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1 ![]() 一年を十回繰り返すと、四十歳が五十歳になることを忘れていたなあ。いつも今から十年後は、すべてが今のままで十年たったことを考えていたから、十年前からと同じ時間を過ごすと六十歳になってしまうなんて、困ったことだなあ。十年たったら少しは楽になるだろうと思って頑張ってきたけれど、夢のまた夢だったなあ。 椅子にもたれてだらしなく足を組み、ひじ掛けに頬杖をついて視線を空中に漂わせる。風が草をなびかせながら近づいてくる。ヒグラシの声が右から左へ、左から右へと襞のように流れて行く。モズがギチギチと鳴いて縄張りから敵を追い出し、カラスのヒナたちは草原で大声をあげてじゃれあっている。 幸いなことに体力だけには恵まれていたから、多少無理な仕事の仕方をしても身体が壊れることはなかったけれど、これからは少し考えなくては仕事が続けられないだろうなあ。十年たってもわれらの店が続いているなんて保証は何もないし、ゆくゆくは店の始末をどうつけるのかも考えておかなくてはならないんだろうなあ。 西駒のてっぺんに雲がかかり始め、端正な将棋頭山の稜線は見えなくなってしまった。ああ、あの稜線では冷たい風が吹いているのだろうなあ。毎週わずかしか休みがないけれど、信州に住んでこうして山を眺めていられるから、それで我慢ができるんだろうなあ。今週はスタッフに休みを譲ってしまったけれど、来週の月曜の午後はどこの山で過ごそうか。 ■
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by organic-cambio
| 2011-07-28 18:02
| 日々草記
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台風が来て一段落したけれど、梅雨明けからの暑さはすごかった。このまま8月の終わりまで猛暑が続くのかと、想像すると気が遠くなりそうだった。昨年の夏あたりから、この信州の夏もかなり質が変わってきたような気がする。岡谷ではせいぜい30℃が関の山で、陽が落ちればスーッと涼しくなるものだったのに、昨年からは店の中で32℃を超え、夜になっても熱気がムンムンとし続けるようになった。これは暑さが進化したのか、それとも岡谷市内のコンクリートやアスファルトの面積が増えてきたせいなのだろうか。
サラリーマン社会では、数年前からクールビズなんていうおかしな服装を夏になると強制されるようになって、戸惑っているおじさんが多い。とくに今年は節電もあってスーパークールビズなんだそうだ。先日も某カジュアルショップに行くと、ポロシャツやチノパンを前に首を傾げたり、頭を掻いたりしているおじさんがたくさんいた。奥さんに「何にしたらいいんだかわかんないよ・・・」とこぼす声も耳にした。そうだよね、ネクタイを変えるくらいで毎日同じ格好でかまわなかったのに、急にTシャツやアロハを着ろって言われたって、困っちゃうよね。 この国の、しかも毎日背広を着ているような人たちの社会で不思議なのは、みんなで一斉に同じようにやらなければいけない、ということだと思う。クールビズってのは着る物のことでしょ。それぞれに自己主張はあるし、好みがあるし、しかも同じ温度だって感じ方はそれぞれ微妙に違うはず。だったら基本的に暑いと思ったら涼しい服装にすればよいだけで、それが苦手な人がいつも通りの服を着ていたって構わないと思うのだけれど。本人の問題なんだから。 このクールビズの対応に困る人たちを見ていると、日本人の横並び意識というものが良く分かる。ラフなスタイルが好きでもみんなより飛び出すと叩かれるから、ひたすら周りの服装の崩し具合を見て、出社してからロッカールームで「修正」する人もいるそうだ。ラフに崩すのもまずはセクションのトップがやってみせると、それがスタンダードになるのでみんなが同じように崩せるのだとか。それなら、いっそのことみんな制服にしてしまえばいいのに。 制服と言えば、女子高校生にとって制服は最も安心できるスタイルのようで、制服のない学校に通う子までが制服のようなスーツを毎日着る「なんちゃって制服」まであるそうだ。我が家のスカートツンツルテン娘も、一説によれば今の学校を選んだのは制服があるからだという。親の中には、私服だと被服費がかかるから制服の方がいいという人もいるらしい。そういえば小学校の懇談会で、学校の行き帰りをみんな体操服に統一してはどうか、という提案があって驚いたこともある。従順な親はみんな同じが大好きなのだ。 かく言う私めも、中学と高校の計6年間は制服を着させられた。中学は黒の詰襟、高校は紺の背広。日本全国この6年間は制服のところが多く、とくに中学で私服というのはめったにない。なぜこの身体が急成長する年代に、わざわざ制服を着せようとするのだろう。毎日同じものを着るから、汗や体臭がしみ込んで不潔だし、子供は手入れなんかしないから親の手を煩わせるだけだ。我が家のバカ息子のように、学校に着いたら下に着ていたのはパジャマだった、なんてことも起きてしまうし。 中学と高校の6年間に制服を着させる学校が多いのは、服装としての必要性ではなく、急速に発達する自我を抑え込むための道具として着させるのではないかと、この制服を着る6年間ですっかりとひねくれてしまった私は思う。日本人の横並び意識も、この制服の6年間で培われるのではないだろうか。最近は横並びに加えて内向きという意識も強くなっているそうだから、もう制服なんかやめて、中学と高校の6年間をのびのびと自己主張させてやった方がいいのではないかと、いまだに落ちこぼれの意識を引きずる私は思うのだ。2011/7/26 ■
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by organic-cambio
| 2011-07-26 17:25
| 店主の雑言
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![]() ![]() 開田から長峰峠を越え、岐阜県に足を突っ込む。峠のすぐ下を左折して御岳の裏側へ。深い山の中に引かれた県道の両側からは、メボソムシクイやコマドリの声が聞こえてくる。こんな鳥の声が聞こえるところは、本来なら車で走るべきではない。 ![]() ![]() 首まで湯につかって目で追ってみると、周りの岩という岩にアブが止まって出撃態勢を整えている。でっかいウシアブもいるぞ。あいつに噛まれたら痛そうだ。そこに、管理人のおじさんがハエタタキと筒をもって登場。止まっているアブを次々にたたき落とし、筒に納めて戻っていった。 やれやれ、少しはアブが減ったところで湯からあがり、岩に腰掛けて涼む。周りはシラビソやトウヒの森だ。下ばえにシャクナゲもある。キョロロロロとコマドリが鳴く。この声を聞きながら湯に浸かれるとは、なかなかいい温泉だ・・・、イテッ! 背中を一発噛まれて、湯に戻る。 ![]() 草履ばきでは山道は歩けないので、仕方なく車で温泉街を下る。大きな旅館を過ぎてすぐのカーブを曲がろうとしたら、カーブの途中に対向車が止まっていた。なんでかな?と思いながらこちらも止まると、右の藪の中に何かがいる。何だろうと目を凝らした途端、真っ黒な獣が藪から飛び出し、道路を渡って左の藪に消えて行った。 クマじゃ! まだ柴犬くらいの大きさだから子グマだ。カメラを取り出す暇さえないうちにクマは藪に消えてしまった。この大きさだと近くに母グマがいるはずだ。へたに車から降りたりすると、「あんたかね、うちの子を脅かしたのは!」などと襲われかねないから、スタコラ逃げることにする。 そのカーブを曲がるとすぐに右手に道標があって、さっきの里宮から始まるトレッキングルートの出口だった。もし、靴をもっていてのんびりトレッキングなどをしていたら、出口で親子のクマをばったり、なんてことになっていたかもしれなかった。 ![]() ![]() ■
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by organic-cambio
| 2011-07-21 18:29
| 戯れ道中
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週に3日、採りたての野菜をいただきに行く塩尻有機の集荷場は中山道の旧塩尻宿にあって、先週の週末は一帯がお祭りだった。まだ一度も見たことはないのだけれど、その阿禮神社のお祭りは7つの舞台(山車)を曳いて練り歩き、なかなか勇壮なのだそうだ。
そのお祭りが終わって数日たったある日、われらが国の只今の首相は「原発に依存しない社会を目指すべきだと考えるに至った」と、記者会見で述べた。それは各メディアで「脱原発宣言」として大々的に報じられたが、その後は日を追うごとに「根拠のないうわごと」だとか「首相の個人的希望だ」という、いわば死に体首相の妄言であるかのようになってしまった。 でもね、この首相が言うところの脱原発の方向性に、どこか間違っているところがあるの? 大震災以降、この首相のリーダーシップには風当たりが強い。とくに新聞の政治記者や、経済団体には評判が悪い。「存在自体が日本の害悪」とまで言う人までいるのは、まったく体制を入れ替えれば、どこか数年前の太郎ちゃんに似ているような気がする。困ったことに、浜岡を止めたときも、こんどの脱原発宣言も、この首相には政治家としての理念よりも、自己愛が優先されているようなところがあるように思える。でも、それが自己愛に満ちていても、方向性については間違っているとは思えない。だから、むかし給食のスキムミルクを我慢して飲んだように、鼻をつまんで一応支持する。 とにかく、今は大きな曲がり角に来ているのだ。山車を今まで進んできた道とは違う向きに直さなくてはならない。ただ、あまり拙速に進めると、山車の舞台が張りボテでしか作れず、すぐに色あせたり、雨が降っただけで溶けてしまう。せっかく原発から再生可能エネルギーに軸足を変えようという動きが、無に帰してしまうことになっては困るのだ。ゆっくりでいいからコケないように曲がり角を曲がるように、多少の臭さは我慢して綱を曳こう。 政治家の食えない自己愛ということでは、任命されて数日で辞めた復興相もひどかった。取りざたされた発言は、その前後の状況をすっ飛ばして言葉だけをくりぬいたようなものだから、多少受け取られているニュアンスとは違いがあるらしい。それより辞任の会見で「4月に亡くなった歌手でフィービ・スノウというのがいる」と言った。続いてカズオ・イシグロも出てきた。この人も政治家という立場と、自分の内面がごっちゃになっているのだ。公的な立場を追われるように退くときに、おそらく自分の心情に影響があった人の名をあげて、涙ぐんでしまうような人が政治家になるべきではない。自分がそうであるだけによくわかる。 でも、フィービ・スノウが死んだのは知らなかったので驚いた。ちょうどそのころ、久々に聴きたくなってCDチェンジャーに古いアルバムを組み込んだところだったから。2011//7/19 ■
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by organic-cambio
| 2011-07-19 17:17
| 店主の雑言
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梅雨明けで、山には強い日射しが照りつけるようになった。日射しを避けて北八ツの深い森の中というイメージが浮かんだのだが、去年も同じ時期に雨池周辺を歩いていたので、今回は趣旨を変えることにした。北八ツ以上に近いのに、混雑するイメージがあって遠ざけていた入笠山へ。スズランの花も終わりになってそろそろ静かになっただろうから。
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 一面にシダが繁茂して緑のじゅうたん。 ![]() ■
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by organic-cambio
| 2011-07-14 17:39
| 戯れ道中
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ずいぶん早く梅雨が明けて、カンカン照りの日差しと白い雲が湧く夏空が広がった。夏の山は昔から「梅雨明け十日」といって、梅雨明け直後は天気が安定すると言われている。学生山岳部の夏山合宿はその梅雨明けに当たるように、7月の下旬に計画されることが多かった。ところが今年のように早く梅雨が明けてしまうと、合宿前の体力トレーニングが猛暑の中で行われることになって、下級生には厳しい夏になるだろう。でも、今は学生山岳部なんてほとんど残っていないらしいし、山登りサークルは体力トレーニングなんかしないだろうから、あまり関係ないか。
昨年映画化された新田次郎の「剱岳点の記」の原作には、測量の案内人が雲の流れから天気の大崩れを予測して、「旦那、これは大風になりますぜ」と言うシーンがある。ラジオも天気予報もない時代の人たちは、観天望気で天気を読んで山に入った。十分な経験と熟知した地理に加えて、発達した皮膚感覚があったからこそできる判断だ。今の山も、山と天気の関係は昔と何も変わらないので、そんな空を見て天気の成り行きを推し量ることは、山に登る際の基本の基の字だ。 だけれど、今は山の中でもケータイが通じるし、ネットの天気予報をみることができるし、さらにツアー登山ならガイドの判断に任せきりで、付いて歩くだけで山登りができてしまう。空一面にウロコ雲が出たって、それが何の前兆なのかわからないし、それよりも今夜泊る小屋の食事が気になる、という人のほうが多いのかもしれない。 山の天気に限らず、いつでも相手と連絡が取れ、いつでも情報が取り出せるという世界にどっぷりとつかると、自分で何かを判断する必要がなくなってくる。山に登るのは極めて恣意的なことだから、自分の生命をもって責任をとることになっても、だれも責めることはできない。でも、人間社会には秩序があるべきだし、コミュニケーションができなくてはならないし、今自分の置かれている状況や他人が要求していることに、判断をして答えることができない人が増えるのは困る。 どんな小さな店でも、社員のいない会社でも、仕事というのは物事を判断して決定できなければ成り立たない。事務所の留守番を雇っても、「社長がいないのでわかりません」なんて受け答えをするくらいなら、居ないほうがまし。ケータイで社長を呼び出して「ど~したらい~ですかあ~」なんていうくらいなら、電話の自動転送のほうがましだ。正社員が減って派遣が増えてきたのは、自分で判断のできない人間が増えてきたことも背景にあるのではないだろうか. 昔の人たちの経験知というものは、たくさんの事例を積み上げてできたものだから、揺るぎがなかったし奥が深かった。技術が発達してその経験知を誰もが共有できるようにする、というのが理想であったのだろうけれど、現実はそうにはならなかったようだ。労せずして得たものを人間はむやみに消費してしまうことは、昔からたくさんの諺や言い伝えで残っている通りなのだ。 昔の人は知らないことを前にした時、まずは経験に照らして考えたのだろう。今の人たちは知らないことを前にした時にどうするか。多くの人は情報によって答えを探そうとするだろう。同じ答えにたどり着くとしても、答えを探すことは考えることと違う。答えを探すことは前例の踏襲にしかならない。ところが、すぐに答えには至らなくても、どうしたらいいか考えることは新しいことを創造する可能性を含んでいる。 3月11日以降、未経験、未知のことがたくさん起きた。答えを探しようにも答えがないことばかりだった。だから、たくさんの人がたくさんのことを考えざるを得なかった。そのおかげで、これからたくさんの新しいことが始まるかもしれない。原発の爆発などという想像したくもないひどいことが起きたけれど、これからどうしたらいいかを他人に答えを求めずに考え続けたら、今より良い答えが出てくることは間違いないだろうと思う。2011/7/12 ■
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by organic-cambio
| 2011-07-12 17:30
| 店主の雑言
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by organic-cambio
| 2011-07-07 18:25
| 戯れ道中
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いつもの年より一足早く暑さがやって来て、世の中は節電セツデンと喧しくなってきた。メディアはどこも節電一色で、節電に協力しないヤツは許せないとでもいうような、恐ろしい雰囲気になりつつある。
そんな節電ファッショの一方で、九州の玄海原発を再稼働させようという動きが活発になって、地元首長や県知事が原発再開を容認するという事態になってしまった。これはひどいことだと思う。世論の7割が脱原発を望んでいるというのに、今後のエネルギー政策がまだ何も具体化しないうちに、まるでアリバイ作りのように再開させようとしている。福島の原発事故は、世界レベルでの放射能汚染を招いたので、日本が今後どんな原発対策をとるか世界中が注目しているはずだ。その最中に、まるで何もなかったと同じように再開させてしまうのは、全世界から日本という国は一切学習ということをしない国なのだ、と思われても仕方がないだろう。 われらが店の原発対策としては、浜岡原発が停止した時は、停止しても電力を十分に余らせて原発を再開する口実を封じるために、十分に節電をしようと思っていた。店の蛍光灯を何本か消してみたり、蛍光灯を順次LEDに交換していくことも考えてみた。でも、昼間とはいえ明かりを間引いて暗くするのは、どうにもビンボー臭かった。ビンボーは結構だし個人としては自認するところであるのだけれど、お客さんにビンボーを臭わせるのは、物売りの店としてよろしくないのでやめることにした。 エアコンなどに頼る生活をしたくないので、われらは信州までやって来た。だから、どんなに暑くなったってエアコンを店につけるつもりはない。エアコンのない店の電力消費は、夏だからといってそう大きくは変わらない。いくつかの冷蔵庫が任務を果たすべく頑張るために、200Vは2割ほど消費電力は増えるものの、100Vはほとんど変わらない。それでも電力不足のための節電ではなく、単に無駄を省くために過去にも夏はこまごまと節電策をとってきた。夏の節電策とは即ち熱対策だから、熱を発生するものを消す、熱を逃がすために空気の流れを作る。毎年これを徹底していると、夏だからといってそんなに電気を消費することにはならないはず。ただし、信州では、の話。 節電セツデンといわれて気分が悪い理由はもうひとつ、電力会社が今後の方針を何も変えようとしていないことだ。株主総会での脱原発提案は、どこでも一顧だにされなかった。原発のコストは他の発電エネルギーと比べて安価だというけれど、使用済み燃料の保管、廃棄のコストは十分に計上されていないという。一説ではこれからの子々孫々300世代、1万年にもわたって保管し続けなくてはならない危険な物質の保管コストなど、今の価値ではとても計算できるものではない。それをほったらかしておいて、安価だというのはあまりに無責任だし、子孫に対して失礼だ。 そんな電力会社のことだから、原発が停止したために電力不足が起きるという節電の根拠も信用できない。実際に、虚構であるという指摘も数多くある。それに加えて、電力会社の態度というものがどうにも慇懃無礼で食えない。言葉だけは一応丁寧だけれど、独占企業の驕りが態度に表れていて、こんな奴らのために節電なんかするくらいなら、逆にブラックアウトさせて泣かせたろか、とも思ってしまうのだ。いやいや、おとな気ないけれど、腹が立つんだよ全く。 どうせやるのなら、われらが店では節電ではなくて電気の購買拒否として、日中は全照明を消す、ぐらいのことをやりたい。おっと、書きながらひらめいてしまったぞ。これから、毎週何日かは照明を全部消して営業してみようかな。照明が消えていても休みと間違えて帰らないでね。2011/7/5 ■
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by organic-cambio
| 2011-07-05 18:01
| 店主の雑言
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![]() 大阪ナンバーの観光バスのツアー名を見ると、「新緑の赤沢休養林と上高地のニリンソウ」となっていた。ほう、ただ「赤沢休養林と上高地」ではなくて、新緑とニリンソウがそれぞれに添えられて、ツアーをイメージしやすくするひとつのマーケティング手法なのだな。 でも、今年の初夏は気温が低かったから、赤沢はなんとか新緑だけれど、上高地でニリンソウは咲いてないだろうな。と、もうはるか上高地などへ行ってないくせに、思ったのであった。だって、うちの庭先のニリンソウなんか、まだ蕾さえ膨らんでないもんね。 上高地は標高約1500m、我が家は標高約750m。どう考えても上高地のほうが寒いのだから、きっとツアコンは言い訳をして違う花に興味を引こうとするんだろうな。などと思いながら、新緑の赤沢の山道に向かって行ったのであった。 上高地のニリンソウと聞けば、さぞ美しい光景が目に浮かぶかもしれないが、ニリンソウは我が家の周りではどこの家にも生えている庭の花なのだ。おまけにこいつが結構図々しい。繁殖力が強くて、どんどん増えてしまう。強いことでは定評があるミントさえ押さえこんで広がってしまう。写真の真ん中に見える少し幅広の葉は、周りを取り囲まれてたじたじのブラックミント。 赤沢に出かけてから2週間ほどして、我が家のニリンソウは満開になった。白くて清楚な花が一斉に咲き揃うと、やはり綺麗だ。花も長持ちするので、あまり手の入れられない一角を、ニリンソウの園地にしてしまうのはなかなか良い。ほっとくだけで、どんどん育ってくれるし。でも、ひ弱で繊細な草花がそばにあると、消えてしまうかもしれないので注意しないとね。 ■
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by organic-cambio
| 2011-07-03 17:46
| 日々草記
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