいる。お互いサングラスをかけ黒く日焼けしているので、どこの国の人か解りにくくなっているのだが、着ているものや雰囲気で日本人と解ってしまうものなのだ。こんな時は「Hello」でも「Hola」でもなく「どうも」と声を掛けてみる。日本人であれば「やぁ、どうもどうも」と返ってくるからだ。 そのKという日本人は、すでに日本を出て3年も自転車で旅を続けているらしい。あちこちを回るうちに山にも登りたくなり、アラスカでマッキンリーに登ってしまったのだという。それから、どうせ登るなら五大陸ぜんぶ登ってしまえ、とアコンカグアにもやってきたのだそうだ。すでにペルーで高度順化は済ませてきたので、インカの橋からわずか6日で登り切り、今は下ってきたところだという。この次はどこへ行くんだ、と問うと「わからない。いつも走りながら決めるから…」 やっぱりこんなところにも居るんだ、こういう奴が。うらやましい…。 1月11日。Tを除く4人で、C1からインディペンデンシアへ。畳2枚分ほどの小さな小屋に4人が収まる。6400m。さすがに寒い。これで風が強くなったらテントはなかなか辛い。小屋の中は多少狭くても、テントよりは風がしのげるだけ楽だ。翌日の出発に備え、夕暮れには寝袋に入る。小屋の入口とは反対側に、小さな窓が付いている。その窓から夕日がゆっくりと沈んでいくのが見える。この高度で夕日が眺められるとは思わなかった。 その夕日が完全に沈んだ頃、突然小屋の戸が開き、大柄な男が身体をねじ込んできた。4人でもかなり狭いところに、さらにアルプスでガイドをしているというドイツ人の男が加わることになった。こんな時は、早く眠った方が勝ちだ。ところが狭い上に高度の影響で息苦しく、なかなか寝付けずにいるうちに、ドイツ人のいびきを聞かされることになった。ヨーロッパのガイドは行動や決断が素早いとは聞いていたが、眠るのも早かった。 1月12日。夜中、「グオー」という風の音で眼が覚める。 小屋がきしむような、強い風が吹き始めた。なんということだ…。 夜が明けた。 風が吹いている。入山以来、今までにはない強い風が吹いている。真冬の富士山を上回る強い風だ。 ドイツ人のガイドは、ビスケットをかじりながら頂上へ向かう準備を整えている。 私たちも、フリーズドライの玄米かゆを腹に流し込む。食事というより、儀式のようなものだ。これで腹がいっぱいになる訳ではなく、とりあえず腹を黙らせるだけだ。もう、この玄米かゆにも飽きた。下に降りたら二度と口にはしないだろう。 ドイツ人は小屋の中でアイゼンを着けながら、「君たちはどうする?」と聞いてきた。どうする、という問いにドイツ人で山岳ガイドでもあるこの男にも、迷いがあることが解った。それだけ強い風だということだ。 私たちが経験した最も強烈な風は、冬の富士山の風だ。それは、中に人が寝ている大型のテントが100m近くも空を飛ぶような風だった。風速が30メートル/秒を越えると、まともに立っているのも容易ではなくなる。雪に刺したピッケルに体を預け、風に背を向ける耐風姿勢でひたすら耐える。身体の腹側に風が入ると、一気に飛ばされる危険があるからだ。 今日の風は、その富士山の風を上回るかもしれない。私とHは冬の富士山を何度か経験しているが、SとOは未経験だ。今日はその差が大きく物を言うだろう。ここは富士山のような巨大な氷の滑り台ではないとはいえ、風を受けて転倒でもすれば事故になる。 ドイツ人の問いに「少し様子を見てから出る」と私は答えた。こちらは、彼と争うように飛び出せるほどの力量はない。残された日程を考えれば、ここで一日停滞することは可能だ。もう一日だけ、余裕はある。 ドイツ人は寝袋などを小屋に残し、出ていった。私たちも準備を整える。ルートはこの小屋からしばらく岩稜伝いに登り、広い雪原に出る。その雪原を横切ったところの南側にあるピークが6959mの頂上だ。今日の風では雪と岩の岩稜よりも、広い雪原を横切ることの方が難儀だろう。地吹雪にでもなったら動けなくなる。 準備を整え、外に飛び出す。予想通りの強い風だ。HはSと、私がOとアンザイレン(ザイルで結び合う)し、コンティニュアス(滑落などに備えながら同時に動く)ですすむ。ルート自体は広い岩稜なのだが、万が一風にあおられた時のためのザイルだ。耐風姿勢で風を凌ぎながら、風の呼吸の合間に体を起こして前に進む。氷とも小石とも解らない粒が降り注ぐ。小屋より上部は高度順化ができていないだけに、呼吸が苦しい。 1時間ほど登ったところで諦める。じりじりと進むことはできるが、このペースではとても今日中に登頂することは無理だ。無理ならば、これ以上登っても仕方がない。小屋に下る。 アイゼンもザイルも付けたままで、小屋に転がり込む。敗退。 30分ほどしてドイツ人も戻ってくる。彼は岩稜を越え、雪原の入口までは辿り着いたらしい。しかし、雪原は地吹雪で諦めざるを得なかった、と言う。やはり、この風ではそこがポイントなのだ。彼は寝袋をザックに詰めると、そそくさと下っていった。ヨーロッパのガイドは行動も寝るのも早いが、諦めるのも早かった。 私たちはもう一日粘ることにする。立てば頭がつかえるような狭い小屋で一日を過ごす。小さな窓から外の眺めていると、頭の中を様々なことが去来する。家族のこと、一緒に計画を進めながら都合がつかずに参加できなかった仲間のこと、これまでに次々と起きた予定外の出来事…。すべてが明日で決着する。それも自分達が主体的に左右できるわけではなく、風が収まるかどうかという自分達には手の届かないところで決まってしまう。 しかし、それもまた、この遠征の流れなのだ。そう思わざるを得なかった。
by organic-cambio
| 2024-10-22 17:18
| 店主の雑言
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