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あるイベントで似顔絵を描いてもらいました。夫婦そろって一枚に収まるのも良かったのですが、別々に一枚ずつ。カミさんに拒否されたということもありますが、今はSNSのプロフィールという用途があるので個別の方がよかったのです。写真はその瞬間を切り取るので、内面の動きが微妙に顔の筋肉を動かして思ってもみない顔になったりしますね。だから似顔絵の方が面白いと思ったわけで。
描き手はいろいろな話をしながら描いていきます。雑談をしているようできっちり過去のプロフィールを探っていて、その瞬間ではない積み重なった内面からにじみ出る表情を描こうとしているようでした。そして出来上がった作品は、自分で想像していなかったような表情をしていて、それでいて実に上手く特徴をとらえていて、写真より怖いかも・・・と思ったのでした。どう思います?みなさん。
以前、娘が似顔絵を描いてもらったとき、サインペンのシンプルな線だけなのにうまく雰囲気をとらえていて、似顔絵は顔の特徴だけじゃないんだなと思ったのです。カミさんは「私の特徴は歯なのね」と不満そうでしたが、どうしてどうして、やっぱりよく雰囲気をとらえてますよ。本人が描いてほしかった自分とは違うとビミョーな反応を示すものですが、それは自己肯定感とも関係があるのかな。
そのカミさんは春から髪を染めるのをやめました。どうしても白くなってしまうものをいくら染めたってきりがない。白くなったことを受け入れて、その歳なりの風貌を生かす方がポジティブでよいとワタシも思います。染めた髪の根本が白くなっているより、いっそのこと全部白い方がその人の覚悟が見えるようで好きです。人間は歳とともに変わっていくのですから、髪は白くて当たり前なんです。
かく言うワタシは似顔絵を描いてもらった晩に、新しいバリカンを買って短い坊主頭に自分で刈り込みました。もう坊主頭になって8年目ですが、実に快適です。ちょっと短くし過ぎてムショ帰り風になりましたが、髪が白かろうが黒かろうがカンケーないし、顔の何もかも隠しようがない。もとから内面が顔に出やすい人間だけに、顔を見れば何を考えているかもバレバレ。それがまた気持ちいい。
昔から言うように、40過ぎたら顔には責任を持たなくてはならないんです。還暦になったらもう隠しようがないんだから、コソコソするよりぜ~んぶ出しちゃった方がさっぱりする。そんな顔になったのも、そんな表情をするのもぜ~んぶ自分のせい。顔は口ほどにモノを言うというけれど、黙ってたってにじみ出ちゃうんだからもう仕方がない。似顔絵の目じりの皴なんてこんなに深かったっけ? #
by organic-cambio
| 2018-08-28 15:20
| 店主の雑言
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今年も夏の休みをいただき、ふらふらと出かけてきました。今年は新盆だったので仏さんをお迎えする、なんて殊勝なことは留守番の娘にお任せして、休みとともにスタコラと逃げるように家を出たのでありました。今回は休みの最終日に千葉で法事という制約があったので、あまり遠くには行かずに北関東をうろうろと。身近なのに行ったことがない街をめぐって、地図の空白部分を埋めるような旅。
宇都宮では大谷石をテーマにめぐり、水戸までの道中で益子と笠間という陶芸の街を訪ね、銚子で魚を食して佐原で古い街並みと伊能忠敬を知るという経路。東京の北部で育った身には、言葉も文化も馴染みがあってエキゾチシズムを感じられないので、法事という制約がなければ自分の意志ではおそらく選ばないであろうルート。それでも知らない街には何かしらの発見があって、それなりに楽しく。
店という仕事はタコ壺のようなスペースで毎日同じことを繰り返すので、休みの日に出かけておツムを刺激しないと長続きしません。長く休める盆と正月はもう一つのタコ壺である家からも離れて、全くの非日常でおツムの襞に空気を吹き込みます。今回は関東という勝手知った土地柄で刺激が足りないような気もしますが、その分、社会的な刺激をいくつか受けて脳みそが少しだけ汗をかきました。
水戸のホテルは駅前にあり、夕食は駅ビル内のレストラン街に出かけました。本来なら繁華街に出るのですが、夏風邪で体調が悪かったので日和ったのです。定食をオーダーし出てきたご飯をひと口食べると、ぼんやりしていたおツムに警告が灯りました。これはお金を出して食べるものではない。まるで粒になっていない炊き損じの飯。クレームで交換したものがさらに酷い、残りご飯を温めたもの。
クレームを受けた若いスタッフの態度も不愉快でした。おツムは沸騰寸前でしたが、何とか思いとどまりました。こうやってキレるジジイが増えているらしい。その一人を旅先で演じることもない。ここでキレたら自分の不愉快を増幅させるだけで、ネガティブな感情がクリアされることはないだろう。客としてクレームをつけるのは、高飛車で嫌な物言いになりかねないし。落ち着くまで6秒待つのだ。
翌日はお寺に近い成田のホテル。窓の外ではムクドリも街路樹に宿をとっているようで、大変賑やかでした。ムクドリが寝静まったころ、同じフロアにあるランドリーで喧嘩が始まりました。60代と50代のジジイ同士。乾燥機に入っているものを早く出せの、言い方が気に入らねえの、とつまらない発端でアドレナリンの噴水状態。どちらもお盆に仕事でフラストレーションがたまってるのかな。
信州のタコ壺ジジイは、1時間に及ぶバトルを展開する同世代に敬服しながら、そのネガティブエネルギーの源泉について思いを及ばすのでした。会社勤めなら上下関係で、自営業なら元請けや受注先とで微妙な人間関係の圧力を受けているのだろうか。本来ならベテランとして尊ばれる職歴が、構造の変化で不要なスキルになりつつあるのだろうか。同世代がキレ易くなっていることは気になります。
その点、タコ壺で自問自答し結果に七転八倒している絶滅危惧種と囁かれる店の主は、まだ気楽です。圧力を受ける人間関係もカミさん以外にないし、いつだって崖っぷちを歩いているから構造変化への対応は身についているし、キレたってブーメランのように自虐に終わるのは見えている。タコ壺から出て街の中を歩いたおかげで、おツムの襞に溜っていた垢が少しだけ落ちたように思えるのでした。 #
by organic-cambio
| 2018-08-21 16:18
| 店主の雑言
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仙丈ケ岳へのトレッキングは台風一過の晴天に恵まれ、全員でピークに立つことができました。富士山から北アルプスまで、周辺の山すべてを見渡すことができる絶好のコンディション。おまけに台風の影響で入山者が少なく、トップシーズンとは思えない静かな山を楽しめました。その一方で、いくつか判断ミスを犯し、参加した方に苦痛を強いてしまったり、いい加減さに呆れられるという場面も。
今回は女性の参加が多く、どなたも経験的に浅いため、体力的な不安をお持ちでした。そのため、途中のピーク小仙丈ヶ岳で女性は下るオプションを用意していたのですが、その判断を見送ったために最終的にバスに乗り遅れるという事態を招いてしまった。体力に応じた判断をすべきだったのに、せっかくだから登らせてあげようという楽観的な判断をしてしまった。これは大変危険なこと。反省。
もう一つは、自分で設定した出発の集合時間を間違えるという完全な過ち。最終バスの時間に合わせて設定しておいたため、バスに乗り遅れたらトレッキング自体が中止に追い込まれる瀬戸際でした。しかも夕食時に指摘されるまで、全く気付かないノーテンキ加減。なぜこんなにいい加減なのかと呆れるばかり。自分で決めたことだけに確認を怠ってしまった。勝手に思い込んでしまう悪い癖。反省。
仙丈ケ岳へ行く前の週は、東京から来たカミさんの高校時代の友人と上高地を歩いていました。陶芸家であり幼稚園の先生でもあり、暇さえあればあちこちに出かけている気ままな人。カミさんも結構すっとぼけて変わった人ですが、高校時代のお友達もお決まりの物差しでは測れない変った人が多い。その高校は帰国子女のための学校で、国外で中学校に相当する学校に通って帰国した人ばかりの学校。
その高校生たちが修学旅行に出かけると、集合時間には集まらないし、勝手にどこかに行ってしまうし、大変なのだそうです。なんでだろう?と本人たちが首を傾げる脇で、暗い中学時代を過ごしたワタシはすぐにピンときた。日本の中学校に通っていなかったからだろう、と。日本の中学校とは50年近く前でさえ管理が厳しく、友人関係では同調圧力が強く、自我の抑制が求められる世界でした。
あえて否定的に表現すると、形が違う砂利をローラーにかけて角を丸め、四角いお弁当箱に詰め込むような場所。知能も体格も発達状況はまるで違うのに、全員が同じ課題で評価される。落ちこぼれた恨み辛みが含まれているけれど、それぞれの違いを平均値からどれだけ外れているかで評価するシステム。国外の学校がどうなのかはカミさんのケースを除いて知らないけれど、そうではないらしい。
そんなお弁当箱のご飯のように詰め込まれることなく育った人たちは、自分の意志を優先するのでしょう。勝手気ままと揶揄されたって、周りの空気より自分の意志が大事。帰国子女ではないけれどそんな性格だったワタシも、画一民族製造装置のような中学校で拗ねものになってしまい、学校の基準に合わせようとは全く思わなくなってしまった。だから勝手気ままな人たちの方が付き合いやすい。
中学1年から3年間、中東の国に暮らしたカミさんがよく言うのは、人間はどんなところだって生きていけるということ。濁った水しかない場所でも、電気も電話もネットもない場所でも、みんなその場の環境に適応して毎日の暮らしを営んでいる。それを思えばどうしようもなく勝手気ままなアンタと一緒にだって暮らせるわよと、はっきり言葉にはしないけれど暗に批難をぶつけてくるのです。 #
by organic-cambio
| 2018-08-07 16:09
| 店主の雑言
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今年の夏はテント泊のトレッキングを企画したので、山道具を総動員する必要があり、納戸に眠っている有象無象を引っ張り出しては点検や虫干しをしました。登山靴も2足を日に当て、今回はひさびさに履いてやるかと少し歩いてみたものの、まるで足かせを付けられたようなあまりの重さに耐えかねて断念したのでした。最近は軽いトレッキングシューズばかり穿いていたので、足が萎えたのです。
今回は革の登山靴を履いてみようかと思ったのは、ひとえに足首に不安を感じているからでした。トレッキングシューズは足首を守れるほどシェルに剛性がないので、山を歩くと毎回グキッと足首をひねることがあります。普通の人なら耐えられる角度でも、ワタシの足首は耐えきれずにグキッと挫いてしまう。さんざん捻挫を繰り返したので、靭帯の強度がもう普通の人の半分ぐらいしかないのです。
トレッキングの主催者としては、自分が足を痛めて歩けなくなるようなことは絶対にあってはならない。そのためには足首をしっかりホールドできる靴が必要だと思ったのですが、もう脚力が落ちてしまって昔の靴は履けない。もったいないなぁと思いつつ、現実を受け入れて対処することにしました。新しい登山靴を買ったのです。まずいなぁ、これでまたどんどん山に行きたくなってしまいそうだよ。
足首を痛めたきっかけは沢登りの帰り道でした。地下足袋にわらじを履いて冷たい水を浴びながら数々の滝を登り、沢を登りつめて稜線に出ます。わらじはその場に捨て、地下足袋を運動靴に履き替えて尾根道を走って下ります。すると、粗忽者は木の根や石を踏んで足首をひねる。何度も軽い挫きを繰り返しているうちに本格的に捻挫する。何とか下まで降りるものの、足首はどんどん腫れてくる。
一度はひどく腫れた足を引きずって、無理やり武道館まで行きました。高いライブのチケットを買ってあるお方を誘っていたので、何が何でも行かねばならなかった。ショウに近いライブが終わって九段坂を下りるのが辛かったけど、やせ我慢をした。ド田舎に住んでいたそのお方を車でお送りする途中で、クラッチを踏むたびに痛さで目がクラクラした。そんな時だけは必死に努力するんですよね。
今回のトレッキングはテント泊もひとつの目的なので、休みの日を使うことにしました。6日間を営業してから行き、しっかり登るのでそれなりに疲れるでしょう。帰ってきて翌日からまた6日間ぶっ通し。そろそろカラダの現実に頭がついていかないと、武道館の再来になるかもしれない。あの遠くまでお送りした方にこれ以上の迷惑をおかけしないように、少し自重しようかと思っています。ペロ #
by organic-cambio
| 2018-07-31 15:24
| 店主の雑言
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二人目の子どもが生まれて間もない夏、宮沢賢治の童話の舞台になった種山が原を旅しました。一晩目は予約した旅館に夜遅く着き、二晩目は種山が原にテントを張るつもりでしたが、雨が降っていたので羊牧場の藁小屋を使わせてもらった。三日目も雨が続いたので思い切って日本海側の海まで走り、ある温泉街に投宿した。その宿が酷かった。旧式のクーラーがうるさい布団部屋のようなお粗末さ。 時刻表に載っている宿の中で一番安いところを選んだのですから、仕方がないっちゃその通り。でも収まりがつかない父ちゃんは、帰りに帳場で腹立ちまぎれに宿代を値切った。あんな布団部屋に通しやがって、と食い下がったものの相手は百戦錬磨。手ぬぐい1本で丸め込まれました。ネットのない30年前はそんなぼったくり宿が結構あったんです。今だったらそんな宿はすぐ潰れるでしょうね。 宿はすっかりネットで予約するものになり、今日も9月に出かける先の宿を予約したところ。遠くの宿でも距離に関係なく、均質の情報で見比べることができる。昭和を知っている世代には隔世の感があります。宿の予約がそうであるように、情報の進化でいろいろな商売に変革が起きました。こんな田舎の食料品店もその影響下にあり、この20年はどうやって進むのか、変化と失敗の連続でした。 ムラで畑を耕す生産者とマチで暮らす人を野菜でつなぐ八百屋という仕事は、めったに会うことができない両者をつなぐ存在として、宿をあっせんする旅行会社と似たところがありました。距離という物理的な問題とお互いのコトという情報をつないでいたのが、情報がネットでダイレクトに得られるようになり、宅配便で送ることで距離もクリアされてしまった。八百屋の存在は危うくなったのです。 それでも、全国各地からオーガニックの野菜を一年中いつでも買えるように取り揃える、というスタイルを絶滅危惧種のスタイルとして前に出し、何とか生き残ってきました。ネットで何でも手に入るようになってもこの店でなければ手に入らないものをそろえ、スーパーでも手に入るようになったものは切り捨て、変わることで絶滅を逃れてきました。生物の進化のように店は変化してきたのです。 今もいくつか変化を試みる部分があります。一番変えたいと思いながら変えられない部分。店主の人間性と店のコンセプトをどう切り離すか、という大問題です。ここまで店を運営するのも経営するのも、さらに日常業務をこなすのも店頭でお客さんに相対するのも、すべて店主がやっています。もちろんカミさんも店頭に立ち経理の日常をこなしていますが、基本はすべて店主がひとりで決めている。 この店は、どんな品でもお客さんが求めるものを仕入れるのではなく、食べものはこうあるべきという商品の選び方で店を形作ってきました。良し悪しはさておき、その基準はすべて店主の中にあり、超ブラックボックスです。だから続いてきたという見方もありますが、もっとオープンにして店先とコンセプトを見える化しなくてはならない。でないと、いつまでも自分で店に立たなくてはならない。 #
by organic-cambio
| 2018-07-24 17:11
| 店主の雑言
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