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早くも年内最終回となりました。今年も一年お付き合いいただきありがとうございました。岡谷で暮れを迎えるのはこれで22回目。ずいぶん長い年月を過しているにもかかわらず、進歩のないおツムのおかげであまりくたびれもせずに店を続けてくることができたように思えます。それでもお客様のお子さんの成長を見ると、ひと世代が交代するだけの時間が経っていることを実感します。我が家にも二十歳を迎える娘がいるのですが、その娘を見ていても時間の経過を実感しないのは、お互いの存在感にあまり変化がないということなのでしょう。それは娘にとって大変迷惑なことですが、日常的に顔を合わせていると存在感は急には変わらないので仕方がありません。最近は何か自分に変化が起きる時は、時が満ちた時なのだと思うようになりました。こうなればいいと願うことがいくつもありますが、どれも時が満ちるのを待てばよいのだ、と思うようになりました。やはりジジイになったのでしょうか◆今年は懸案だった2階の運用を本格的に始め、ワークショップや展示会を毎月開催してみました。2階は移転当初カフェにするという計画もあり、厨房と客室を設計まで進めたのですがさまざまな事情で頓挫しました。今思えば否定的なアドバイスに耳を傾けておいて本当によかったと思いますが、だだっ広いままの2階のスペースの使い方はずっと考えながらも実行に移せずに時間が経過してきました。たくさんのお客様をお迎えするには駐車場が圧倒的に足らず、大家さんにお返しして他所が使うことになるのも許し難く、毎月無駄な家賃を払わざるを得ないことはさらに許し難く、かといって自らイベントを企画できるほどのノウハウも人脈もない。動くこともままならずに年月が過ぎていきましたが、私の頭にはうっすらとひとつの絵が浮かび始めていました◆今までの経験から、長く考えてきたことの時が満ちる時はそれを告げる人が現れて、頭のてっぺんの蓋をまるで「シュポン」というビール瓶の栓を抜くような音が聞こえるように開けてくれるものでした。そのふたが開くと、今までに詰め込んできた酵母やモルトに相当する情報や願望が、発酵して泡を吹きながらおいしい企画となって頭のてっぺんから吹き出してきます。蓋を開く人はまったくそんなことを意図していないのでしょうが、頭から泡を吹いている本人には「キタキター!」とココロの中で叫んでしまうほどインパクトがあります。実はその泡吹きが昨年の夏にあり、そこから2階をワークショップとイベントのスペースにする動きが始まったのでした◆それまでモノばかりを商っていたわれらが店に、カタチのないワークショップという体験や作家が精魂を傾けた作品を売ることは、似て非なる商いでなかなか難しいことでした。商品という実物を並べて売るのではなく、コトの中身を言葉や絵でお伝えして予め申し込んでいただく。展示会に興味を持っていただけるように告知をする。商品のようにその場で訴える具体性がないので、自分の中でいったん消化した講座や作品の内容を表現して伝えなくてはなりません。ところが、自分では伝えているつもりが、お客様には全然伝わっていないというすれ違いの連続。その結果を講師や作家さんたちに浴びせて忸怩たる思いをすることもありました。たくさんの参加者を得られた理由を振り返ると講師のネームバリューや講座の内容に負うところが大きく、さびしい結果に終わった理由は私たちの油断や準備不足ばかりでした。いずれの方々にも深く感謝を申し上げます。ありがとうございました◆暮れが迫り、年中無休の私たちにも年に数日だけの休日がやってきます。この暮れは息子たち二人が帰って来るようで、久々に彼らの話が聴けそうです。話しというほど深い会話をするわけではないのですが、言葉の端ににじむ彼らの「今」を忖度することを楽しみにしています。親がこのような商売をしていると息子たちは後継者として見られることが多いのですが、私は子供たちにこの仕事を継いでほしいなどと思っていません。私は都会の中で育ったのでこのような山に囲まれた地で暮らすことを夢見てきましたが、彼らは意図せずに都会の隅っこからど田舎に連れてこられたわけですから、彼らには彼らの住みたいところに住んで好きな仕事をするのが一番だと思うのです。おそらくそれが定まるのは30歳過ぎてからでしょうから、もっと今のうちに好きなことをやっておいたら良い。ただし、本人たちはまだ気が付かないだろうけれど、彼らは農業高校に通った時に胸の奥に畑の種を蒔かれているので、30歳を超えたころにその種が芽を出すだろうと思います。それからまたどう生きるか考えたら良い◆いずれにしろこのおかしな店は、いまだに店主が頭から泡を吹いて行先が決まっていくのですから、当分他人に任せる態勢は作れないだろうと思っています。もうしばらく迷走状態が続くことでしょう。その先は知りません。今回も長くなってしまいました。今年のご愛顧に深く感謝いたします。皆さま、良い新年をお迎えくださいませ。
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by organic-cambio
| 2013-12-24 16:20
| 店主の雑言
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先月の末、縁あって茅野の別荘地に住むKさんが輸入しているドイツの離乳食とパスタを扱うことになった。Kさんにはドイツ人のお連れあいとの間にかわいい二人のお子さんがいる。商談のために店に見えたときは上の女の子が一緒に来たのだが、この子の自己主張がなかなかスゴかった。2~3歳の子だからまだ何でもやりたい放題のお年頃なのだけれど、ちょっと日本で暮らす子とはそのスケールが違う。ひと時もじっとなんかしていないし、ありとあらゆるモノやコトに興味を示しては要求する。前に来たときは研ぎ屋のおじちゃんがよく遊んでくれたので、さっそくそばに行ったのだが「おじちゃん寝てた」と戻ってきた。そりゃあ研ぎ屋のおじちゃんだって、あなたの前では寝たふりをしたくなりますよ◆気遣いを美徳とするこの国では、そんな振る舞いを傍若無人といって眉をひそめる人が多いのだけれど、欧州のように自己主張が自分を守る方法と考える国では、子供といえども自己主張をすることが当たり前なのだ。自分たちはこうありたい、こうすべきだ、そのために自分はこうすることができる、というようなことをどんどん主張する。相手の考えていそうなことを読んで、言うことを控えたり回りくどい言い方をしたりなんて一切しない。空気を読むなんてことは曲芸の一種だと思われる◆そんな人たちが集まって物事を決めようとすると延々と主張が繰り返されるのだが、最後に誰もが一票を投じて多数決で決めたことには反対した人も文句を言わず従うのだそうだ。今も欧州の田舎の村では全体会議で物事を決めているところがあるらしいが、そんな主張と主張のぶつかり合いの治め方として発達してきたのが民主主義というものなのだろう。世界中でその言葉を冠した物事の決め方がなされているけれど、その暮らし方や歴史や文化の違いでずいぶんと都合よく使われているように思える◆話は変わるけれど、私は高校、大学ともかなり自由度の高い学校に通わせてもらった。とくに高校は何でもやりたい放題に近く、そのおかげでずいぶん楽しい思いも苦い思いもすることになったのだけれど、15歳から18歳の子供たちに自由というものがどれだけ理解できたのかと考えると、それは今もかなり疑問だ。ロン毛に背広の制服を着た少年たちは街中で年齢不詳正体不明だったが、果してそれが自由というものだったのかどうか。やりたい放題を自由というのであれば、何でも見境なく好き勝手にやることとどこが違うのか◆言葉としての自由は束縛の対語であるけれど、解釈での自由は勝手の類語とされることがこの国では多い。本来はそこに明確な違いというものがあるはずで、その違いを意識して使わなくてはならない。逆に言えば、いかに勝手な振る舞いが自由という言葉に置き換えられてしまっているかということ。そこに民主主義という美辞麗句が乗っかると本当に始末が悪い。最近は子供たちが世の中を知るときにこれほど醜い手本はない、というやり方で物事が決まっていく。これをわれら大人たちがいつまでも良しとし続けてはならないと思う。
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by organic-cambio
| 2013-12-17 16:17
| 店主の雑言
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12月に入って穏やかな日が続いている。11月は結構寒い日があって、月末に引き取る予定だった白菜が畑で凍みてしまった。大きな株に育ったというので、どこにどうやって保管しようかと考えているうちに寒さでやられてしまった。残念。去年のこの時期も早い雪がやってきて、まだこれから収穫する予定だった野菜が雪の下に埋もれた。何事も早めに進めるのが良いのはわかっているのだけれど、寒さとお客さんはいつやって来るのかわからない。それを見極めて野菜を動かすところが八百屋の難しいところなのだ◆穏やかとはいっても、丘の上にある我が家の朝の気温はマイナス3~5℃。いつもであれば、寒がりのカミさんがしっかりと羽布団の上に毛布を掛けて朝の寒さに備える時期なのに、今年はなぜかいまだに羽布団1枚で寝ている。信州に暮らし始めて20年以上になったので、さすがに寒さに順応性が出てきたのか。それとも、勝手に体温が上がったり下がったりするお年頃のせいなのか。羊や犬は気温への順応性が幅広いので世界中に分布しているらしいが、人間も頑張れば寒さに順応することができる実証のひとつとなるか◆家とは違って店という空間は温度管理が難しい。寒い時間から店が始まり、暖かな時間を経て、日が暮れるとまた寒くなる。その間の室温をどうやって調節するかと言えば、その場にいる人の体感温度というきわめて恣意的なセンサー頼りだ。暑さ寒さの感じ方の違いは大変な個人差があることだから、複数の人間が仕事をする空間では誰もがちょうどよいという環境はなかなか作れない。誰かが我慢しなければならなかったり、我慢したがゆえに体調を崩すことになってしまったりする。天井から乾いた空気をばらまくエアコンが決して快適とは思わないけれど、全体の温度を均一に保つという点では、灯油のヒーターより多少優れているのかもしれない◆少しでも店の気温をうまく管理できるように考えた結果、サーキュレーターで天井付近にたまった空気をかき混ぜることにした。ところが、空気の動き方をきちんと計算してファンを回さないと、1か所に熱気が溜まってしまうことになる。あまり野菜売り場の気温を上げると野菜の鮮度が落ちることになるし、レジ周りには冷蔵庫からの冷気が回って来るので暖めないと寒がりのスタッフが動けなくなってしまうし、あまり暖め過ぎると研ぎ玄の辺りに熱気が溜まってしまう。あちらを立てればこちらが立たず、その日はよかったけれど明日も同じようにうまくいくとは限らず、まことに難しい◆同じ空間の中で寒さの感じ方が違う大きな理由を考えてみると、カラダの中で発熱できる人とそうでない人がいるということなのではないかと思う。店にいる時はいつもうろちょろ歩き回っている私と、冬でも茅野から自転車で通ってくる研ぎ玄のKさんは動くことで自ら熱を作り出すことができるカラダ。カミさんとスタッフ二人は、寒いとどちらも動くよりじっとヒーターのそばにうずくまってしまう熱を消費するカラダ。どちらが良いということではなくて、そんな特性があるのだろう。総じて男と女のカラダの差なのかもしれない。女の人に冷え性が多いのも、そんな理由があるのかもしれない。人間のカラダほど複雑で神秘的なものはないから、軽々しく断言などできないけれど。
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by organic-cambio
| 2013-12-10 15:12
| 店主の雑言
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我が家の愛犬改め老犬「みかん」は御年推定で12歳となり、人間でいえば70過ぎの高齢者である。昨年の今頃は外耳炎で2回も通院したので今年はよく観察していたのだが、やはり秋からときどき耳が腫れるようになった。今年はその外耳炎に加えて歯肉炎も起こし、頭全体が腫れあがって真っ直ぐに歩けなくなり、毎日寝たきりの介護老犬になってしまった。獣医さんの診察では歯肉炎などの炎症が脳の前庭にまで及んで、平衡感覚を司る部分が障害を起こしているということだった。注射を打ち飲み薬を毎日4錠も与えた結果、数日で歩けるようになり2週間たった今はいつも通りに走れるようになった◆犬が前庭障害で平衡感覚を失って歩く姿を見て、これはどこかで見たことがある光景だと記憶を手繰っていくと、かつて南米の山に出かけた時にメンバーの一人が高山病で起こした症状とよく似ていた。そのメンバーとは高校山岳部の顧問であり、われらが夫婦の仲人であり、今や母校の校長先生なのだから老犬の症状などと一緒にしては畏れ多いのだけれど、意識が途切れ身体を真っ直ぐに保つことができなかったことは、脳に障害が起きていた症状に違いないと確信した◆4200mほどの標高で始まったその症状は何日たっても治まらず、非常用の酸素を吸わせても無意識のうちにマスクを外すしやがて意識も途切れがちになった。隊長だった私は隊の行動をいったん止めて、メンバーを標高の低いところに下ろすしかないと決断した。そこは緩やかで広い谷の奥で、麓の村までは40㎞も歩かなくてはならない。メンバーはとても歩ける状態ではないので、荷運びの馬に乗せて下ろすことにした。ところが悪いことにその日は大晦日。馬使いのガウチョたちはみんな下の村に下りてしまった◆その時は7000m近い山に登る予定だったので、高山病は酸素不足で起きる様々な症状で、そのひとつに脳浮腫があることは当然学んでいた。でも高山病は経験のない高度まで登ればだれでも症状が現れ、未知の高度に登っては下りることを繰り返して身体を順応させていくことができるもの。だから現れた症状は乗り切る過程で順応するための症状だと考えていたのだが、どうも違うと気がついたのは、間が悪いことに大晦日だった。おかげで意識不明のメンバーを介抱しながら正月を迎え、私はメンバーとともに馬で下の村までいったん下りた。隊の行動予定は大幅に変えざるを得ず、結果的に数日遅れて頂上に向かうことはできたのだけれど、悪天候で撤退を余儀なくされた◆その遠征はいろいろな人の支援を受けて出かけたので、結果を持ち帰ることができなかったことが長く胸につかえていたが、だんだん結果は正しかったのだと思えるようになってきた。メンバーが真っ直ぐ歩けなかった時の症状は脳に異常が及んでいたことを確信したことで、登れなかったことよりも無事に帰ってこられたことでよかったのだと思えるようになってきた。たいして技術を必要とする山でもないのに、登れなかったことが何か自分の失敗であるように引きずってきたが、もっと大きな取り返しのつかない失敗に発展する可能性があったところを、何とか回避した結果だったのだ◆それから28年。我が家の長女がスキャナ付のプリンターを買い、南米遠征の写真を電子化してくれた。写真がパソコン上で見られるようになったことと、その時の自分の判断が間違っていなかったことを確信出来るようになったことがほぼ同時であったのは偶然だったが、その時に生まれたばかりだった長女が、ちょうど遠征に出かけた時の私と同じ年になっているということも、また感慨を覚えることであった。
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by organic-cambio
| 2013-12-03 18:05
| 店主の雑言
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