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無休営業から月曜定休になってもうすぐ一年が経ちます。定休日で不便になった方もおいでのことと存じます。朝起きたら毎日必ず店に行く生活から週一日は全く店から離れるようになり、毎日営業しながら週二日は半日の休みがあった生活から、六日間のフル営業で丸一日の休みが取れる生活に。同時に頑張ってくれたスタッフにお暇を出し、夫婦だけで営業する開店当初のスタイルに戻りました。
大きな変化を伴う節目が近づいていることは数年前から感じていました。そのきっかけをつかめずに先送りしていましたが、昨年はようやく古い衣を脱ぎ捨てることに。先週書いた開店時に思っていたことは「向こう河岸を見ないで川を跳ぶ」でしたが、狭かった店から現在の広い店に移転した12年前のイメージは「脱皮できない蛇は死ぬ」でした。そして今回は「変化できない生物は生き残れない」。 地球上には数多の生き物が存在しますが、いま現在で絶滅の危機に瀕している生き物もいます。地球環境は長い時間で見れば刻々と変化し続けてきて、すでに多くの生き物が姿を消している。いま存在する生き物たちは変化に対応できたものだけが生き残っているということ。気温や植生の変化に対応できなかった生き物はこれからも消滅していきます。それは自分たち商売の世界でも同じなのです。 岡谷にやって来て店を開いた25年前と今とでは、商売の環境も、オーガニックを取り巻く環境も大きく変わっています。できる部分はその都度変えてきましたが、大きな根本的な部分は変えずにきました。そうして変化に対応してきた「つもり」だったのですが、対応できたのは自分で認識できた部分だけ。あれっと気が付くと状況はもっと大きく変化している。認識できていない部分が多いのです。 認識できないのは変化していることに理解が及ばないから。理解が及ばないのは自分が理解できる世界だけしか見ていないから。理解が及ばない世界が増えているのは自分がジジイ化しているから。そう気づいた以上は何とか状況を変えなくてはならない。そのためには自分に負荷をかけて内面から変えなくてはならない。内面が変わらない限り、外から受ける変化への認識が変わるはずがないから。 この歳になって自分の内面を変えるというのは容易なことではありません。でも、それを可能にするほどの強烈な負荷がかかる状況が訪れたおかげで、自分が知らなかった領域にまでかなり認識が及ぶようになってきました。その過程はきつい日々でしたが、少し違うものが見えるようになってきました。そうなるまで一年を費やしまたひとつ齢を重ねましたが、少し世界の見え方が変った気がします。 ![]() ■
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by organic-cambio
| 2017-09-26 16:12
| 店主の雑言
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先週は地元高校生や大学生と一緒に話をする機会があり、いたく刺激を受けました。地元出身ではないので地域に先輩も後輩もおらず、組織に所属することを頑なに避けてきたので、年齢差のある人たちと話をする機会はほとんどありません。最近になって、春市/秋市の企画を通してかなり年齢差に幅のある人たちと一緒にテーブルを囲むようになり、歳の差の刺激を楽しめるようになってきました。
あるていど歳を取った人間は、ワカモノの話を聞くと自分の経験を投影してアドバイスをしたがります。それは大変聞き苦しいので、彼らの話を聞くだけにしようと心に誓ったのにもかかわらず、やはりしゃしゃり出て演説をしたのでした。そのきっかけは、彼らの話を聞いて迷うことなく突っ走るべきだと思ったから。まさしくかつての自分を投影して、突っ走れ!と演説をしていたのでありました。 何ごとも新たに始めようとするときは不安が伴います。でも、その不安を上回る期待を持つことができるのは、若さの特権なのです。考えこんだらできないことでも、始めてしまえばやるっきゃない。川を跳び越すのに向こう側の着地点が見えていなくても、まずは跳んでしまうのだ。ぬかるんでいたって石がゴロゴロしてたって、若くて関節が+-柔軟で足腰の筋力があれば、なんとかなるものなのだ。 向こう河岸を見ずに川を跳び越すのは、私が縁も所縁もない岡谷の街に移住して店を始めたようと決めたときに、いつも抱いていたイメージでした。何のことはないさ、言葉が違うわけでもないし、通貨が違うわけでもない。みんな同じように野菜を買って暮らしているんだから、どこの街だって商売はできる。向こう河岸のことをあれこれ知ってしまうと臆病者は跳べなくなる。いまだ、跳べ!と。 それから四半世紀経って、やはり跳んでよかったと思うのです。楽なことばかりではなかったけれど、知らない街で手探りをしながら店を続けるのは大変だったけれど、それを上回る楽しさや発見があった。この歳になって思うのは、何よりも若くなければ跳べなかった。できるかどうか考えていたら、きっとできなかった。まずは跳んでからどうしたら続けることができるか考えてきたから、今がある。 だから彼らに言いたかったのです。まずは始めよう、と。お金や時間を理由にしていると、いつまでたってもコトは進まない。モノゴトは始めなければ進まない。変に講釈したがるジジイは時々いるけれど、授業だと思って聞いていればいい。間違っていないと確証を持ったなら、何でもやってみようよ。ワカモノたちが始めたことを大人は無碍に見捨てたりはしない。少なくともオレはそうしない。 ![]() ■
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by organic-cambio
| 2017-09-19 15:47
| 店主の雑言
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今週書く内容を前々から決めていたのですが、愛犬の死に伴う感情の昂ぶりですべてすっ飛んでしまいました。そこで、愛犬「みかん」のことをここに書いて、一気にウェットな気分を吹き飛ばして日常のおつむに回帰したいと思います。たかが犬と思われるかもしれませんが、15年近くも一緒に暮らすと感情が通い合います。毎朝一緒に散歩する相手でもありましたので、喪失感は大変深いのです。
「みかん」は土曜日の夕方、長女に看取られて静かに息を引き取りました。数日前から食事を食べなくなり、徘徊が始まっていたのでそろそろであることは分かっていました。誰もが不在になる平日ではなく、誰かがついていてやれる土曜日だったのは不幸中の幸いでしょう。見事な老衰でしたから天命を全うさせたと家族は納得しています。日曜の朝には庭の一角に墓をこしらえて土に還しました。 「みかん」は推定2歳で我が家にもらわれてきたので、17歳ぐらいでした。柴犬の雌。長い付き合いの農家に居ついてしまった迷い犬でしたが、どこかで飼われていて放棄されたか、自分で逃げて自立の道を選んだかと思われます。傘などの長いもので叩かれたことがあったようで、いくつになっても傘を持って近づくと怖がりました。あまり愛されたと言えない生い立ちだったと想像しています。 「みかん」も飼い主も若かったころは、毎週休みの日になると裏の奥深い里山に行き、自由に走り回らせました。柴犬は野山が大好きです。山道を登っていく飼い主を尻目に斜面を駆け上がり、しばらくすると尾根の上から駆け下りてきては沢の水を飲んでまた飼い主の後ろに戻ってくる、という山歩きを楽しんでいました。長生きできたのもそんな運動能力を精一杯使って遊んだおかげだと思います。 飼い主とよく似て「みかん」はドジな犬でもありました。里山でマムシに顔を咬まれるという事件もありました。ずっと後ろを歩いていた「みかん」が追い付いてきて、しきりに顔を前足でこするのでよく見ると、目の下に鋭い歯が刺さった痕がふたつ並んでいました。現場は見ていませんが、蛇を見つけると咥えて振り回すので、シマヘビと違ってマムシは反撃して顔に咬みついたと断定しました。 歩かせると毒が回ると思った飼い主は「みかん」を担いで山道を下り、畑にいた近所のおじさんに「なぜ犬を担いで走ってる?」と怪訝な顔をさせて家まで走りました。血清を打ったものの翌日には顔がバレーボールのように腫れあがり、見るも気の毒でした。その傷は死ぬまで顔に残ってました。カモを追いかけて池にハマり、岸が崖になって上がれず哀れな鳴き声で助けを求めたこともありました。 「みかん」が長生きできた要因の一つは、「みかん」の暮らしを人間と同化させなかったことだと思います。人間に快適な環境は犬にとっても快適なはずですが、犬の生理は人間とは違うので別にするようにしていました。家に入りたそうにしても絶対に入れてやらなかった。ヒトはウチ、イヌはソトを貫きました。晩年は家の周りがシカの王国になってしまったので、夜だけは玄関で寝ていましたが。 今年に入ってからはもう歳のせいで歯が抜け、耳が聞こえず、左の後ろ足は足首が曲がらず、一周10分で歩いていた朝の散歩も30分以上かかるようになり、今度の冬を乗り切るのは難しいだろうと感じていました。それでも最後となった散歩で大好きな柿を草むらから匂いを嗅ぎ分けて食べ、形の良いウンチをし、干からびたミミズを食べようとして叱られるというようにいつも通りに歩きました。 最後の日は明け方から珍しく大声を何度も上げたので、いよいよだなとこちらも覚悟を決めることができました。午後には立てなくなり、体の向きを変えてやると大きな息をして最後に尻尾をひと振りして逝ったそうです。長女が甲斐甲斐しく付き添ってくれたのがうれしく思いました。やはり命に関して女性は強いと再認識した次第。私はひそかに自分が店にいる時間でよかったと思っています。涙 ![]() ■
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by organic-cambio
| 2017-09-13 16:07
| 店主の雑言
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先週の8月トレッキングは、地元霧ヶ峰の八島湿原をビジターセンターのガイドさんと一緒に巡るという企画。岡谷や諏訪に住んでいれば家から30分ほどで着いてしまう裏山のようなところに、数千年かけてできた自然の造形と色とりどりの花が咲き乱れる楽園のような湿原がある。これはすごいことなんだと気づいていただくイベント。天気にも恵まれ、素晴らしい時間を過ごすことができました。
今回の趣旨はもうひとつあって、ふだんから家の仕事と子供たちの世話に明け暮れているお母さんたちに、子どもたちが学校や保育園に行っている間にひと息抜いてもらうことだったのですが、参加者のなんと半分がおじさんでした。やっぱり家を空けるのは難しいのかなぁ。でも、お連れ合いからぜひ行って来いとお墨付きをもらって参加した方もあって、意図は間違っていなかったと思うのです。 いつもご案内しながら花のことや生き物のことなど拙い説明をしてますが、自分がガイドされる立場になってみると、説明の内容次第でほんとに見える世界が変わるものだ、と実感しました。私のいい加減な説明を聞かされた今までの参加者の方には、ホントに申し訳ないと恥ずかしくなります。もっと勉強してからご案内しなくてはなりませんね。というところで、来月はどこへまいりましょうか。 八島湿原を歩きながら一部の参加者の方には「次回はロープウェイで西駒のピークに立つ」などと申しましたが翻します。諏訪湖周辺の流域の山を歩いて、山と暮らしを見つめるというテーマを忘れてはいけません。自分の欲で行先を決めてはいけません。ここは地元で最も生活にかかわる山に登り、てっぺんからオラホの街を見下ろすことにしよう、ということで地元の鉢伏山に登ることにしました。 地元の山といっても標高は2000m近く、360°ぐるりと信州の山ほとんどを見渡すことができる眺望の素晴らしい山。岡谷市の最高地点でもあり、一帯は水源地ですから文字通りに岡谷市民にとっては暮らしと結びついた山。昨年は同じ9月のトレッキングで目指しましたが、大雨に降られて高ボッチ周辺のお花畑を歩いてお昼を食べただけで終わりました。今年も懲りずに行ってみましょう。 ![]() ■
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by organic-cambio
| 2017-09-05 16:45
| 店主の雑言
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秋市の打ち合わせが始まり、暑いさなかに汗をかきかき口から泡を飛ばして話し合いをしています。なんか表現が汚いな。泡が飛ぶほどの話ができるのは嬉しいこと。それだけの熱意がこのイベントに寄せられているという表れなのですから。今回から公立館の担当者や館長も参加して下さるようになり、一層多様性が濃くなってきましたが、今後はその多様性を生かす運営が問われるようになります。
春市・秋市と名を変える前の古本市時代から、内部からも外部からも「何を目指しているのかわからない」と言われ続けてきたイベントです。何を目指しているかをはっきりさせないのはいくつかの理由があって、そのひとつが多様性をうまく保つためでした。岡谷市内に位置する独立した事業所・施設という参加の要件は、多様な業態や職種を内包することになります。なるべく排除はしたくない。 色々な形の積み木を回りから力ずくで抑えようとしても、すぐにバラけてしまいます。枠を作ってその中に入ることで形を作るより、台を作ってみんなで片手を出して支えるほうがうまくイベントの形を作れる。枠は敷居を作るけれど、手を出して支えることは出入りも力の入れ方も自由。私は毎回企画を進めるたびに、潰れやすいカエルの卵を手ですくって池から池に移す作業をイメージしました。 最近は世代差も多様性のひとつとして認識するようになりました。親子に等しい年齢差も立派な多様性です。それぞれが違うことを認めなくては同じテーブルを囲むのは難しい。多様性をただの違いとするのではなく、よい方向に持って行きたい。差をギャップとして厭うのではなく、新たな流れを作るエネルギーとして利用できないか。みんなが同じではないからこそ作れるものがあるはずなのです。 ![]() ■
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by organic-cambio
| 2017-09-02 08:23
| 店主の雑言
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今年も夏休みをいただき旅に出ることができました。たった4日間ですが、日常を離れて知らない土地を歩き、その土地のものを食べて歴史を知る時間を過ごすことができました。エネルギーが少し溜まり、次の休みとなる正月まで頑張ることができそうです。行先も決めずに子どもたちと出かけていたころに比べると、ずいぶん楽な旅になりました。その日の寝床は確保してから出かけるのですから。
3年前に東北の被災地に出かけたときは、まだテントで寝泊まりをしながら旅をしていました。キャンプ場におおよその目星をつけておいて、行って気に入ればテントを張ってその周りの街に繰り出す。気に入らなければ次の候補地に向かう。天気が良ければ条件を満たすまで彷徨うのもまたひとつの旅になるのですが、雨が酷いとちょっと悲惨になってしまいます。東北では延々と雨に降られました。 今年は三重の松阪から志摩半島、伊勢を走り回ってきました。松阪では本居宣長の遺徳を知り、松阪牛の値段に跳ね返されました。志摩半島では穏やかな海を眺め、海辺の村の路地を歩き回り、昭和の民宿で一夜を過ごしました。夏はやはり海辺に惹かれます。波の音や磯の香りはもちろんですが、信州とは違う木々や草花の種類、家の造りや街並みなど海辺の暮しの様子を見ることが旅の楽しみです。 伊勢には河崎という古い街並みがあり、大阪や江戸から舟で運ばれてきた物資を商っていた立派な家が並んでいます。大きな商家の普請は財産を守る意味合いもあるので立派なので、今の時代になっても十分に威容を保っています。ところが屋敷の塀越しに見える隣の家はもう朽ち果てそうに傷んでいる。そんな朽ち果てそうな建物にも刻まれてきた風情というものがあって、目を奪われるのでした。 伊勢といえば神宮です。天皇家の祖先を祀るだけに格式の高い神社。たくさんの人がお参りに来ていましたが、最近は若い人に神社や神道に対する意識の変化があることを感じます。鳥居をくぐるときは必ず一礼をし、本殿に参るときの作法もよく身についています。神社や天皇という存在にネガティブな感情を抱いて育った私たちの世代とは、確実に向きあい方が変ってきたことを感じるのでした。 ![]() ■
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by organic-cambio
| 2017-09-02 08:18
| 店主の雑言
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