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私の朝飯のメニューはいつも大体決まっていて、ごはんと味噌汁におかずは納豆と漬物。たまに鮭を焼いたりした日は贅沢な気分になる。急いでいる日は、長芋をすってとろろ汁でごはんをかき込むこともある。まだ若かった30台の頃は、トーストにこってりとマーガリンを塗って、ソーセージなども焼いていたのだが、最近の朝はすっかり和食になってしまった。メニューはすべて自分の嗜好に従って決めるだけなので、健康のため・・・などという不健康な理由でもない。ひとえにトシのせいなのだろう。
味噌も納豆も漬物もみんな発酵食品である。発酵食品は独特の香りがあって、最近はそれを嫌う子供が多いらしい。わが子供たちも一時は味噌汁を嫌がって残したことがあったが、頑固な母親(妻のことです)がめげずに毎日作って食べさせたおかげで、いまや味噌汁をおかわりするようになった。食べ続けて身に染みついた味は絶対に忘れない。こうやって食べものは次代に伝えられていくのだろうと思う。 発酵食品は脂肪分が少なく、毎日同じものを食べ続けても飽きないのがうれしい。でも塩分が多いので、おなかの脂肪よりもおつむの血管プッツン系が心配になってくる。もともと塩辛いものが好きな私は、放っておくとどんどん塩や醤油をかけて食べてしまうので、塩漬けにならないように気をつけなくてはならない。人間も塩漬けにすると発酵していい味を出してくれればいいのだが、出てくるのは臭いガスばかりでどうも困ったもんだ。 ▲
by organic-cambio
| 2010-02-25 17:44
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その昔、まだ子供たちが小さかった頃、子供4人を引き連れて外食店のテーブルに着くと、いつも妻がある苦心をしていました。子供たちが今興味を持っていそうなことについて話し始めたり、割りばしの入った袋を折って何かを作らせてみたり、手帳に絵を描いたりページを破って折り紙にしたり・・・。要するに子供たちを見えない糸でつなぐために、関心を引き付けようとしていたのです。
ある時、やはり子供たちを引き連れてレストランに入ろうとして「お子様連れお断り」と書かれた札を見て不愉快になったことがありました。せっかく足を運んで車から降りてきたところに「帰れ」と言われたようなものなのですから、不愉快になって当たり前なのですが、それは飲食業が子供づれのお客さんに頭を悩ませている証左だったのだ、と気が付いたのは最近のことです。 やがてわが子供たちは外食にもついてこなくなってから、よその子供たちをお客さんのひとりとして迎える立場としてある失敗を犯してしまいました。見て触って味わって商品を選んでいただく方法のひとつとして、試食品を店頭でどなたでも食べられるように配置しました。ちょうど子供の目線に当たる位置においしそうなお菓子が自由に食べられるように置いてあって、子供が手を出さないわけがありません。いつでも子供のおやつが食べホーダイに置いてある店にしてしまったのでした。 これは子供に社会性を身に着けさせようと苦心している親にとって、とても迷惑なことです。湧きあがってきた欲望を、時と場所に応じて抑制することが人間の社会性の第一歩なのに、まだ未成熟な子供が持つ当然な欲望をくすぐる仕掛けを作ってしまったのです。店は自分の家の中ではないのですから、やたらと置いてあるものに手を出して食べたりしてはいけない、と教えようとしていた人の足を引っ張ることをしていたのです。そう気付いた日から、試食品は店頭に置かないことにしました。 それから数年がたち、かつての失敗を踏まえて逡巡しながらもなお、今月になって「対応」をさせていただいたことがあります。レジの脇の電子はかりにこんなお願いを書きました。 ![]() こんなことを書くことは不本意ですが、壊れてから書くよりどちらにとっても良いだろうという判断です。 私たちの店は物販店ですから、お子様連れの方にもゆっくりと商品を見ていただけるように店を作ろうと思っています。しかし、この店も社会の一角です。守られなくてはならないことがありますし、そのお願いをさせていただくことがあります。悪しからずご了承ください。 再び振り返れば、私たちも子供たちを連れての買い物で、ずいぶんと恥ずかしい経験をしてきました。商品を選ぶときには、つい子供のことを忘れてしまうものです。「キャッキャッ」という声が遠くで聞こえるのであわてて探すと、野球のバットを持って追いかけっこをしていたり、デパートで姿が見えなくなったので探しまわると、エスカレーターの降り口に二人で寝転がって、床下に消えてしまう不思議な階段(私も子供のころに不思議に思いました)を見つめていたり・・・。降りようとした人の驚きと「親の顔が見たい!」と思ったであろう気持ちが、今はよくわかります。 それだけに家から一歩出たときは、子供たちとの見えない糸を切らないようにお願いする次第です。2010/2/23 ▲
by organic-cambio
| 2010-02-24 18:02
| 店主の雑言
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月曜の午後はまたふらふらと出かけた。「まったくお前というやつは休みといえば外をほっつき歩いてばっかりで、少しは家に居るってことができないのかね!」と、よく子供のころに母親に言われたものだけれど、できないんだからシャーないじゃんね!
休みの日は必ず家でゴロゴロしてテレビばっかり見ている、とか、家の掃除や片付けが大好きで頼まれもしないのに日曜大工で何かを作ってしまう、なんて人を私は素直にソンケーいたします。オレには絶対できねーから。 枕が長くなりましたが、どこへ行ったのかといえば安曇野でございまして、なぜそこへといえば雪の山を眺めたかったからであります。ちょうど陽気が春めいて、ぼ~っと山を眺めるにはいい具合になりそうだったので。なんせ、寒い時は山も雪雲をかぶって見えないし、見る方だって寒くて仕方がない。雪の山を見るのは、少し春めいたちょうど今頃の暖かな日が一番なのさ。 ![]() ここがお気に入りのビューポイント、大峰高原から望む後立山。右は鹿島槍、真中は爺が岳、下の町並みは大町。ちょっと薄曇りになってコントラストがいまいちになってしまった。ここは5月ごろに来るといろいろな雪形も見ることができる。途中の道の駅で買った「すあま」を食べながら、雪の上のブルーシートを敷いて、ぼ~っと山を眺めて過ごした。短時間の休みでも精神はキュンとリフレッシュされた。 この近くには有名な大きな楓の樹があって、その季節になるとカメラ爺が群れているのだけれど、雪野原の今はだれもいなくて静かだった。 ![]() ▲
by organic-cambio
| 2010-02-23 18:50
| 戯れ道中
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同居する子供たちが誰も家にいないという稀有な夜ができたので、夫婦で息抜きに温泉に出かけることにした。普段のエリアから飛び出して温泉につかり、わずかでもぼ~っとした時間を過ごすと、結構休まるのだ。
3時で店を上がって別所温泉へ。ぼ~っとした時間を作るには大湯などの共同浴場ではなくて、露天も休憩室もある外湯施設が適なので、駅前にある「あいそめの湯」へ。 少し硫黄のにおう湯につかり、ぼ~っとしてカラダとおツムを緩めて出てくると、駐車場越しに気になるものが目に入った。 ![]() 古い電車。戸袋に丸い飾窓があることから「丸窓電車」と呼ばれる。 深海に重しをつけて沈めてある鉄分が、ゆらゆらと水面をめがけて浮かび上がってくるのがわかる。 昭和2年製。ごつごつとしたリベットやお椀を伏せたようなベンチレータは、まさしくその時代のもの。 ![]() 3枚の前面ガラスに空が映る。こんな顔つきの電車が、40年前のわが少年時代に東上線にも走っていた。地鳴りのようなツリカケ式のモーターの音を響かせて走りだし、その音は高速になると悲鳴のようにも聞こえたものだった。 ![]() この武骨さはどうだ。今のペラペラステンレス車にはない存在感。いいなあ、もう一回走らないかなぁ。 やはり40年ほど前は、飯田線にも古い車両が集まっている楽しい時期だった。大鹿村に向かう途中で見た英国生まれの現役電機には感動したもんなぁ。 やややっ、しまった。すっかり鉄分が漏れ出して体が錆び臭くなっちまったぞ。 車に戻ると上田市内に向かい、ルヴァンのレストランで食事をして帰り道につく。こちらの方も書こうと思ったのだけれど・・・・。 ▲
by organic-cambio
| 2010-02-21 18:20
| 戯れ道中
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![]() カミサンの愛車POLOが怪我をした。右のドアの下がへこんでしまった。白い塗料が付いている所。大した凹みではない。 信号待ちで止まろうとしていたところに、右の駐車場から出てきたおっさんが、ドシンとぶつかった。どっちもほとんどスピードが出ていなかったので、人間は怪我をしなかった。ぶつかったおっさんの車も何ともなかった。 おっさんはカミサンの車が来るのが見えなかったと主張したけれど、車の側面にぶつかったんだからあんたが悪いのよ!とカミサンは啖呵を切った・・・のならかっこよかったんだけれど、何せ初めての被害者経験なので(加害者になったことはあるんだよね)おろおろとしてしまった。一方のおっさんも道路にボー然と立ちすくんでいたのだそうだ。 おっさんがボー然としていたのはわけがあった。無保険だったのである。 こんな小さな物損事故だから、お互いに慣れていれば〈あんまり慣れてほしくないけど〉、ケーサツなんか呼ばないで済ませてもよかった。しかし、無保険と聞いてはそうはいかない。ちゃんとケーサツで手続きを踏むことにした。 翌日、修理の打ち合わせをするのに、おっさんに同行を願ってディーラーに出向いた。すべて自費で修理することになるのだから、見積もりも納得の上で了解してもらわないと、後でゴネたりされたら厄介だから。請求もディーラーからおっさんに直接してもらえれば、こちらでリスクを負わなくて済むからね。 ディーラーの見積もりは修理で8万、代車が2週間で6万であった。おっさんにいいですね、と念を押すと「はい」と納得してくれたので一件落着となった。 しかし、相手のおっさんにとって無保険は高くつくことになった。修理代は保険料数年分に相当する。無保険と聞いたときに、かなりの曲者が相手かと身構えたのだが、そんな悪い人間ではなさそうだった。どうもおっさんは失業中だったらしい。失業で保険が払えなかったのだとしたら、どうも今の社会構造を目の当たりにしてしまったような気がした。こちらが被害者とはいえ、たかが車がへこんだだけで10数万ものカネが動くことになる世界にも違和感を感じた。 利害関係の当事者ながら、少し相手のおっさんが気の毒に思えてきてしまったのであった。 ▲
by organic-cambio
| 2010-02-18 17:10
| 日々草記
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![]() 毎週配達で通る道すがらにこんな看板が立った。ハーバルノートの一本南側の辻、新しいズームラインの上場沢の信号から山に向かった辻。古民家というほどではない、開拓農家とでもいうような古い民家が毎週通るたびに改装されて、この看板が立った。オジサンは気になって仕方がない。ネットでこの店検索するとどうも平日の昼間はやっていないらしい。それでもしぶとく、だめもとで電話をすると今日はやっているというので、すかさず雪の中を出掛けて行った。 ![]() メニューはこんな感じ。店の中はまだ改装途上で、すきま風ピープー。ストーブがいくつあっても足りないほど。 ![]() オジサンのオーダーはオニオングラタンスープのワンプレートランチ。おいしかったが意外性はなかった。ほうれん草のサラダときのこ炒め、ベーコンのケーク・サレがついてくる。 ![]() カミサンのオーダーは押し麦と野菜のチキンスープ。ぷりぷりした押し麦とみじん切り野菜のあっさり味。これは味を出すのが微妙に難しいだけに、感心した。プレートの中身は同じ。 ![]() 店内にはマスコットというにはかなり存在感のあるお猫さまが闊歩なされていて、となりの大テーブルに着いていた女性グループの邪魔をして叱られていた。やがて放免されて出てくると、テーブルの上で外の雪景色を眺めて溜め息をついていた。 ▲
by organic-cambio
| 2010-02-17 15:43
| 戯れ道中
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寒さが一年で一番厳しい今頃に収穫される小松菜は、秋のうちに芽を出し、暮れを越え正月を迎え、寒中を乗り切って育ってきたツワモノたちである。朝は-5℃になることがある茨城からやってくる露地栽培の小松菜たちの中には、葉先が茶色く霜枯れた「歴戦の勇者」もいて、八百屋はかごに並べる際に思わず「よくここまで頑張った、エライ!」とほめてしまう。ずんぐりとした太い茎と分厚い葉っぱの小松菜は、味噌汁に入れると味を出すし、おひたしにしても甘さがあっておいしい。
ところが、そんな「歴戦の勇者」は人気がない。葉先の霜枯れが少ないものを、とガサガサと散々かごの中をひっくり返された末に買ってもらえず、次の日にやってきた100円も高い千葉産のすんなりとした小松菜に先を越され、挙句の果てに100円シールを貼られてもまだ居残ってしまう。 どうも野菜が選ばれる際に、きれいなもの=よいもの、という基準が生き残っているようだ。だけど、この寒い時期に小松菜が畑でどのような目に遭っているか、すこし想像していただければこの「歴戦の勇者」にもうひとつ勲章をあげられる。その想像力を発揮してもらえないと、オーガニックは「地球にやさしい」などという意味のない言葉と同じ、ただの「呪文」に終わってしまうだろう。 この10年でオーガニックは、言葉としては広く認知されたと思う。だけど、オーガニックとは何なのか、なぜ食べ物にオーガニックという方法が必要なのか、という理念についてはあまり深く考えられてはいない。そんな理念よりも商売の付加価値として、あるいは雑誌のページから勝手に歩き出した形容詞のひとつとして、もてあそばれているように思えてしまう。 そんな中で、私たちオーガニック八百屋が、オーガニックという言葉の理念として中心に据えてきたことはどういうことなのかを今こそ再確認してみる必要がある。それは様々な言葉に置き換えることができるのだけれど、そぎ落としていくと「自然と共生する食べもの」となるのだろう。 それは野菜を育てる過程で化学的な物質に頼らないという栽培方法としてだけではなく、厳しい自然環境にさらされ病虫害と戦って育ってきた野菜を受け入れて食べるということなのだ。そうすることで街に暮らしながら自然と共生する一歩が踏み出せる。私たちが主張したいオーガニックとは、そんな「マインド」が伴ったオーガニックなのだ。 2010/2/16 ▲
by organic-cambio
| 2010-02-16 18:47
| 店主の雑言
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わずかではありますが、日の出の時間が早くなってきました。この2月は寒さがまだ厳しいものの、ぐんぐんと明るい時間が長くなるので「光の春」と呼ばれるのだそうです。
2月は天気も春らしくなってきます。天気図を注意して見ていると、雪や雨などで天気が崩れた後にシベリアの高気圧ではなく中国から移動性の高気圧がやってくるようになります。その高気圧が日本の真上を通過する1~2日間は、無風快晴の好天になります。 そんな日はぜひお弁当と暖かいお茶を持って、雪野原に出かけてみてください。そうですね、この辺であれば八ヶ岳や霧が峰周辺がおススメです。車で入れるところなら、そんなに危険はありませんから子供連れでも大丈夫でしょう。スノーシューやクロスカントリーのスキーがあれば言うことなしですが、深い長靴を履いて山を眺めながら温かいお茶を飲むだけでも気持ちが伸び伸びします。 広くて真っ青な空、白く輝く山、さまざまな影を映す木々、まぶしく光る雪・・・。動物の足跡を追いかけてみたり、深いヴァージンスノーにダイビングしてみるのもいいですね。きっと「光の春」を実感することでしょう。ただし強い紫外線で雪盲にならないよう、サングラスやゴーグルをお忘れなく。 2004/2/3 ▲
by organic-cambio
| 2010-02-14 18:59
| 店主の雑言
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18日は県立高校の前期選抜の合否発表があり、八百屋一家の3番目次男坊は志望していた農業高校に残念ながら合格してしまった。めでたくではなく残念ながらというのは、次男坊が自己推薦で志願できる前期選抜には落ちてひと泡吹く、という絵をオヤジが密かに描いていたからだ。それはひとえに、ただでさえ努力とは無縁の安穏とした生活に明け暮れている次男坊に、震度3ではすぐ忘れてしまうだろうし震度5では腰が抜けてしまうだろうから震度4程度の青春の蹉跌を味わわせたい、という親ゴコロからであった。
この前期選抜という試験は職業科では定員の半分、普通科ではせいぜい定員の1~2割しか募集していないので、合格発表があっても進路が決まった生徒は教室の中では少数派である。仮に不合格になっても筆記試験の後期選抜という道が残されている。普通科の競争率の高い高校は前期選抜を行わないところさえあって、実質的には後期選抜が一般入試といえる。中学校では、その緊張感のある後期選抜を前にすでに進路の決まってしまった生徒とこれから本番に臨む生徒が、教室で同じ授業を受けるという状況がうまれる。そのことが先生にとっては非常に不安材料であるらしく、合格後に次男坊は顔を合わす先生すべてから「浮かれちゃだめだよ。合格したことをひけらかしちゃいけないよ」と出血多量になるほど釘を刺されたそうである。 絵に描いたような落ちこぼれであった次男坊のオヤジは、そんないまどきの高校受験を傍から見ているとどうにも歯がゆくなってしまう。とくに県立高校とわずかに限られた私立しか選択肢のない中で、ほとんど試験に落ちるという経験なく受験が終わってしまっていいのだろうかと思ってしまう。試験に落ちるということは決してマイナスばかりの経験ではなく、そのおかげでようやく己を知るようになるものなのだがなあ、と2回の受験期で合わせて2勝10敗という惨憺たる戦績を誇るオヤジは思ってしまう。 親というのは子供のことを自分の過去にあてはめて考えることが実に多く、そのことが今の状況にそぐわなくなっていることを知ったときにようやく自分が年をとったことを悟るものである。自分の考え方が今の状況にそぐわなくなっていることに気がつかない人は、永遠に困った親を演じ続けることができる幸せな人でもあるのだ。 2005/2/22 ▲
by organic-cambio
| 2010-02-11 17:20
| 店主の雑言
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日曜日の夕方、いつもより早めに薪ストーブに火を入れ、ごろりとその前に転がって先週図書館から借りてきた本を読み散らかす。最近は中古書店にも行かずにもっぱら図書館で借りまくるようになってきて、2週に一度ぐらいの間隔で5~6冊を借りてくる。これを自分で買うとなると新品ならば本代だけで1万円近くになってしまうわけだから、図書館はエライ。でも書店でこれだけの読みたい本がそろうだろうかと考えれば、これは出費の問題だけではなく書店の品揃えの問題でもあるのだ。
読み散らかすというのは借りてきた本を1冊ずつ読み終えていくのではなく、5~6冊全部を前に広げて少しずつ気分に応じて読んでいくからで、文字通りに本が床の上に散らかることになる。やがてその散らかった本を横取りして読み始めるハイエナも現れ、寒い冬の日曜日の夕方に温まったストーブの前で本を読む家族がごろごろとまぐろのように転がっている、という光景になる。 まぐろといえば、先週借りてきた本の中でただひとつ一気に読みきってしまったのが「土佐まぐろ船」というノンフィクション。高知を出航して南半球でまぐろを釣り、船がまぐろでいっぱいになると専門の運搬船で日本に送り、延々と足掛け4年(!)にもわたりまぐろを釣り続けるというストイックな世界の話だった。これはすごい。4階建てのビルに相当する300トンの船で男ばかり20人が暮らす。3畳ほどの大きさのテントを担いで男6人が氷河の上で山のてっぺんを目指して1ヶ月暮らすという経験があるわが身には、男ばかりが閉鎖空間で長い期間を一緒に暮らすとどんなことが起こるかよくわかってしまう。でもそんなことは一切書いてなかった。いや、書けないよな、あれは。 夕食を終えてまた本を読もうとすると、182cmのバカまぐろに一番いい場所を先取りされてしまった。怒ったオヤジまぐろがトロの厚みを利用して押しのけると、バカまぐろは140cmのチビまぐろの転がっていた場所をチビまぐろがトイレに入った隙に横取りした。トイレから戻ってきて怒ったチビまぐろがバカまぐろの横っ腹にけりを入れて戦いを挑み、オヤジまぐろはうるさくて本が読めないのでそそくさと寝室に退散し、まぐろ一家の日曜の夜は更けていくのであった。 ▲
by organic-cambio
| 2010-02-10 17:56
| 店主の雑言
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