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古本市が始まって、また賑やかな日々になった。われらが店は笠原書店のようにいつもたくさんの人が出入りする店ではないので、古本市になると来客数は平常に比べてかなり増える。少ない日でも倍近く、多い日になると数倍の来客数になるから、私たちのテンションも上がりっぱなし。今週末はセールも構えているので、さらに増えることになるだろう◆それでも今年は連休前の開催になって、ド平日が4日間あるのでその日々がどうなるか少し心配。イベント全体として、御柱祭に関心を奪われてしまうのではないかという心配もあったが、これはやはり仕方がないようだ。ある程度来客が減ることを見通しての開催だけれど、だからといって全体の費用の中で絞れる部分はほとんどない。結果として費用の負担額が増えることになってしまうだろう。心苦しいことだけれど、長く続けていくためにはそんな時も乗り切らなくてはならない。次のこと先のことを考えながら◆前回のアンケート結果や反省を踏まえて、今回から古本市のスタイルを少しずつ変えることに着手した。しかし、わずか6回とはいえみんなで精力を傾けて企画をしてきた経緯は重く、簡単には変えることができなかった。自分たちのような古本業界に詳しくない人間にとっては、どこの会場にも古本があるのだから古本市という名にそれほど違和感がなかったが、古本屋や古本好きの人たちにとってこのイベントは、古本市という名に値しないチンケな田舎イベントでしかなかったのだ。それは数回前の企画から耳にしていたが、前回のアンケートの中に「古本の数が少ない」とか、「せっかく街を歩いて会場についたのに本が少なくてがっかりした」という声があって、現実感が迫ってきた。今後も続けていくためには何かしらの対策をしなくてはならない。具体的な企画を始まる前に事務局の3名で話し合い、名称やスタイルを変えることの提案をしたのだったが、わずか3か月しかない企画準備期間では如何とも変えようがなかったのだ◆それでも苦心して第7回の企画が組みあがり、今回も盛りだくさんの主催イベントを挙行することになった。一時はもう今回は諦めようかとも思っただけに、第7回がカタチになったことは嬉しかった。でも、今後のことを考えると決して安閑としている場合ではない。何よりもまだイベントとして集客力が足りない。古本というアイテムは自分たちのテンションでは面白いと思うのだけれど、一般の人たちにとってはまだ酔狂なものとしか思えないということなのだろう。路上観察に至ってはさらに変人の遊びだし、フリーペーパーにしたって好きな人は好きというまでだ。どの企画もあまり他所ではやっていないレアものだけに、一般受けしない。そう考えてみるとこのイベントのコンセプトはどこかの店に似てはいないか?◆今まではこの古本市というイベントを続けることに精力を注いできたが、これからはこのイベントが街に及ぼす影響を図りつつ企画していく段階になるだろう。それには自分たちのような現場を抱えて街で生きる者だけでなく、イベントに主体的に関わることで楽しむ人たちにも、すべてに関わることはできないが部分的になら関われる人たちにも参加してもらいたい。今も世代は幅広いけれど、主体になる世代の年齢を下げていく必要もある。還暦間近の感覚とロスジェネ世代の感覚は違うし、さらにデジタルネイティブ世代との差になると、同じテーブルを囲んで企画を考えていても同床異夢だったりする。世代間ギャップの一番の問題は、権限を持つ上の世代が変化に対応できないことに端を発することが多い。醜い例はメディアを通じてたくさん見ているのだから、せめて自分のイベントではその愚を犯さないようにしたいと思っている。
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by organic-cambio
| 2016-04-28 13:46
| 店主の雑言
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いよいよ今週末から第7回岡谷まち歩き古本市が開幕。今回も張り切っていろいろ企画しました。無声映画上映会や路上観察、フリーペーパー博覧会など、岡谷のまちではすこし説明を要するイベントばかり。古本市だってどんなイベントなのか説明を繰り返してきたが、変幻自在なイベントなのでこれからはもっとわからなくなっていくことでしょう。御柱祭が強敵でバッティングしても勝ち目がないことがわかっていたので、今回は日程を前にずらしました。上社里曳きの2日前までという絶妙な日程。それでもやはり御柱の影響でしょうか、主催イベントのチケットの動きはいつもより悪く、事務局の八百屋は毎日やきもきしています。このままでは胃に穴ぼこが開くか、頭の毛が全部抜けちゃうか、それともラリパッパになって踊りだすか、という厳しい状況。ぜひともお出かけくださいませ。チケットをお求めくださいませ。みなさま、お願いだ~!◆今回も路上観察というイベントを理解していただくのに苦労しました。いまだに「何それ?」という方が90%を占めるであろう路上観察とは、街を歩きながら建物や造作、看板などで、本来の用をなしていなかったり、意味不明のものになってしまったり、過去の存在だけが窺い知れる痕などを探して写真に収め、みんなで名前を付けたり推理して楽しむ、ということ。「それで何が面白いの?」と思うでしょ? その通り、なんで面白いんでしょうね。でも、やってみると面白いんですよ。あれっ、こんなところになんでこんなものが? なんでどこの家もやたらと樋を長くのばして下水に流していたりするんだろう? というふだん街を歩いている時には気が付かない風景が、見えてくるんですよ。それはいつもなら目的がある行き先をめがけて歩いているからで、街の中を探索するために無目的に歩いてみると、普段見えなかったものが見えてきたりするワケです。それを一人一人が違う目で見て写真に撮ってくるから、いろいろな発見につながるんです。まずは一回やってみるとよろしか、と◆そういうオカシな趣味はないという方には無声映画をおすすめします。今回はキートンとチャプリンだからわかりやすいですね。弁士が情をこめてアツくセリフを語りますので、思わず引き込まれます。前回は新垣隆さんというビッグネームのピアノ生伴奏がありましたが、今回は湯浅ジョウイチさんのギター1本。ギターだけでここまでいろいろな音色が出せるのか、と驚くことでしょう。今回はチケット発売時に座席を指定しますので、当日早く会場に来なくても良い席が取れます。良い席をご希望の方はお早めにチケットをお求め下さい◆そして、昨年春に続いて八百屋店主が熱を入れたのが「フリーペーパー博覧会」。前回もかなりの冊数が集まりましたが、今回は全国各地から様々な種類のフリペが届きました。これはひとえに私と一緒にフリペ博を担当してもらったYさんのおかげ。東京のフリペ専門店まで出かけて資料を集めたり、ネットであちこちの面白そうなフリペを見つけてアプローチしてくれたおかげで、なんと全国から50誌も集まりました。それぞれがバックナンバーも付けてくれたので、その数200種4000冊以上。これはちょっと他にはない面白い会場になりますよ。入場無料で、自由にお持ち帰りができます。ただし、こちらからお願いして送ってもらったので、送料をこちらで負担しました。それぞれが千円ほどの送料で送られてきますので・・・その額をご想像ください。会場に賽銭箱を用意しますので、どうか内容に応じて投げ銭カンパをお願いいたします。また、Yさんのお店ファッションスペース「Lin」には、松本のブックカフェ「栞日」さんのリトルプレスコーナーが出店。フリーペーパーの有料版ともいえるリトルプレスやZINEがたくさん並びます。センスあふれるセレクションの店に、やはりセンスの良いZINEという良い組み合わせの会場になりそうです。お出かけ下さい。
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by organic-cambio
| 2016-04-19 15:52
| 店主の雑言
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御柱祭は山出しが終わって中休み。地元が担当する山出しの日は、店の営業にある程度影響があるだろうと踏んでいたが、予想通りに暇な日々だった。とくに今回は店のある地域が担当した御柱の曳行が遅れに遅れて、終了が夜の9時半になってしまった。朝の7時半から曳き始めて14時間も曳き続けたのだから、翌日の日曜日はみんなくたびれ果てて寝込んでいたに違いない。皆さんお疲れさま。2日間とも街がひっそりとして、特に午前中はゴーストタウンのようだった◆ビーナスライン沿いにある珈琲店も上社山出しの日々は辛かったそうだ。「あまりに人が来ないので、開店したばかりのころを思い出して不安になってしまいました」という気持ちは良くわかる。自分も開店当初はそんな不安になることがあって、何度も空を見上げてはため息をつく日々を送ったし。「自分で好きな仕事を始めたんだから、他人に指図されて動くよりは、多少不安なことはあっても楽ですけどね」という気持ちも、同じだ。彼はさらに「最近はこんな小商いを始める人が増えているような気がするんですよ」と言う。それは自分たちが店を持って、同じような境遇の人と付き合うことが多くなったからそう思えるのだろうと自分では思っていたが、20歳以上も若い彼らの目からもそう思えるということは、実際に増えているのかもしれない◆今回の古本市でバックナンバーを出品してくれる「spectator」という雑誌が、3年前に「小商いのすすめ」という特集を組んでいた。小商いとは、大きな資本ではなく自分の身の丈に合った規模の商売、大量生産大量消費ではなく生産者の意図を消費者に伝えられるような商売。その前後から小商いをタイトルにした新刊が相次いで出ていたので、ちょっとしたトレンドだったのかもしれない。でも、なんでこの時代に小商いなのだろう◆この10年あまりで雇用の形が変わり、正社員で働くより有期雇用で非正規と呼ばれる形で働く人が増えた。それは不安定な雇用としてネガティブにとられることが多いけれど、人によっては正社員で責任を負わされて会社のために働かされるより、収入やスキルの構築には不利でも、自分を壊されないようにあえて非正規で働くという人も作りだした。そして得意なことや好きな仕事を見つけて、自分の小商いを始める。平日は雇われて働き週末は小商いをしたり、冬はスキー場でスキーを教え、夏は小商いでイベントに出店したり、けっこう自由自在に仕事を組み合わせている。そうせざるを得ないという見方をするか、それを自由な生き方とするかは見方の違い。お金中心の生き方をするか、自分のスタイルを崩さずに生きるか、という選択の違いなのだろう◆そもそも小商いを含む自営業というスタイルに安定などはありえないし、安定した給与とは忍従の対価でもある。会社でみんなと一緒に働いて共同体のように自己抑制ができる人と、自分の意志を他人に合わせることが不得手で自分のスタイルを貫く人の違いが、働き方や生き方にはっきりと表せるようになってきたということなのだ。非正規という呼び方を使うのをやめて、もっと自由な生き方として認める呼び方があっても良い。ただし、多大なリスクを負うことは覚悟しなければならないが◆われらが店はもうすぐ24周年を迎えるけれど、いまだに小商いの領域にある。身の丈にしか大きくないし、自分の売りたいものしか売らないし、きちんと生産者の意志を伝えることに徹している。自分たちの時代のトレンドは小商いではなく、まだまだ大きく成長を目指す時代だった。ところが、あまりに自分の売りたいものと生産者の意志を伝えることに徹したために、四半世紀経ってもまだ小商いにとどまってしまった。本意を貫いたために不本意な結果に甘んじたわけだが、その過程はすべて自分の選択で進んできたことなのだから悔いはない。山が見える信州の田舎で暮らすという生活上の大命題も成就したのだから。いつになってもビンボーだけど。
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by organic-cambio
| 2016-04-12 15:49
| 店主の雑言
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2日(土)から御柱祭が始まって、人の動きがいつもと変わった。今週は上社の山出しだから岡谷は関係ないだろうと思っていたが、やっぱりみんな気になるのだろうな。きっと生中継をしているケーブルテレビの前に釘づけなんだろうな。来週の下社山出しの日々もCAMBIOはいつも通りに営業してますよ◆上社山出しが始まる前日の1日(金)に八ヶ岳周辺を配達と集荷で回ると、お客さんは誰もが御柱には興味を示していなかったが、地元出身の生産者は家にいないか、いても地に足が付いていなかった。お客さんは移住者ばかりだから、マイペースで暮らしたい人が多い。生産者は移住者であっても地元の付き合いが欠かせないから興味を示す、という構造のようだ。地元に生まれて今も地元で暮らす人たちには御柱DNAが埋め込まれているので、この日に向けて着々と準備を進めている。この時代にあってもたくさんの人が一致団結してひとつの柱を曳くというのは、見事なまでの地縁というものだと恐れ入ってしまう◆生まれ育った東京のはずれで28年、所沢を経て青梅で6年、岡谷で店の上に2年、そして今の地で22年。思えば私は点々と引越しを繰り返してきたので、地縁と呼べるものがない。いま住んでいる地域での役がそろそろ回ってきそうだが、数週間前に書いたような移住者としてのジレンマを抱えたままで、まだその地域に帰属感を感じるほどの地縁が育っていない。そもそも東京というところは下町を除けば移住者ばかりの土地柄だから、地縁というものがほとんどないに等しい。子供のころに原っぱだった空き地にどんどん家やアパートが建ち、長く住んでいる人だって数十年、アパートの住人は数年で入れ替わる。昔から住んでいた農家だけは住いと庭の広さが一ケタ違い、あとから家を建てて住んだ人は猫の額のような土地に、ウサギ小屋と外国人から揶揄されるような粗末な家ばかり。学校に行っていると自動的に地域性を帯びてくるけれど、高校生になってその地域性も外れると、地域性よりも匿名性が優先されるようになる。その年頃にはそれが結構また快適でもあったので、その後に点々とした先でもついぞ地域とかかわることはなかった◆その後も両親が東京に住んでいれば、自分にとっての故郷として帰る場所になったかもしれないが、何を思ったか、孫と一緒に暮らしたかったか、信州にやってきてしまった。だから、私にとって東京という場所は、帰るべきところのないかつて暮らした土地という位置づけでしかない。生まれたところを故郷というのならそう呼ぶことは吝かではないが、あまり気持ちがこもった呼び方にはならない。小学校や中学校の友達はいまだに地元に住んでいる人もいるが、地元に残っているもの同士での付き合いが強い分、離れてから長い時間が経つと会いに行きにくくなる。だから、転居して30年になるが、かつて子供時代に遊んだ街を尋ねることは一度もなかった。ときどき夢の中で思い出のある場所を訪ねることはあるけれど◆子供のころの出来事は、胸の中に描かれた刺青のようなものだと思う。楽しいことも多いけれど、記憶から消してしまいたいようなことに限って、決して忘れることなく胸の奥に刻まれてしまう。その刺青の絵は土地にも描かれているようで、忘れてしまいたい恥ずかしいこと悔しいことをたくさん残してきた私は、生まれ育った土地に敢えて足が向かないのかもしれない。でも、子どもであればそんなことをしでかすのが当たり前のことだから、地域の中でずっと生きていれば消化されてしまうのだろう。御柱を引く人たちの中にも、きっとそんな過去の喜怒哀楽が刻まれているはずだ。切っても切れない地縁と血縁。地元で生き続けるということは、その呪縛とうまく折り合いをつけるということでもある。それに比べれば、私が折り合いをつけようとした移住者と地元の関係などずいぶん小さなことではないか。そう思いながら木落しの映像を見ると、御柱祭で年齢や立場を乗り越えてひとつの柱を曳く人たちの姿が、今までとは違ってまばゆく見えてくるのだった。
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by organic-cambio
| 2016-04-05 15:08
| 店主の雑言
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